目的を遂行する
くだらない事かもしれないが、自分では綿密に計算しているつもりだ。
直線的に予測しているわけではない。いくつかの候補を常に念頭に置いて、枝分かれしたルートを俯瞰して眺めている。当然、他の連中がどう思うのかも考慮して、わざと定石を外すこともしている。つまり、周囲にわざと油断を与えているのだ。
事実として、今日も戦略的有利なポジションに入る事ができた。自分ではそういうつもりではなかったと、言い訳の余地を残しながら、無言で関門を突破した。
露呈すれば、私は顰蹙を買うことになる。または、それだけで済まないのかもしれない。だが、そういった賭けにも果敢に挑戦しなければ、局面を制する事はできない。
私の仕業だと当事者は気がついていない。ただ舌打ちするだけで、戦略的有利なポジションから退いていった。足を踏んだ相手を探すような素振りも見せない。私の言い分はこうだ。「わざとではない」と。
また、不可抗力を利用する事もある。それは最大のチャンスだと私は捉えている。膨大なデータを学習し、その経験値から最適解を見出す事も重要だ。毎日をぼんやり過ごしていては気がつかないだろうが、必ず揺れる場所がある。そこが安全装置が作動するポイントなのだろうと私は推測している。乗客の隙間から見える、特徴的な景色からそれを判断し、揺れを利用してタイミングよくターゲットの前に立つのだった。
古いとか新しいといった概念を持ってはいけない。他の人間から見ると廃れた手だと思う事も、別の見方をすれば、斬新なアイデアであるのだ。要は、結果に貪欲でなければ目的は達成できないという事。
ターゲットは次の駅で降りる。これは確実な情報だ。
そして、そこから私は座る事ができる。
筈だった。
「どうぞ。私は次の駅で降りますから、お座りください」
戦略的有利なポジションの有効範囲に、満員電車に似つかわしくない、好々爺がいるのを当然私は気がついていた。しかし、荒んだ私の心に譲るという概念は欠如していた。
ターゲットは美しかった。
私は恥ずかしくなった。
おわり