育児無責任記録 ~赤子、かわいい~
新生児との生活が始まって3週間ばかし。
今さらながら気づいたことがある。
赤ちゃん、かわいい
母親になって3週間の、いや人生30年あまりの中で初の大発見である。
いや~ 赤ちゃんって、こんなにもかわいいもんなんですね。
元々自分は「デフォルトで赤ちゃんをかわいいと思う」タイプの人間ではない。
なんなら数年前までは苦手な部類ですらあった。
なんというのか、赤ちゃんを見ると無条件に「カワイイ~ッ」と声高に叫ぶみたいな、あの特有のノリ。
べつに積極的に嫌っているのではなく、これまで身近にあまりいなかったからどう扱っていいか分からず遠巻きにする、くらいのニュアンスだ。
言葉でコミュニケーションがとれない生き物に対してどう接していいか分からない、という点が特に苦手ポイントだったように思う。
それがここ数年、自分がアラサーに差し掛かったこともあってかやや丸くなり、赤ちゃんが一般的にかわいいとされる存在であることはまあ理解できるな、というくらいには心境が変化しつつあった。
周りで子どもを持つ友人も増え始め、ささやかながら触れ合う機会が増えたことも影響しているかもしれない。
街中でとんでもない勢いでギャン泣きしている赤ちゃんなんかを見ると「あーらあらよく泣いとる」「元気があってよろしい」「お母さんお父さんご苦労様です」と微笑ましく感じるくらいにはなっていた。
あとなにより、単純に「おもしろそうだな」という印象が強かった。
まったくまっさらな状態から一つ一つ人間としての意識や知性を獲得していく生き物を間近で観察できるのめっちゃおもろいだろうな、という興味が、SNSで育児レポなどを流し読みしているうちに湧いてきていた。
とはいえまだ赤ちゃんに対して積極的にかわいいと思えるかどうかは微妙なライン、くらい。
いや、生き物として庇護すべき、愛すべき存在であるということは十分に理解できる。
ただ見た目としてそんなにかわいいかというと、いや猫の方がかわいくね?みたいな。
そんな折、思いがけない妊娠と相成ったわけだ。
いざ自分が産むことを考えた時、多少の不安はあった。
生理的にかわいいと思うか思わざるかに関わらず、社会的責任としてちゃんと産み育てはするだろうという自分への信頼はあったので、産むという判断自体への影響はさほどなかったのだが、とはいえ心から「かわいい」と思えるかどうかで子育ての心構えがだいぶ変わるだろうことは想像できる。
それはそれは苦労の多い子育てという一大プロジェクト、我が子かわいさ故になんとか乗り切れていますなんて話はよく耳にする。
果たして自分がその境地に達することがあるだろうか?と、プラスもマイナスもなくただただ未知の世界に臨む心持ちだったわけですが。
蓋を開けてみれば、なーーーんも心配なかった。
赤ちゃん、問答無用でかわいい。
起きていても寝ていても、ぐずっていても真顔でも、何をしていてもついつい眺めてしまうし、じーっと眺めた結果口から出てくる言葉はやっぱり「かわいいねえ」なのだった。
ぷくぷくの頬を見ていると、思わず顔を近づけてゼロ距離で見つめてしまう。
いやはや、自分がこちら側になるとはね。
しかしこれがいわゆる「自分の子どもはやっぱりかわいい」なのかというと、ちょっと違う気がする。
産んだ直後からずっとそうなのだが、まだこの赤ちゃんが「自分の子どもである」という実感は正直湧いていない。
我が子だから、腹を痛めて産んだ子だからかわいい、というのではなく、目の前の存在があまりに無力で健気で日々ただ生きることに懸命であり庇護せねばならぬ、という気持ちが高まった結果としての「かわいい」という感覚。
これは、くりおに対する態度と通底している気がする。
くりお、というのはわたしとパートナーが一緒に暮らして初めて飼ったキンクマハムスターである。
彼に対してもわたしはどこか、「自分が世話しなければ生きていけないか弱い生き物。それはそれとして彼にも彼の意思があるのだなあ」という点に感銘を受けており、ペットというよりも個として尊重しながら一緒に暮らしていた感覚がある。
赤ちゃんに対しても、現時点ではそれとさほど変わらない感慨を抱いている気がする。
おまえは一生懸命に生きていてかわいいなあオイ、みたいな。
これが、子どもがしゃべるようになってコミュニケーションがとれるようになるとまた違うのだろうなと思う。
言葉を持ち、思考を持ち、意思表示ができるようになるといよいよ「人間だ」と感じるだろうし、そうなると「この人間はわたしが産み育てたのだ」という実感も強まるのだろうなと想像する。
妊娠中、職場の先輩(二児の父)に「自分が親になったって実感したのいつですか?」と聞いてみたことがある。
てっきり「生まれて初めて抱っこした瞬間」などと当たり障りない答えがあるかと思っていたが、その人は一瞬考えてから「初めて子どもにパパって呼ばれたときですかね」と答えた。
意外だと思った。
その先輩は、ふだんはこちらが恐縮するくらい丁寧な物腰の人で、お子さんの受験関係だったり体調不良だったりにすぐ駆けつける、忙しい仕事の合間を縫って子育てにかなり時間を割いているお父さんという印象だった。
それだけに、ずいぶん遅いタイミングで実感したんだなというのが意外だったというか、なんなら咄嗟に
