きっと2年後の私は、この話をもっと好きになっていると思う。〜島本理生『夏の裁断』
きっと2年後の私は、
この話をもっと好きになっていると思う。
これは2年前の私が読書記録アプリの感想に綴っていた一文だ。まぁー、ものの見事に的中した。それも偶然ちょうど2年後に再読していたもんだから、なんだか笑えてしまった。
成長と呼んだらいいのか、むしろ根っこは変わっていないのか。ともあれ自分の心の琴線に触れる大切な作品と出逢えたことは、とても喜ばしいことだと思う。
他人の自尊心を自然に奪う人間
主人公は女性作家・千紘。ある担当編集の男から気まぐれに男女の関係をちらつかされたり軽蔑するように拒絶されたりを繰り返された末に、心を病んで休職している。
あなたには経験がないだろうか。他の人間から、「お前の分際で対等のように振舞うんじゃねーよ」とでも言いたげな、高圧的な態度を“さり気なく”取られたことが。
それは大抵、大した根拠もなく、「自分が上、お前は下。事実を疑うお前は愚かで不遜である」という体裁で押しつけられる。
押し付ける側は当たり前のことだと思っているから、それはシンプルに、そして時にごく平凡で穏やかなやり取りに紛れて、真っ直ぐ私たちを刺してくるのだ。
それが殊、男女の間において為されると、途端に泥沼の悲劇が始まるのである。
恋愛で奪われた自尊心の隙間を埋めるものは何か
恋愛で無防備になっていた人間の元からいとも容易く奪われた自尊心の隙間を埋めるものは何か。友情だろうか。仕事や学業での成功だろうか。
それも正しいだろう。ただしある程度条件が揃っていないといけない。
ここに、それらを持ち合わせない人間へのひとつの手軽な答えがある。
それは、他の多くの異性からの渇望だ。
なんだ、
自分はこんなに価値があるじゃないか。
この人も、あの人も、
みんな自分をこんなにも求める。
渦中にいる人間は気付いていない。どれだけ他者から求められるかを指標にしている限り、失われた自尊心が真に戻ることはないということを。
誰にも自分を明け渡さないこと。
選別されたり否定される感覚を抱かせる相手は、
あなたにとって対等じゃない。
自分にとって
本当に心地よいものだけを掴むこと。
「もし、なんの約束も名前もないままに、会いたい、という気持ちだけで会い続けることができたら、それは愛とか恋とかと同じくらいに美しいことかもしれないですね」
ここで私たちは本を閉じ、そっと目を伏せる。
考えているのはもちろん、脳裏に浮かぶいつかのあの人のことだ。ーーー見つめ合い、語り合い、そしていつしか奪い合って離れていった、愛しいあの人のことだ。
しかし悔いる必要も恥じる必要もない。
形を伴わない愛がその純粋さの影でいかに困難で暴力的なものであるかを知っていたからこそ、人々は法を作り、あらゆる証拠を刻み、神という絶対的な存在を前に、その愛の永遠たらんことを誓ってきたのだから。
さて、今ここに、ある一つの命題がある。
それでもあなたは、
名もなき愛を信じることができるだろうか。
そして、それは果たして愚かなことだろうか。
人は弱い。
形あるものに縋るし、形ないものに祈る。
けれど私たちは日々戦っている。
誰にも依存したくない。
正しくありたい。
ちっぽけで不安定な自分を隠したい。
抱えているものを捨てて逃げ出したい。
そんな自分が行き着いた先で、
すべて丸ごと受け止めてくれる存在が
いたとしたならば。
弱い私だからホッとしてくれる、
弱いあなたがいたならば。
そこでは形の有無など、
もはや問題ではないのではないだろうか。
そして何を隠そうこの作品そのものが、
形を持って、かつ形を持たずして
弱い私たちを全身で包み込んでくれる
一つの存在でもあるのだった。