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ラブタイツと心のもやもや

 久しぶりにnoteを開いてみた。最近は、ジェンダーやセクシュアリティに関する話題が、ネット上で燃え上がっては忘れられ、また次の火の手が上がるという流れを繰り返している。次々に事件が取り沙汰されるために、数日前に起きた出来事すら、すでに語り尽くされたように感じられてしまう。今回は、そんな数ある話題のひとつから、ATSUGIのラブタイツ企画について私見を述べたい。

ラブタイツ企画って?

 2020年11月2日に、「いいタイツの日」を彩るというテーマで、タイツメーカーのATSUGIがラブタイツというハッシュタグを用いたTwitterでのPR企画を実施した。20人以上のイラストレーターとコラボし、自社商品のタイツを身につけた女性のイラストを投稿するというものである。

 かわいらしい、あるいは美しい女性のイラストがタイムラインを彩り、企画は成功したように思われた。しかし、一部の投稿がタイツのプロモーションとして不適切であるとして批判が相次ぎ、ATSUGIが企画を中止・謝罪文を発表する事態にまで発展した。

ラブタイツのどこがいけなかった?

 批判の対象となったのは、主に二つの投稿である。一つ目はメイド服姿の女性がスカートをたくし上げるような動作をしているイラストで、「好きなだけ見ても良いんですよ」というコメントが添えられていた。もう一つは、制服姿の少女のイラストで、「新しいタイツ買ったんだぁ~ …見てもいいからね♡」というコメントと共に投稿された。

 二つの投稿に共通しているのは、タイツを身につけた女性を見る「誰か」の視点を意識したコメントが添えられている点だと思う。そして、その「誰か」の視線は、タイツを纏った女性の脚を一種のフェティシズムの対象として捉えているようにも思われる。つまり、この二つのイラストだけは明確に「タイツを身につける女性」ではなく「タイツを身につけた女性を鑑賞したい誰か」をターゲットとして描かれているのである。自分も含めて、多くの女性は防寒などの機能性や見た目の良さを求めて、「自分のために」タイツを履く。「自分を見る人のために」タイツを履く女性のイラストは、商品PRの目的に即していない。

 ラブタイツの企画に対して、「女性に対する性的消費である」や「窃視的な構図が不快である」、「スカートの中を想起させる構図が…」など様々な意見が上がっているのをTwitter上で確認した。個人的には、上記二つの投稿は、企業が女性の脚を性的な対象として見ることを肯定しているように感じられて、非常に残念だった。あくまでイラストなど創作のなかの話として黙認されてきた女性への視線を、企業の企画を媒介することで、現実の出来事と接続されてしまった不快感と言えばいいのだろうか。

 しかし、どこまでが性的消費で、どこからがセーフかという基準は個人の感性によるもので、一概に決めることはできない。ただ一つ言えることがあるとするならば、購買層の女性に向けてではなく、「女性を見る人」に向けたイラストを投稿した点において、プロモーションとしては失敗していた、ということだろう。

noteに書いた理由

 ラブタイツ企画についてnoteを書こうと思ったのは、応援しているアーティストの言葉がきっかけだった。ラブタイツ企画に言及して、彼らは「ほっとけばいいのに」「馬鹿の相手をするのやめましょ」と反応していた(おそらく批判する側に対して)。そのままでは「浮世絵も、裸婦像も、噴水の小便小僧すら規制の対象になる」と。

 そのアーティスト達は、無類のエロゲ・サブカル好きでもあり、クリエイターたる彼らの目には、今回のラブタイツ企画を批判する人間は、創作の世界を狭める邪魔者に映ったのだろう。彼らの意見に対して、私は「そうじゃないんだよなぁ……」ともやもやしたものを感じた。では、なぜ彼らの意見を受け入れられないと思ったのか、それを言語化すべくnoteを書こうと思ったのである。

 私自身はラブタイツ企画に上がっていたイラストはどれも魅力的なものだと思っている。あのハッシュタグで企業の公式PRとして発信されなければ、先ほど言及した二つのイラストも素晴らしい作品だと感じただろう。特に、絵心のない自分にとっては、イラストでタイツの質感を表現するイラストレーターさんの技量には感服するばかりだ。

 問題とするべきなのは、タイツの購買を促進する企画で、「鑑賞される女性」を描いたこと、その一点のみなのだと思う。女性を性的な視線で捉えたイラストを男が描こうが、女が描こうが、それは問題ではない。そのイラストを「えちえちだ…」「興奮する…」と反応したのが男であろうと女であろうと、それも問題にならない。

 「私が」不快だと思ったのは、衣類を扱う企業が、その衣類を纏った人間を欲望する誰かの存在を肯定、ないしは奨励した点なのだ。私は、衣服は自分のために身につけるものだと考えている。それゆえに、鑑賞者のために衣服を纏うイラストの少女のあり方、それを肯定する企業の姿勢が許せなかったのだと思う。

 そして、今回のラブタイツ企画に寄せられた様々な意見を見て感じたのは、やはり男女の違いである。男女の違いと言っても、身体的な違いではなく、男として、女として生きていく上での経験の違いである。先ほど言及したアーティスト達は男性であり、私は女性として生きてきた。私はタイツを生活用品の一種として見なしているが、男性にとっては割と縁遠い衣類だろう。自分がよく身につけているものが、言い方は悪いがズリネタとして利用されていることを見せつけられるのは、なかなかどうして居心地の悪いものである。しかし、経験しなければ想像しにくい領域というのは確かに存在する。彼らが、ラブタイツ企画を不快だと感じた人の気持ちが理解できなかったのも、そういうことなのかもしれない。

 少々長くなってしまったが、自分の考えをnoteに吐き出すことによってすっきりすることができた。私の好きなアーティストと、私自身の考え方は食い違っていたけれど、彼らの音楽だけでなく、彼らがエロゲの話で盛り上がる姿も好きな私は、これからも彼らを応援し続けるだろう。「私とあなたの意見は違うから、同じになれるように頑張ろう」ではなく「私とあなたの意見はちがうけど、それでもいいよね」の方が私は好きなので。

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