生保も聖徳太子もびっくりの1300年も呼吸し続ける檜
「茶道と苔を限りなく愛して枡」と訳のわからないタイトルの自己紹介を書いて読んでいる人を疲れさせ(自身も疲れた)苔と茶道まで書いて頓挫。
今回は、気をとりなおしてどうして枡を愛してやまないのか。さくっと書いてみたいと思い枡。
屋久杉との出会い
亡母の遺品の整理で実家を訪れたあの日。食器棚の中から1つの枡を発見。見るからに頑丈で鼈甲色をした枡をよく見ると「屋久杉」と刻印。
母が自分で購入したものか、それとも頂き物かはわからないが妙にその飴色をした屋久杉枡が気になりグーグル先生に聞いてみると・・・
「屋久杉」とは、世界遺産にもなった屋久島に生息する樹齢1000年以上の杉だけに許されるとのこと。
1000年。。。
檜枡よりも屋久杉枡の方が年季の入った頑固親父という印象。
「人生100年時代」を謳う生命保険会社もびっくりの悠久のとき。
そして、母ちゃんの遺した1個の屋久杉の枡をきっかけに枡について調べると次に遭遇したのは法隆寺。
法隆寺との出会い
屋久杉枡との出会いよりも数年前に家族旅行で法隆寺を訪問。
中学で必ず中間試験に出てくる「飛鳥時代に聖徳太子によって作られた世界最古の木造建築物と言えば」の法隆寺。
「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺』
しかも、日本ではじめてユネスコ世界遺産に登録されたのがこの法隆寺。
記念すべき第一号。
そしてその木こそが檜(ひのき)。
1400年以上の前の飛鳥時代に使われた檜が今なお寺院を支え、令和の時代に生きる私たちにその姿を見せている。
聖徳太子もびっくりのすごさ。
そして、何よりもびっくりしたのが次に挙げる2点。
その1
日本最古の歴史書である「日本書紀」には、
「杉と楠(くすのき)は舟に、檜は宮殿に、槇(まき)はかんおけにすべし」と残されています。いにしえの日本人がすでに木を知り尽くしている。
その2
最後の宮大工、西岡常一氏による昭和の大修理が行われた際、解体した古い柱にカンナをかけるとヒノキの香りがしたという。
西岡氏もびっくり。強い生命力をもつ檜。
屋久杉と法隆寺檜
ともに世界文化遺産。偶然が奇遇か。歴史ミステリー。
びっくりのオンパレード。
時間をかけて調べていくうちに檜の美しさと強さに魅了。
屋久杉枡から檜枡に。
母の残した屋久杉枡は、今も再利用されて黒文字入れに利用しています。
そしてこれから私が残していくだろう檜枡。
どこまで魅力を伝えることが出来るかわかりませんが、noteの続く限りつれづれなるままに日本の手のひらサイズの枡について語っていきたと思い枡。
枡が好きすぎてデザインなんかしたりして。
いかがでしたでしょうか。
2ページにわたり自己紹介をかねて謎のタイトル「茶道と苔を愛して枡」をお伝えしました。
最後に
檜という漢字。林先生の教養番組ではその簡略が桧だそうです。
枡という漢字。いくつかあります。枡、桝、升。
そして
「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺』
中学生まで「柿食えば 鐘がなるなる 法隆寺」と思ってました。