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アルバムの中の父

わたしのアパートには、幼少期の写真が収められた「アルバム」が数冊ある。母が作った珠玉の育児記録たるものだ。

普通は、嫁に行くタイミングでそういう「思い出のもの達」と再会するんじゃないかと思う。
だが、うちの場合は両親が離婚して、私が一人暮らしを始めるタイミングだった。
「実家に残すと父に捨てられるかもしれないから」という理由で持たされた。

ただでさえ狭いアーパトなんだから勘弁してよ、と思ったけど、小さなクローゼットの左奥に押入れられたアルバムは、場違いにも見えるが、あったかくて愛おしい。

2年前の夏、引っ越し初日の夜は、それを見て一人泣いた。
その後も泣きたい日には、時々開いて泣いた。
「寂しくて見る」とか、「恋しくて見る」ではなくて、自分が何とも思わなくなるのが怖くて確認する。
「まだ懐かしいと思えた。よかった。」と確認して、また奥へ押しやる。
しょっちゅう見ていたら何も感じなくなりそうだから。たまに、と決めている。

アルバムの中には、家族3人で実家のお風呂に入っているものがあった。
私と弟と父、あるいは私と弟と母で。
父とのものが多かった。
一枚だけ母とのものがあった。
確かに、記憶の中でも父と入ることが圧倒的に多かったと思う。

そういえば、弟がまだ幼かった頃、
弟が母のおっぱいを恋しがると、「俺の女だ。早く自分の女を見つけろ!」と父が言っていた。
弟はもちろん、私も意味がわからず きょとんとしていた。

子供だろうが容赦なく、理不尽だった。
もしかしたらだけど、
弟と母が一緒にお風呂に入ることが少なかったのは父のせいかもしれない。

でも写真の父は、そんなことを言う人には見えず、子煩悩そうに見える。家族を愛して止まない父親に見える。実際、周りからはそう見られていたのかもしれない。

そういえば、もうすぐこの人と結婚した時の母の年齢に追いつく。

子どもの頃は、親も、その周りの大人も、みんな人格者だと思っていた。
けど、案外そうでもないかもしれない。
みんな育てながら、少しずつ成長しているんだろうし、間違うこともあるだろう。
父は、ちょっと歪んでいたのかもしれないし、表現が悪かっただけかもしれない。

今なら思うけど、たぶん父はアルバムを置いていっても捨てなかったと思う。
私たちはやっぱり愛されていたんだと思う。

あの頃の両親を抱きしめたくなる。
きっと頑張ってくれていたんだろうな、と。

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