ミスチルの曲とネット社会
私の好きなミスチルの歌詞から考えさせられたことを書きます。
重箱の隅をつつくひと
そのあげ足を取ろうとしてる人
画面の表層に軽く触れて
似たような毒を吐く
『海にて、心は裸になりたがる』という曲です。
これが、すごく真理をついているような気がしています。
みんな、何かの正しさに突き動かされて、欠点を見出して、批判することで気持ちよくなってしまうのだろうか。自分も気づいたらテレビ画面の前で同じように誰かを批判して、妻に注意されたり。
かつて、お茶の間ではテレビに出てくる人物の言動に対して、いちゃもんをつけたり、嫌いだと言ったりするのが常であったように思われます。
自分の親がそうで、よく「それなら見なければいいのに。」とつぶやいたものです。
そして、案外その相手が気になっちゃってその人が出るたびに見てしまうなんてことも。
好感度が低いことで視聴率がとれますね。
別のところでは、
嫌なやつだと考えていても
実はちょっぴり気になっているよ。
と歌われます。桜井さん、ホントそんなもんですよね。
ただ、今それが自由にオンライン上で繰り広げられ、オープンになったことで、私たちが常日頃いかにネガティブな感情を抱いているのかが露呈されるようになりました。
それらは、評価という形で実際に本人のもとへと届くようになりました。
また、このような「評価」的な言葉自体がある種の「価値」を持ち始めてるのは確かでしょう。
最近では、何かの事件に対する誰かの対応についてコメントした著名人に対する誰かのコメントを取り上げて、それを見た視聴者がまたそれに対して画面上でコメントするみたいなことまで起こってます。
私も昔、自分の関心のある出来事に対して、影響力のある人物を何人か思い浮かべ、「あの人なら、どんな意見をもつのだろう。」とやけに気になったりしました。
この感情が、実は相当な程度でビジネスと化している気がします。もはや、物質ではないものの方が、物質よりも大きなビジネスになりつつあるのです。
現在は、まだ「炎上」や「批判」などネガティブなコミュニケーションが幅を利かせてはいるものの、
言動やアイデアやコミュニケーションというものがこれ程までに経済的な価値をもたらすということについては、私もはじめはにわかには信じ難く、イメージもつきませんでした。
でも今、インターネット上には、確かに、「言葉」による新たな非物質的な「世界」が誕生しています。
ちなみにこのことを、A・ネグリとM・ハートという哲学者が20年も前に予言しております。
これは、良いか悪いかは別として、確実にコミュニケーションの時代に突入した証でもあると言えるでしょう。
今まであまり顕在化することのなかった人々の内面が、まさに裸になりつつある今、ネガティブなやり取りが氾濫するのは一定期間は避けられないのかもしれないし、必然でもあると思います。日本や世界の歴史が、相互不信からくる暴力と支配をたどってきましたから。人々の内面には相当なフラストレーションが溜まっていたことでしょう。
これから、きっと社会のシステムが同時多発的に次の段階へ移行していきそうです。それは、相互信頼をベースにした助け合い、高め合いの文化が主流の社会で、だれもが誹謗中傷などしようとさえ思わなくなる時代です。私の感覚では、これは予想よりずっと早くに到来しそうです。
そのときに、インターネットで世界がつながった本当の目的が、人類をより幸福にするためであったということを確信したいものです。
今世界はあなたに会いたがっているよ
今世界は確かにつながっているよ
これが、繰り返し歌われているのです。
読んでいただき、ありがとうございました。