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「上司から詰められるのが心底辛い」を克服させてくれた本
事あるごとに詰めてくる鬼上司のパワハラにストレスがMAX
金曜の夜からこんこんと眠って起きると、土曜の夜だった件
「それ」は入社まもなくから始まった。鬼上司から詰められるという恐怖体験だ。当時は分からなかったが、今となっては間違いなくパワハラ認定ができる。
奥歯を噛み締めてものを言う癖のある人で、そこに乗ってくる感情がまるで電撃のように浴びせられる。
・こうじゃない!そうじゃない!
・こうだろ!
・どうしてお前はできないのだ!
要約すると、こんな内容になる。
正直、めちゃくちゃ辛い。できない私が悪いのだろうと考えて、何をどう学んでいったらいいか、全くわからないのだ。
そうじゃない→こうだろ
の間の理由も分からないし、どうやったら分かるようになるのかがわからない。そして詰められる、の繰り返し。
金曜の夜に気絶するように床に倒れ込んで、起きたら土曜の夜だった。なんて週末が続いて、これは本気で転職を考えないとヤバいかも知れない・・・と思っていたものである。
恐怖の提案書レビュー
例えば、提案書を作るとする。
コンサルはパワポにうるさい人が多い。構成や、レイアウト、シンプルな配色、フォントの統一、もちろん提案の中身についても。クライアントに提出できる提案書が一人で作れるようになるまでに、勉強するべきことが山積みだ。
鬼上司はパワポ職人で、マナーに大変うるさい。
文章が四角い枠で囲ってないと感情の雷が落ちるのだ。それは、パワポのレイアウト作法みたいなもので、私は知らない。
知らない私のほうが悪いのか、と思って「ご指摘ありがとうございます。修正します」と言いながら、何かがどんどんすり減って今にもちぎれてしまいそうだと感じていた。
私を救った福音書との出会い「プロカウンセラーが教える人の言葉をスルーする技術」
私がちぎれて、今にも風に吹き飛んで行きそうなときに出会った書籍があるのでぜひご紹介したい。
実は、いろんな人から「ご指摘」をいただくのだが、鬼上司だけなんであんなにコタエルのだろう、と思っていた。この書籍から答えを見つけることができて大いに納得ができた。
You are NO GOOD.
これが含まれているのだ。他の人からはこれを感じない。これを含めてくるような輩に対する、根本的な解決策を提示してくれている。
1. 「言葉の持つ価値」という大前提の解体
私がさすがだなぁと感じたのは、まず大前提を解体してくれているところにある。
他者の言葉をスルーする技術を伝授するときに、「言葉は大切」「言葉は現実化する」「言霊(ことだま)」「人の言う事をよく聞きなさい」と教え込まれている者にとってはたいへん抵抗があるのだ。
「言葉」というものに過剰に価値がついてしまっていることについての言及は、私にとっては目からウロコものだった。
2. 「過剰な客観性」「正解を求める」体質を気づかせてくれた
もともと、私は傾聴が得意な方でよく人の言うことを聞く。それを強みとして活かした職業についていた時は、大変便利な性質として自分を受け入れ振り返ることもなかった。今はそれが仇となっていたことに気がついた。
直感も働く方なので、騙される前に「なんかこの人ヤバそう」と感じるので被害はなかったが、人の言葉を素直に受け取る、鵜呑みにする癖があるなぁと自覚はあった。多分、直感もなかったら、私は人にころっと簡単に騙されていただろうと思う。ほど、本当に素直に言葉を聞いていた。
それは、著書の中でも言及している「過剰な客観性」を求めていたからだと気がついた。
自分を向上させたい、成長したいという欲求が強く、他者からの言葉やアドバイスは自分が気がついていないことを気が付かせてくれるかも知れない、という思考につながる。これが、鵜呑みにさせてしまう原因になる。
受け入れる言葉は自分で選ぶこと。
あとはそのへんに転がしておけば良い。
これが、全くできていなかった。というか、客観的でありたいと願うために、自分の選択より先に、何が正解かを見極めたくなってしまうからだ。
この過剰な客観性や正解を求める体質をなんとかしないと、スルーすることを心がける、だけでは到底実践ができないのだ。
3. 【主体性の獲得】自分のことばを取り戻す
なぜ、受け入れる言葉とそのへんに転がしておく言葉と、選ばなければならないのか。
「人の本心はどこにあるのか?」という点について、著者の仮説がある。公的領域と私的領域、という考え方だ。
人は社会活動において、整えられた人格と
プライベートな人格があるという。(こちらは不全感も含めてドロドロしている)
公的領域の人格が本心である、と定義している。
なぜならば、プライベートな空間になると内側のどろどろしたものが出てきて、人はおかしくなるからだ、という。
あおり運転の例などを上げて、人は公的空間からプライベートな空間になると人格が変わりやすくなってしまうと論じている。
だから、公的な領域で活動している整えられた人格と、常に向き合っているべきなのだ。これは、人の頭の中を覗いていはいけない。ということである。
機嫌を伺う、なんてのはまさに人の頭を覗く行為。内的領域を外から侵害していることになる。ドロドロとしたものが渦巻いているところに指を突っ込んで、つついたらそりゃやられるわな、という塩梅だ。
私は上司にこれをしていたのだ。
傾聴し、こころを読もうとしていた。上司の心の内、誰にでもある不全感に触れていたのだ。
そして、自信のない者(わたし)は、不全感を持っている人たちの格好の餌食となる。お前はNO GOODだ!と言って、自分の不全感(NO GOOD)の解消をする。
【奇跡】あの鬼上司からの”詰め”がなくなる
人(鬼上司)の頭の中は覗かない
人の頭の中は覗かない。人の頭の中は覗かない。もう、1日中念仏のように唱えていた。これは、私の無意識の癖だからだ。
公的領域の上司と接していればいい。
すると、へ?
ということが起きた。
提案書がレビューもそこそこに、「はい、じゃぁクライアントに。これで行って」
へ? お小言は?ツメツメ攻撃は?
無い、無いのだ。これには心底たまげた。
他者の言葉はスルー、言葉はスルー
受け入れる言葉は自分で決める。
これもずっと心のなかで唱えていた。
何を受け入れるか、自分で決めないといけない。これは、強力に主体性を使わないといけないのだ。自分の選択基準。自分の軸。
だから、自然と態度も変わった。
「どうしてですか?」「こうは思わないんですか?」
と、自然と疑問を呈している自分に気がついて、驚いた。
しかも、あの鬼上司相手にバトルしている。
あらら、私はどうしちゃったのかしら・・・と思いながら。
「こうして」
と言われても、
「それはこれが終わってからでいいでしょうか。なぜならば」
と反論している。普通に。
昔なら、「はい、分かりました」としか言わなかった、言えなかった私だったのに。
「はい!」か「YES!」か「喜んで!」
上司から与えられた選択肢は常に3つだった。
鬼上司の「私的領域」に踏み込まず、頭の中を覗かず
自分の主体性を発揮して、自分の受け入れる言葉を選択し、発言する言葉を選択するようになったら・・・
鬼上司からの、You are NO GOOD!が消えたのだ。
というか、自然にスルーしていて気が付かないだけなのかもしれないが
少なくとも「アレ」を受け取って、何かがすり減っていく感覚はなくなった。
効果テキメンである。
もしも、上司からの詰められるパワハラでこころがすり減っておられる方いたら、ぜひこの書籍を参考にしていただきたいと思う。
私はAudibleで購入したので、繰り返し聞いている。
主体性や自分の言葉を取り戻すことに、これからも取り組んでいきたい。