産まれました ③
前回までのあらすじ
計画分娩のはずが、突然の陣痛で夜中産院に駆け込み緊急入院となった。
入院について事前に産院から聞かされていた説明はこうだ。
【分娩前日(入院日)】
1.入院後、無痛分娩のための麻酔の処置をします(背中から管を挿す)
2.背中に管を挿したまま、この日はお部屋でお休みいただきます
【分娩当日】
3.朝10時ごろから、子宮口を開くためのバルーンを挿入します
4.陣痛促進剤の投与を開始します
5.陣痛の進行具合を見ながら分娩に進んでいきます
ざっくりとだがこんな流れ。
前日から背中に管を挿しているので痛くなったらすぐに麻酔も入れてもらえて、できる限り痛みを取り除いた状態で分娩を迎えられますよーというわけだ。
このうち、わたしはフェーズ2までを慌ただしく済ませたことになる。
麻酔が効いて陣痛の痛みも和らぎ、さて明日の分娩に向けて今晩はゆっくり休みますかねとベッドに横になった矢先、なにやら助産師さんがざわつき始めた。
わたしの身体に取りつけた測定器を睨みながら何やら話し込んでいる。
何人かのスタッフさんが、わたしの個室に何度も出たり入ったりする。
まず言われたのは、陣痛の間隔が狭まってきているということ。
このまま行くとお産が早まる可能性もあります、と。
なるほどではパートナーには翌朝10時より早く来てもらわなきゃかしら、などと考えている間にまた何度かの出入りと相談があり。
次に言われたのは、胎児の心音がときどき弱まっているということ。
機器がうまく装着できていないのか、それとも胎児がお腹の片一方に寄っているせいでうまく心音が拾えていないのか、とあちこち着けた測定機器をいじくり回されたり姿勢を変えさせられたり。
そうしている間にもまた何度かの出入り、相談。
内診もされ、院長呼びます?エコー撮ります?といった囁きがわたしの頭上で飛び交う。
そうしていくつかの相談を経た結果、告げられたのはこうだ。
「ちょっとまだお腹の子どうなってるか分かんないんだけど、ここだといろいろ対応しづらいからとりあえず分娩室行こっか!」
病室に寝かされてから1時間も経たないうちに、あれよあれよと分娩室まで進んでしまった。
麻酔が効いているので足元もおぼつかず、車いすで分娩室まで運ばれる。
そこでエコーを撮ったり、院長先生が登場して内診したり、さらにいくつかの測定器による数値を眺めた結果…
「はーいじゃあちょっとご主人さん呼んでもらえるかな」
ハイハイハイ
なるほどなるほど
つまりこれはこのまま分娩が始まるっつーことですね?
途中からそんな予感はしていたので驚きはしなかったが、まァーじか、とは思った。
完全計画分娩とは、何だったのか。
しかしまあこの緊急事態にそんなことを言っても仕方ない。
パートナーにLINEで事情を説明して、とんぼ返りしたばかりのところをまたタクシーで飛んできてもらう形になった。
その間に助産師さんから説明を受ける。
陣痛の間隔がかなり狭いのでこのまま分娩に進みます、子宮口の開き具合を見ながら進行します、ただ胎児がへその緒に絡まっているようで時々心音が下がります、無理に促進剤を入れて進めるのは危険なのでなるべく自然の陣痛を待ちます、長丁場になるかもしれません、等々…
あまり心音が下がるのが続くようであれば帝王切開の可能性もあります、とまで言われてさすがにヒヤッとしたが、その頃にはもう覚悟も決まっていたので分かりましたと受け止めた。
わたしは、自分が根本的な思い違いをしていたことに気づいた。
出産は、分娩は、刻一刻と事態が進むし変化するリアルタイムの戦場なのだ。
事前に紙に書かれた予定や説明を読んで「こういう流れで進むのね」などと分かった気になっていたが、そんな通りには行くわけがない。
母体も胎児も、ひとりひとりがまったく違う身体を持ち、その時々でまったく違う状況に陥る。
そのひとつひとつにその都度向き合って、その時できる最善を常に考えながら進めてくれているのが産院の先生方であり助産師さんだった。
これまで大怪我も入院もしたことがないわたしは、医療行為がどういうものなのかを恥ずかしながらその場で初めて理解した。
