私の彼女について

私は睡眠薬のODや、精神病の影響で記憶が欠落するのが非常に早い。
ながらも彼女とのことについては事細かに記憶している。

私は在学中に鬱病と診断され休学した。休学してすぐに県北部の精神病院に移送され依存性の高いスルピリド錠からの離脱を心掛けた。止まらない動悸に希死観念、自傷癖、それらからの解脱がかなった時、一瞬ではあるが、全能感に支配された時期があった。
そのころ彼女と出会った。私はストリートダンスの才覚に酔いまた薬の高揚もあり誇り高き革変の気も持ち合わせた、観察者であった。
自信に満ち、捨てるもの無き高潔な蜜アナグマのような人格であった。
一方で彼女はプラグマティズムを持ち社会的な人間であった。そしてそのような虚無的思考の例にもれず自己肯定感が薄かった。

彼女もダンサーであり私もダンサーであった。そう言った意味では彼女は表現者としてよりも自身の内面を外に発露する、内向的な、珍しいタイプのダンサーだった。

私は二度目にあったころには彼女に興味を持ちその現実的ながらも空想を夢見る心に触れてみたいと思った。
私は彼女を口説き、また強引なやり口に辟易とされながらも彼女と交際するに至ったのである。

私たちが彼女が遠方に引っ越すまでに彼女と顔を合わせたのは十数回程度だった。
彼女が引っ越して後に私は大きな不安を抱えつつも大学に復学した。彼女との距離は広がったが、私たちはお互いに頻繁に電話をした。
知らないこと、知っていること。非エロティックな関係はよりおたがいの事を知りそして私の不安定で未熟だった精神は、元気づけられた。私が大学を卒業してしばらくして私は彼女の誘いに乗り住居を彼女のもとに移した。
全てが不安定になる恐怖、全てが新しくなる恐怖に私は屈指なかった。
というよりも彼女のもとに共に生きれうるという喜びはそれらを乗り越えるに値したのである。

彼女と住居を共にして私はいかにロマンスやレシの中に生きているのか、認識を、文字を、全て同じ重量で綴っている私は彼女のプラグマティズムを認め尊敬せざるを得なかった。
自分が如何に社会というものに対して革命的思考をもって恐れていて、他者との関わりになんら恐怖すら覚えず進むことに対する困難を、そして彼女の美しい生き様の虜となった。

私は論客というには浅薄だったが彼女の存在が身近にあるだけでどれ程救いがあったことか。

闘争や決闘はもはや存在しない、戦いとは忍耐であるという希望にも似たアナーキーはもう消えつつある。彼女が、その中で心豊かに、日々に、愛に生きる姿を私はどうしようもなく愛おしく、そして憧憬するのだ。

私にとって彼女はアルゴノートである。
最も身近な愛の主体としての高次の他者であるのだ。

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