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観察と没入:生成画像に求めるもの?

下記記事で「自分はアートよりストーリーテリングの要素に重きを求めるので、文脈に対しての反応が鈍い Flux.1[dev] に物足りなさを感じた」と語ったが、何か言い切れていない感じがしていた。Claudeとチャットしてたら、その謎が解けたので投稿する。

結論を先に言うと、自分は生成された画像に「没入」を求めていたが、それに対して、今回 Flux.1[dev] が生成した画像は「観察」の性格を持っていた。対して、Flux.1[schnell] の生成した画像は「没入」の性格を持っていたので、前者を物足りなく感じてしまった。というのが今回のテスト結果判断の深層にあるのがわかった。

上記に対して、アートとストーリーテリングというのは「観察」「没入」の両方にバランスは異なるものの、共通して含まれる要素と言えるので、その扱いに言及するのはピントが外れていたと言える。では、「観察」「没入」とは何なのか?という疑問が湧いてくる。(よね?)

それはポートレートとシネマチック

フレンドリーな表現ならこれになるが、これも似てる(規格・技術の違いは別として)と思う人は多いと思う。自分もそう思ったわけだが、その点をハッキリさせる為にClaudeに以下の質問をしてみた。

質問
ポートレート写真では、それを見る人はあくまで第三者であるとすれば、フイルムスチル(シネマチック)写真は、見る人を写真の登場人物と同じ心境にする要素を持つものと考えて良いか?

回答
とても鋭い観察です。その解釈は写真の本質的な役割の違いを捉えていると思います。

両者の視聴者との関係性を詳しく分析すると:

  1. ポートレート写真の観賞体験

  • 観察者としての立場が明確(「見る−見られる」の関係)

  • 被写体という「対象」を外側から理解する視点

  • 個人の記録や表現として完結している

  • 写真家の視点を通して被写体を見る構造

  1. フィルムスチル写真の観賞体験

  • 物語世界への没入を促す

  • キャラクターと同じ空間・時間を共有する感覚

  • 感情移入や共感を誘発する視点設定

  • 時にはキャラクターの主観的な視点を提供

  • 物語の一部として観客を巻き込む

  1. 視点の構造の違い
    ◎ポートレート:

  • 写真家 → 被写体 → 鑑賞者 という一方向の流れ

  • 客観的な距離感の保持

◎フィルムスチル:

  • 物語空間 ⇄ 鑑賞者 という双方向の関係

  • 意図的に距離感を操作(近づけたり遠ざけたり)

  1. 目的の違い
    ◎ポートレート:

  • 被写体の本質や魅力の記録・表現

  • アイデンティティの確立

◎フィルムスチル:

  • 物語体験の一部として機能

  • 感情的な共鳴や没入の誘発

  • 物語世界の追体験を促す

このように、フィルムスチル写真は観る人を「物語の中に引き込む」装置として機能する特徴を持っていると言えます。それは単なる記録や表現を超えて、観る人の能動的な参加を促す仕掛けとして作用していると考えられます。

もう一度結果を比較してみる

以下は共に今最も高精度なエンコーダー「flan_t5_xxl_fp32」を使用した時の生成結果だが、その違いは一目瞭然と思う。あくまで特定のプロンプトによる生成結果だが、逆に言えば極端な違いが出る場合の良い(面白い)例とも言える。特に宇宙人に対する挙動の違いの原因は何なのか?という疑問が沸きあがるのを抑えるのが難しいが、深入りすると寝不足が深刻化するリスクもあるので残念ながら自粛するしかない。

Flux.1[schnell] による生成画像
Flux.1[dev] による生成画像

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