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田舎暮らしは果たしてスローライフなのか?/ 能動的で豊かな暮らし

お久しぶりです。シンディです。
危ない危ない、、すっかりnoteの更新が止まってしまっていました。

もう少し前になるけど、年末年始の長めの帰省を経て、帰ってきた途端、大雪警報で子供の保育園が3日間休園(=仕事も休み)。

からの三連休。

という流れで、なかなか冬休みが終わらなかった。

雪かきに追われたり、
自宅前でできる雪あそびで大忙し。

と言いつつ、その合間に、note含め発信のボリュームや方向性をずっと練り練りしたり、色々なところに子供と出かけたりできて、有意義な時間でもあった。

まだ方向性については模索中ではあるけど、これからむしろ、発信のボリュームはどんどん増やしていくので、よろしくお願いします。

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さて最近、地方移住への関心がまた高まってきているのではないか、という話もたまに耳にする。

そんなとき、ほぼ無意識に使われがちな言葉、あるいはイメージがある。

いわゆる田舎暮らし=スローライフというやつだ。

今日はその実態について触れてみたいと思う。

なぜそんな話をするのか。

それは僕自身、東京から岐阜に移住する際に何を望んでいたのかというと、それは「スローライフ」ではなくて、むしろ真逆のものだったからだ。

詳しくはこちらの自己紹介をご覧いただくとして、僕が望んでいたのはもっと、ワクワクするような、新しい世界、新しい出会いと経験だった。

そして移住してまもなく5年、この毎日の暮らしのリアルを、少しでも多くの人に届けたいと思っている。

意外と忙しい?田舎暮らしの実態

というわけで、結論から言うと、田舎暮らしは全然スローではない。

むしろ、めちゃくちゃ忙しい

詳しくお話ししていこう。

例えば、春から夏にかけては、広大な敷地の「草刈り」が待っている。

これは単なる庭の手入れではなく、家の周りの環境を整える重要な作業だ。放っておけば困るのは自分で、次々に生えてくる雑草は、虫や蛇のすみかになるばかりでなく、湿気をためこみ、生活環境を簡単に悪化させてしまう。

稲作をやっている人なら分かる通り、雑草に棲みつくカメムシや、夏の湿気による風の妨げは、稲にとっても大ダメージになってしまう。

そのため、多くの移住者が草刈り機を購入することになる。
(僕も移住して2年目にはマキタの電動草刈り機を購入した。静音で環境にも優しいので家庭用であればぜひ電動をオススメしたい。)

それ以外にも、季節ごとの主な作業を見てみよう:

  • 地域の総会

  • 山菜採り

  • 畑の準備と種まき

  • 田植えの準備

  • 水路の清掃

  • 草刈り(定期的に必要)

  • 田畑の管理(草取りなど)

  • 虫対策

  • 魚釣り(食糧として)

  • 地域の総会

  • 田んぼの収穫作業

  • 木の実採り

  • お祭りの練習(1ヶ月)と本番(2日)、片付け

  • 来年に使用する薪割り

  • 冬の準備(薪ストーブの清掃、家の断熱作業など)

  • 水路の清掃

  • 雪かき(天候によっては毎日)

  • 暖房(毎朝、家を暖める作業)

  • 餅つき

コミュニティとの関わり:新しい時間の流れ方

水路掃除というのは、僕の住んでいる地域では「井普請(いぶしん)」と呼んでいて、年に2回、地域内の田畑に水を供給する水路の泥かきをする。

これをしないと田畑を管理する人はもちろん、山の湧き水を生活に利用する多くの人が困ることになるし、そうやって山と、里の関係全体を保護する意味がある。

草刈りは先ほど述べたような理由があるし、雪かきは言わずもがな。これは生活を守るためでもあると同時に、里山全体の景観を美しく維持するという住民のプライドをかけた作業でもある。

一度、そうした目で田舎の風景を見てみてほしい。自然といえど、いかに人の手によって美しく管理されているか。その地域住民たちの努力と美意識に惚れ惚れするようになる。

実際、集落の周りの先達がどんどん草刈りをしていくので、自分もやらなきゃというプレッシャーはある。でも終わったときの気持ちよさは格別。

このように、地域との関わりも、都会では経験できない独特の時間の使い方を必要とする。

それ以外にも年2回の地域の集会や(役員になると月1回)、秋祭りのための1ヶ月に及ぶ練習、季節に応じた神事(+飲み会)など、コミュニティの一員としての責任も伴う。

だけどそれも、コミュニティを健全に維持するための時間であり、あるいは今年の田畑の豊作を願って、感謝するという昔から続く機能だと思えば、必要なことだと思うようになってくる。

