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産まれました ②


前回のあらすじ

さて。

計画分娩のはずなのに一向に分娩日が決まらないのをいいことに、お腹の子が出てくるまでまだまだ余裕があると調子にのって遊び歩いていた連休前半。
しかし、事態は急展開するのであった。


予兆は14日から少しずつ始まっていた。

この日、夕方ごろからたびたびお腹に痛みが起こるようになった。
数時間おきに下腹部がぎゅっとなる感じ。
重めの生理痛くらいの痛みだが、ほんの数秒でふっと消えてしまう。

いま思い返してみれば、恐らくあれが前駆陣痛だったのだと思う。
しかし分娩はまだまだ先だろうとタカを括っていた自分は、まあいつものお腹の張りがちょっと強くなっている程度だろうと思い込んでスルーした。
その日の夜は呑気にパートナーとボードゲームに興じ、湯船につかってまったりしていた。
(普段ほぼシャワーの我が家で珍しくこの日バスタブに湯を張ったのは、不思議な偶然だ。産後はしばらく湯に浸かれない)


明けて15日の月曜日、海の日である。

この日も朝から日課のウォーキングをこなし、4,000歩ほど歩いた。
歩いている最中にも前夜と同じのお腹の痛みが1度起こったが、あまり気にならなかった。
ついでにスーパーで買い出しをし、「明日(当初再診の予定があった16日)急に入院日が決まるかもしれないから、今日は豪勢にお刺身でも食べようかな」などと考えつつ帰宅。
そして、これまた子が家に来たらしばらく出来ないだろうからと、悠長にパンとケーキを焼き始めたのである。

まったくいい気なもんである。
そうしている間にも、腹の痛みは少しずつしかし確実に間隔を狭めながら起こっていたのだが、なんと思い込みとは恐ろしいことか。
翌日に再診がある、先生がそう指示したという事実が、自分の中で無意識に「まだ陣痛が来るはずがない」と固定化されてしまっていた。

今日はよくお腹張るなー、明日の健診までに少しでも子宮口開くかしらー、などと能天気に考えながら、いそいそとパン生地をこね、ケーキを型に流し込み、順番にオーブンで焼きながらなんて優雅な産休かしらと悦に入っていた。


そうしている間にふと気がつくと、お腹の痛みがそこそこの頻度で起こるようになっていた。
思い出すかぎり、この時点でだいたい1時間に1回は下腹部に鋭い痛みを感じるようになっていたと思う。
しかし慣れとは恐ろしいもので、茹でガエルの例えもあるように、少しずつ頻度を上げていたこの痛みに最初わたしは注意を払わなかった。

冷静に考えれば「1時間に1回のお腹の張り」はそれだけで即産院に電話案件なのだが、思い込みがあまりに強かったのか、無意識に「陣痛かも」という可能性を避けていたのか、今となっては自分でも分からない。
とにかくちょっとお腹の痛みが強くなってきたからベッドで休んでるね、程度の認識でいたのだった。

そうしてベッドに横たわって数十分。
それまでは安静にしていればすぐに治ったお腹の張りが、今回はなかなかよくならないなーと呟いたわたしに向かって、最初にそれを言ってくれたのはパートナーだった。

痛みの頻度、上がってない?
間隔、計ってみる?

気遣わしげにそう言われたとき、本当に本当に情けないことだがわたしはそのときになって初めて、この痛みが陣痛である可能性に思い至ったのだった。


まったく、正期産の妊婦としては呆れるしかない危機感のなさである。
大反省。
自分の性格上、先のことを楽観視して対応が遅れる傾向にあることは自覚していたが、今回はそれが最悪の形で現れた。
パートナーがいなかったらどうなっていたか、想像もしたくない。

慌てて陣痛アプリを入れて測ってみると、すでに痛みの間隔は10分を下回っていた。
それでもまだ頑ななわたしの脳は「間隔がマチマチだし、まだ前駆陣痛じゃないかな」「おしるしも破水もないし」などとぶつぶつ呟いていたのだが、いま思えばすでに正常な判断ができていなかった気がする。

そんなわたしを促してくれたのはやはりパートナーだった。
「とりあえず産院に電話してみたら?」と再三促し、作りかけだった入院バックも詰め込んで、タクシーをいつでも呼べるようにスタンバイしてくれた。
その勢いに背中を押されるようにして産院に電話して、症状を伝えたところひとまず来てください、となったのが21時ごろ。

入院バックを引っつかみ、着の身着のままタクシーに飛び乗って、夜の東京をすっ飛ばして産院に向かう最中も、何故かわたしは「たぶんまだ前駆陣痛だから、明日また来てくださいって言われるだろうな。こんな夜遅くにパートナーを連れ回してしまって申し訳ないな」とトンチンカンな心配をしていた。

こうして文字にしてみると、やはり正常ではない。
軽いパニックに近かったのかもしれない。

そんなわたしを待ち受けていた産院の夜勤担当の先生と助産師さん。
先生は、サッと内診を済ませると呆気なく告げた。

「このまま入院しましょう。で、明日分娩ね」


あまりに突然すぎるその言葉に、何故だかそれまでずっとうじうじ言い訳がましく先延ばししていたわたしの頭が、逆にすとんと受け入れた音がしたようだった。

そうか、このまま分娩まで進むのか。
なるほどね、そうですか。


そこからは不思議と冷静だった。

まずパートナーにそのことを告げる。
産院のルールで入院日はパートナーの付き添い不可のため、パートナーとはそこでお別れ。
翌日の朝から分娩の準備が始まる予定なので、また明日朝10時くらいに来院してねとお願いし、今しがたタクシーで飛ばしてきた道を戻ってもらうことになった。

この時点で22時ごろだったろうか。
続いて、無痛分娩のための麻酔の準備。
背中から管を挿して、分娩時はそこから麻酔を注入することになる。
その管を入れるのが背骨の隙間から入れるから大変だとか、背中を丸めなきゃいけなくてお腹が苦しかったといった話を無痛の経験者がたびたび口にするので戦々恐々としていたが、局部麻酔のおかげかまったくその苦労はなかった。
むしろ、その処置を進める間も寄せては返す陣痛の痛みの方が辛かった。

その痛みも、無事管を挿して麻酔が効き始めるとだんだん和らいでいった。
個室に案内されてベッドに横たわり、入院や明日の分娩について諸々の説明を受ける。
慌ただしくスタッフさんが去り、ひとり病室の天井を見上げて「いきなり明日分娩か、やるしかないな」と覚悟を決めたのが22時半か23時ごろ。

親にもLINEで事情を説明し、これでひと段落、まずは明日に向けてゆっくり体を休めようと思った矢先。
またも事件が起こるのである。


まだまだ続きそうなので、いったんここまで。
(病室のベッドで夕食を食べつつ、昨夜のことを思い出しながら書いています)

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