じーちゃんからもらった大きな地図
すごい昔、じーちゃんにもらった日本地図。
装丁もしっかりした分厚い地図。
日本中あっちこっち旅するようになって、最近ようやくこの地図の面白さが分かるようになった。
そういやこの本をもらった時、どんなこと考えてたっけ……。
これをもらった時、俺はまだ9歳とか10歳だった。小学生の時だったことは覚えてる。
「地図なんか見てもおもしろくねー!」
「こんなのいらねー!」
って思ったのも覚えてる。
もしかしたら言ったかもしれない。
地図を楽しむには経験が必要
当時の俺にはまだ早かった。
この本の価値や楽しみ方を受け入れるだけの経験がなかった。
テレビで目にする山野は全てフィクションで、自分で見に行けるものとは思ってなかった。誰かが連れてってくれないと一生見ることはないと思ってた。現実にあるけど非現実的な、庶民の俺には無関係なものだって本気で思ってた。
世界は思ったより自由だった
実際はそんなことなくて、電車とかバイクとか車とか、旅に出るのは簡単だった。
その気になれば神奈川から石川までバイクで行ける。
自然は多くの情報を与えてくれた
実物の自然は多くの情報を持っている。
山の色、吹き下ろす冷風と山を貫くトンネルの温かさ、森林や海、川の匂い……など、五感で世界を感じ取った。バイクの上ではエンジン音ばっかり聞こえてた。
西日は眩しいってことも、5月でも山風は寒いってことも、実際に感じて初めて理解した。
地図は名前を教えてくれる
地図には地名が載っている。
山や川、土地の名前が書いている。
名前はその場所、物を区別するためにある。
地名がわかれば、自分がどこに行ったのかを覚えられる。
名前の由来を探るのも面白い。その土地の特徴に因んだ名前ならなお面白い。
地図が五感を呼び起こす
広がる道を、聳える山を、クソ寒い海風山風を、自分の体で感じた今なら、この地図を見て体験を思い返せる。行ったことがない場所でも地形の情報から想像できる。行きたい場所を探すこともできるかな。
この地図を楽しむのに必要な知識が溜まってきた証左だろうか。
地図を楽しめるようになった
結局何が言いたいんだろうか。
「いい本をくれたことに感謝する」
は違う気がする。
「ガキの頃はバカだった」
と言いたいわけでもない。思ってるけど。
この歳になって、
「この本を受け入れられるくらい知見が広まった」「ちょっとだけじーちゃんに胸張れるようになった」
ってことを書き残したかった。
俺、少しは成長したよって伝えたい。
明後日は7回忌だって。
未熟者なりに胸張って会いに行くよ。