地方移住者の多くが「地域コミュニティとの関わり」をネック、もしくは移住後の課題として挙げている話も耳にするが、しかしこの「忙しさ」は、決してネガティブなものではないと思ってる。

「忙しさ」が持つ意味:人間らしい暮らしとは

先ほど挙げた例の中で、例えば「山菜野草を採る」「薪割りをする」といった作業。これらは、別にやらなくてもいいのでは?という声も聞こえてきそうだ。

実際そうだと思う。

ではなぜ、これほど「忙しい」生活を選ぶのか。

それは、一言でいえばそれが楽しいからであり、それこそが豊かさそのものだからだ。

そして、その「忙しさ」の中に、人間らしい暮らしの本質があるからだと思う。

お金をかければ、モノはいくらでも購入することができるし、誰かがやってくれるサービスを受けることもできる。

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でも例えば、自分の敷地の山にせっかく生えている山菜野草がある。当然、無料だ。そして基本的に、これらは採ってもまた、来年も生えてくる。

※採り方には一定のルールがある。何より大事なのは、全て採らないことだ。自分のため、来年のため、そして動物たちのために、我々がいただくのはほんの一部に留めるということを忘れてはいけない。

家の隣に無限に生えてくるワラビを採る娘(画質が荒くてすみません。)
裏の竹藪ではタケノコも豊作

周りの山には、薪(貴重な燃料)として使える無数の木があり、むしろ人間が植えすぎた(&使わない)結果、山の健康を脅かす事態になっている。

うちでは地域の山の間伐材を購入して薪割りしています。めっちゃ大変。

都会では誰かがやってくれていた草刈りや雪かきを、自分の手でやることで、暮らしを作っていく実感が得られる。

そこには、ただ時間がゆっくり流れているだけではない、能動的な生活の豊かさがある。

これらを「労働」と思うか、「暮らし」と思うかは、人それぞれだ。

新しい価値観との出会い:古民家ゲストハウスから見える未来

少し宣伝だが、この経験を多くの人と共有したいという思いから、僕は120年の歴史を持つ自宅である古民家もゲストハウス【源右衛門 -Gennemon- 】として改装した。

宿泊OPENしました! ご予約はこちら

ここでは、単なる宿泊施設としてではなく、交流しながら、田舎暮らしの本質を体験できる場所を目指している。

川遊びや山菜採り、薪割り、稲作体験など、季節に応じた体験プログラムを用意して、訪れる人々に「忙しさの中にある豊かさ」も感じてもらいたいと考えている。もちろん、一人でゆっくり過ごす時間も大切なので、それはそれでオススメしたい。

スローライフを超えて

確かに、田舎の時間の流れはゆっくりしている。

風景を眺めながら縁側でくつろぐ時間や、地域の人々とじっくり語り合う時間は、都会では味わえない贅沢かもしれない。

しかし、それは単なる「スローライフ」ではなくて、自分の手で暮らしを作り上げていく、能動的で創造的な生活なんだろうと思う。その中にこそ、現代人が失いかけている「人間らしさ」があるんじゃないか。

もし興味を持った方がいれば、ぜひ実際に足を運んで、この空気を感じてほしい。

きっと、都会では見えなかった新しい豊かさに出会えるはずだ。

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プロフィール:
映像作家・写真家。東京で映像プロダクションに勤めた後、2020年、東京から岐阜に移住。自然農の稲作、古民家ゲストハウスの運営、自然体験ガイド、子育てなどを礎に活動を続ける。個人のテーマとしてこれからの「人間らしい生き方」を、さらに地域文化や自然環境、共感するプロジェクトなど、身の回りのまだ紡がれていない「物語」を探究・表現することで、誰かの人生を少しでも豊かにする体験を提供。特に映像においては、ドキュメンタリーでありながら視聴者をのめり込ませ、感情を揺さぶるシネマティックな表現を追究している。

<映像制作のご依頼>
企業やプロジェクトが持つ、あなたが伝えたい物語を一緒に見つけ、届けるお手伝いをします。下記プロフィールよりご連絡ください。作例あり。

<里山の暮らしを体験できるお宿>
古民家ゲストハウス 源右衛門 -Gennemon- の詳細・ご予約はこちら

<その他>
InstagramX では日々のイメージの記録を。
stand.fm で日々見たもの・感じたもの・考えていることについて音声配信もはじめました(平日は毎日放送中)。
noteでは引き続き、それらでは語りきれない話や、日々のよろこびや悩みを文章と写真で綴っていきます。

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シンディ
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