沖縄のハレの日

沖縄で起きたニュース。少年が暴行を受けたと訴え、暴徒化した若者が6時間も警察署を襲撃した。

これは私は地域コミュニティの再来、強い仲間意識としての発露を見た。

今現在の地域の人々はお互いの隣の住人の名前すら覚えていない。辺りを見回せば知らない人ばかりで地元ははるか彼方にある。

そんな中で沖縄では一人の少年の為に、そして一つの焚祭として、若者達が集まった。

彼らはただ暴れたかったのか。ただ警察署を襲撃する理由が欲しかったのか。
勿論それもあるだろう。そしてその鬱憤を溜め込ませた社会主体にも問題はある。
しかしそれ以上に彼らは警察の横暴をコミュニティへの攻撃として捉えたのでは無いのだろうか。

声を上げるのは難しく、社会は黙殺と無意思を強要する。
公共の福祉の前では他人は全て監視者でその評価のみが人を立派な大人か狂人かに二分する社会。

彼らは黙っていればよかったのだろうか。それともキチンとした手続きをもってして訴えに出るべきだったのだろうか。
ルールを超えた暴力。しかしその根源には私は美しく、人間の権利を叫ぶ民主主義の根幹を見た。

私は沖縄の若者達を頼もしく思う。
彼らは我々の誰かが傷つけられたらまた声を上げてくれるだろう。
私達も同様に彼らの誰かが傷つけられ、社会によって黙殺されるかも知らないのならば、蛮勇と盲目と無知をもってして声を上げよう。
久々に胸が熱くなる光景を見た。
民衆とはかくあるべきだ。

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