鉄の掟
昨晩、実家の兄から珍しく連絡があった。そんな時は大体酔っぱらった状態なのだが、昨日も例外ではなかった。電話口の向こうでは愛猫たちがドタバタ走り回っているようだ。
「東京は大丈夫なのか?」
そういや先週は、両親から野菜やレトルト食品、パスタなどがたんまり送られてきた。やはり向こうからは、今の東京はよほど異常な状況に見えるのだろう。とはいえ、緊急事態の指定対象外である自分の地元も、じわじわと感染者が増えてきているようだ。
兄の話を聞いているうちに、田舎特有の狭いコミュニティを思い出した。我が実家は郊外の長閑な集落にあり、周りは美しい田園風景と言えば聞こえはいいが、セカンドライフとしての「田舎暮らし」に憧れや幻想を持つような都会人には、正直に言えばあまりおすすめできない土地でもある。もちろんいいところも沢山あるので多くは語らないが、例えばここ独特のしきたりの一つに、元旦は地区内の各家の長が集会所で一堂に会し、朝から酒盛りをするというものがある。まあ要するに新年会なのだが、もしこれに参加しないようものなら、理由の如何を問わず村八分というけっこう重いペナルティが課されてしまうのだ(いちおう救済措置もあったような気がするが)。だから毎年、元旦の少なくとも午前中、茶の間に親父の姿はなかった。
親父はアベ政治を許さないどころじゃない筋金入りのコミュニストだが、そんなガチの唯物論者であっても、田舎のしきたりに対しては余計な口を挟まなかった。それとこれとは別、ここで暮らす上で最上位の掟だと幼いころから無意識に刷り込まれていたからだろう。うちのばあさんの葬式は近所の人々が寄り合い、ほぼ手作りで執り行われたが、持ち回りとはいえ葬儀委員長に任ぜられたのは、奇しくも近くに住む某学会員の○○さんであった。喪主と葬儀委員長それぞれの思想信条など、長年地域の秩序を維持してきた掟の前では、取るに足らないものだ。葬儀は土砂降りの中、粛々と進行した。
さて、互いの近況を話しているうちに、兄はワイン1本空けたらしい。呂律もそろそろヤバくなってきた。聞けば今度の日曜は住民が集まり、田圃の用水路に溜まった土や雑草、ごみなどを取り除く年一度の「堀払い」が行われるという。現時点ではどうやら実施の方向らしい。「こんなご時勢だし中止にしようって声は出んの?」と訊くと、「もしやるとして、参加しなかったら口に石詰められて川に流されんだろうな、わはは」と返ってきた。