また改めて、分娩という非常に難しい、それでいて失敗の許されない行為に日々携わる医師・助産師の方々に、畏敬の念を抱いたのであった。
話を戻そう。
ひとまず子宮口の開き具合を待つことになり、数十分おきに助産師さんがわたしの股に手を突っ込んで「ハイいま◯cmね」と告げる。
パートナーも到着して、分娩室で寄り添ってくれた。
夜中2時ごろに、子宮口が10cmに近づいた。
このとき、麻酔の効きが悪かったのか、お尻に強い痛みを感じるようになった。
めちゃくちゃ硬いうんこがつまっていて出てこないみたいな、肛門が内側から押されるような痛みが数分ごとにやってくる。
助産師さんに訴えるとすぐに麻酔を入れてもらえたが、そこから麻酔が効くまで3,40分、激しい痛みに耐えるハメになった。
痛みが少し出始めた時点ですぐに麻酔を入れて貰えばよかったのだが、まだ大丈夫かな?と下手に我慢してしまったために痛みが長引いた、これは完全に自分のせいだ。
反省。
学び、少しでも痛かったらすぐお医者さんに頼ること。
わずか3,40分ほどでも辛い時間だったが、自然分娩のひとはこれを何時間も耐え抜くのかと思うと、本当に頭が上がらない。
追加してもらった麻酔が効き始め、子宮口も全開になったことが確認され、ようやく準備が整った。
次のフェーズは、胎児を押し出すためのいきみ。
本来陣痛として感じる痛みの波が、麻酔によってお尻が張るような感覚になっているので、それを感じたタイミングでぐっと息をとめ力を入れていきむ。
胎児が骨盤から顔を出しては引っ込んでを繰り返すので、出きるまでひたすらいきみ続ける。
早いひとだと1時間、長ければ4,5時間続くこともあるそうだ。
いきみ始めて1時間ほど経った頃だろうか、また胎児の心音が弱まるようになった。
やはり降りてくる途中でへその緒が引っかかっているらしい。
いきむのをやめ、また助産師さんや先生がどやどやと入ってきては内診し、測定機器の数値を眺めてしばし審議。
院長先生もやってきて、内診の結果「いきむと心音が止まって危険。このまま吸引で出しちゃおう」
そこからはあっという間だった。
それまで寝かせられていた分娩台がうにょうにょと動き始めて、上半身が起き上がり股をかっぴらいた状態で固定される。
「わードラマでよく見るやつだ」とか思っている間に、あれよとあれよと様々な器具が運び込まれ、院長先生が手術着を着て再登場した。
枕元に立っていたパートナーもいつのまにか衛生服を着せられている。
あー、いよいよ始まるのか。
もうここから先は何が起こるのか考えるのをやめ、先生の指示通りにただ目の前のことをひとつひとつこなしていこうと腹を括った。
カチャカチャと明らかに何らかの吸引器具を用意する音が響いても、ビビっている余裕さえもはやなかった。
「次の波がきたらいきんで」
1度目のいきみで力を入れた途端、吸引器具をねじ込まれる。
それがめちゃくちゃ痛かった。
思わずイッテェ!!!とデカい声が出たが、すかさず「痛くてもがんばれ!」と先生に一喝される。
反射的にハイ!!と叫び返してすぐに2度目のいきみ。
もうこうなると自分が何をしているのかも分からないままただただ必死に先生の指示を追いかける。
「もっかいいきんで!ハイ今!」
「ハイ!!」
と何度目かのいきみをしたところ、先生がグッグッと何かを強く引っ張る動きをした。
「なるほどそうやって引っ張り出すのね」と思う間もなく、股に激痛が走る。
「いったァーーーーーーーーーーー!!!」
思わず絶叫した。
後から分かったことだがこのとき、麻酔の効きが悪かったのか、膣の周りの感覚が残っていたらしい。
陣痛も子宮口が広がる痛みも麻酔で取り除かれていたが、最後の最後の出口の部分だけ残ってしまったのだ。
あまりの痛がりようにさすがに先生も驚いて「痛いの?いつから痛いの?」と、グイグイ引っ張る手は緩めることなく聞いてくる。
わたしも全力でいきみながら「いま痛ェっす!」と答える。
ちなみにこれらのやりとりはお互いすでに怒号と化している。
「もっと早く言ってくれれば何とかしたけどもう無理!がんばって!!」
「ハィィイイイ!!」