「何を悠長なこと言ってるんだ、じゃあそれまでは何やってたんだ?これが“母親は産んだ瞬間に親になるけど父親はそうじゃない”ってやつか」
などと失礼なことまで思ったのだが、今思えば、わたしの質問に対して真剣に考えて本当に誠実な回答をしてくれていたのかもしれない。
育休が明けたらもう一度聞いてみよう。
しかしそうなると、養子や代理出産なんかの文脈で出てくる親と子の愛着形成だとか子への愛情の芽生えだとか言うのは、実際に腹を痛めて産んだかどうかや血がつながっているかどうかではなく、新生児期からお世話をした年月の積み重ねによるところが大きいのではないか、と現時点では感じている。
話を戻して。
赤ちゃんがかわいくてたまらんという話。
把握反射で指をぎゅっと握ってくれるのがかわいい
大きな黒々とした瞳できょとんと虚空を見つめるのがかわいい
熟睡してるときにモロー反射でビクンッてなるのがかわいい
お腹がすいて大泣きしているときに口元に指を差し出すと、一生懸命に指をちゅぱちゅぱ吸うのがかわいい
少しずつ肉がついてふっくらしてきた腕や太ももがかわいい
ちっっちぇ~くせにいっちょ前にすぐ伸びる爪がかわいい
黄昏泣きかなにか知らないが、必死に手足をバタつかせてぐずるのがかわいい
ぐずぐずに泣きじゃくって男梅みたいに真っ赤なくしゃくしゃの顔になってるのもかわいい
そのくせ抱っこすると瞬殺ですやりするのがまたかわいい
こうして挙げてみると、まだわけも分からず、身体を思うように動かすこともできず、ままならない感じがかわいそかわいいんだと思う。
恐らく彼は、自分に身体があることやそこに2本の手と足が生えていることにもまだ気がついていない。
そんないたいけな生き物が、小さな手足を必死に動かしてジタバタしている様を見ていると、ついついちょっかいをかけたくなる。
首筋に鼻を埋めてクンクンかいでは頬をはたかれて喜んだり、太ももに顔を埋めては足蹴にされて喜んだりしている。
あ~~~ たのし
あと我が子、顔がいい。
いや、これは100人親がいたら100人全員思うことだろうから聞き流していただいて構わないのだが、ぜったいに顔がいいと思う。
ビジュのいい写真を何度も見返しては、うーんイケメンなどと唸ったりしている。
すやすや眠っている穏やかな顔を見ると「天使のような寝顔」なんて手垢のついたフレーズが素で口をついて出そうになる。
子どもの写真をSNSに上げたりやたら人に見せたがる人の気持ちがようやく理解できた。
子ども、かわいすぎて人に見せびらかしたくなる。
かわいくないですか?ねえ???と言って回りたくなる。
が、産前の自分のように興味ない人もいるだろうからそこはぐっと我慢して、仕方ないので両親・義両親とつながる「みてね」にここぞとばかりアップしまくっている。
もちろん、大変なこともある。
授乳のフローにはだいぶ慣れて作業的にこなせるようになってきたが、逆に飽きによるしんどさがある。
っていうか授乳中、ひまじゃないですか…?
かと言って両手もふさがってるし。
皆さんどうしているんだろうか。
母乳もミルクも飲む量が増え、授乳の所要時間が伸びてきたのが地味にスケジュールを圧迫するのもつらいところだ。
授乳が終わってゲップさせてあやして寝かしつけて哺乳瓶を洗って、ようやく一息ついたと思ったらもう次の授乳時間が迫っている。
授乳時間になっても起きなくて困る、という事態は減ってきたが、かわりに思いがけない時間に泣き始めて驚かされることが増えた。
もうお腹すいたの?さっき80ml飲んだばっかじゃーん!
相変わらず吐き戻しはするし、うんちも3,4日ため込んでからでっかいのをする。
なにより、体力がついてきたせいか、ぐずりがなかなか収まらなくなりつつある。
まだ本格的な夜泣きと呼ぶほどではないが、授乳と授乳の間にぐずる頻度が増えてきた。
毎度それをあやすのにまた時間と体力をとられる。
余談だが、有名な「反町隆史『POISON』で赤ちゃんが泣き止む」というアレ、試してみたところマジで効き目があって笑ってしまった。
まあまあのギャン泣きをかましていたのに、曲を流すとすっと泣き止んできょとん顔で聞き入っている。
不思議だ…曲調がフラットで声が低いのが心地よかったりするのだろうか。
だれか音響学的に解明してる人とかいないのかなー
そういえば、泣き方も少し変化してきているような気がする。
産後すぐは、空腹だの、おむつが濡れただの、暑い寒いだの、身体が不快感を覚えた瞬間にただ反射だけで泣いている感じだった。
それがここ最近は、
不快感を覚える
→泣く
→すると何者かによって不快感が除去される
という一連の流れを理解し始めているというか、少なくとも「おっ俺はいま不快感を感じているぞ、よっしゃ泣こう」みたいなワンステップがあるように感じる。
わずか3週間ばかりでもこの変化。
とはいえ、まだ意識と呼べるようなものが芽生えているとは言い難い。
たぶん知能としてはくりおの方が高い。
まだまだ虫から人間になる途上も途上である。
君が意思を持ち、思考を持ち、コミュニケーションがとれるようになったらどんなだろうか。
純粋に楽しみだし、待ち遠しく思う。
とはいえそうなったらそうなったで、新生児期を死ぬほど懐かしく思うだろうことも想像に難くないので、今しかないこの時期をまずはめいっぱい楽しみたいと思う。
(大変だけど!)