激痛で何が何やら分からない中で、そう叫び返したことだけは覚えている。
あとはひたすら叫んでいた。
とにかく早く終わってくれーーーー!と願いながらもう1,2度いきんだとき、ずるり、と何かが抜け落ちる感覚があった。「ほらもう終わったよ!!」
息も絶え絶えに目を開けると、目の前に先生がその子を掲げていた。
第一印象は、思ったより細長くて、しわしわで、赤青色の生き物。
先生が首根っこをつかんで掲げていることもあいまって、なんだかエイリアンみたいだった。
(情景をなるべく正確に覚えておきたいのでありのまま書いている、他意はない)
身体にへその緒が巻きついていて、最初はうんともすんとも言わなかったが、先生が素早くへその緒をほどいて、口からチューブを挿してごぼごぼやる(羊水を飲んでいるので掻き出すための処置らしい)と、おんぎゃあと泣き出した。
まだ目の前の光景を処理しきれないうちに、先生から腹に手を置いて、と指示される。
訳もわからないまま言われたとおり手のひらを向けると、衛生シートごしにどすんと赤子をお腹に置かれた。
第一印象は「あっつい」だった。
つい今しがたまで体内にいた身体は熱を持っていた。
それからなんとも言えない重み。
なにも考えられない頭で、「産まれてきたんだねえ」とかなんとか言ったような気がする。
実感がわかないまま、びしょびしょの頭を眺めていた。
その間にも股の間ではいろいろなものが引っ張り出されたり、押し出されたり、切り取られたりする気配があったが、もはや気にしていられなかった。
一度助産師さんが赤子を取り上げて、体液を拭きとったり消毒したりといろいろな処置をしてくれる。
こちの身体にももろもろ産後の処置が続く。
膣まわりの麻酔が効いていないので会陰切開の縫合はふつうに痛かった。が、もはや何とも思わなかった。
それから、身体をきれいにして布にくるまれた赤子を再び抱かせてもらった。
パートナーも交代で抱っこさせてもらう。
赤子の体温はあったかく、抱いていると汗が噴き出してきた。
(ちなみに、知らなかったが分娩中は母体の体温も上がる。わたしは39度まで上がっていた)
腕の中の赤子をじっと見る。
まだ頭半分ぼんやりしている状態で何を考えるというわけもなく、ただただ眺めてしまう。
かわいいな、と素直に思った。
吸引分娩のために頭が少し引っ張られていて、やたら切れ長の目が印象的だった。
まだほとんど見えていないだろう目を、それでもぼんやり動かしたり瞬いたりする。
口はどこか所在なさげにもにょもにょと動いている。
ずっと眺めていると、ああかわいいな、と思った。
他の赤ちゃんを見てかわいいと思わない人でも自分の子どもを抱いたときはやっぱりかわいいと思うもの、とはよく聞く話。
だが、このとき感じていたのは「これが我が子…!」という愛しさみたいなものともまた違った感覚だった。
これが自分の子どもである、という実感はこのときまだわいていなかった。
ただただか弱く、けなげで、汚れのない、無垢な生き物がいまこの腕の中にいるのだ、という強烈な印象、だったと思う。
それから、この生き物を今日からわたしが守り生かしていかなければいけないのだ、という自覚。
このとき胸に去来していたのはこの2つだった。
こうして、初めての出産を終えた。
できるだけ細部まで覚えていたくて、つらつら書き出していたらだいぶ長くなってしまった。
これくらいにしておこう。
他にも細かい話(分娩中に院長と助産師さんがケンカし出して苦笑いしたとか、産後の出血が治らず、止血の点滴で気持ち悪くなって吐いたとか、この日産院では自分含めて5人の分娩が入ってバッッタバタだったこととか)もいろいろあるが、割愛。
これを書いている今は、病室での母児同室が始まって2日目。
慣れない授乳やぐずりに悪戦苦闘しているが、その話はまた追って書くことにする。
とにかく無事、我が子を産むことができました。
本当に学びが多い体験だった。
まずはおつかれ、自分。
おつかれ、我が子。
これからよろしくな。
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