震えた電話はクローゼットの中 :超えられない壁
私の体は仰向けで浮いたまま緑色の水面を漂っている。
顔ははっきりと残っている。けどね、その顔はキレイとは言えないな。もちろん美人とかそういう話じゃないよ。真っ白で、固そうで、出来損ないの陶器の人形みたい。自分の顔だけど、死人って不気味だね。もう何日も過ぎているけれどまだ腐らない。3月とはいえ、寒暖差のある季節。朽ち果てるには、気温とか水温が低いのかもしれない。
できることなら、死体を底に沈めたい。その方が人に迷惑をかけないと思うんだ。
それを言ってしまえば、そもそも飛び込まなければいいよね。でもね、そうする方が楽だと思うほど、私は頑張っていたんだ。足にダンベルを括りつけても意味がなかったみたい。結局私の体は、誰かに見つけてもらうのを待っているように浮いている。
私がここを選んだのは、妹が死んだ場所だから。そうすれば、妹に会えるかもしれないと思ったの。でも、いない。もしかしたら、いるのかもしれないけれど、私には見えないんだ。
妹を発見した人は、このダムを管理している人だった。「同じ人が、私の体を見つけられたら気の毒だな」と、私は見当違いの後悔をした。本当に迷惑だよね。
実は、私も死体を見つけた事がある。
トシヤの事。妹が亡くなる1年前の事だった。
土曜日だった。
トシヤが待ち合わせの時間になっても来なかった。どこに行くという当てはなかったけれど、お互いに休みの日は一緒に時間を過ごすことが多かった。私達は仲が良かったと思う。結婚の事を考えなかった訳ではない。正直に言うと私は待っていたね。しかしそれは叶う事はなかった。
トシヤと連絡が取れなかった。彼が寝過ごす事なんてそれまでなかった。
「それまでにそんな事がなくても、そんな事が起きてもおかしくはないよね」
そう思ったから、合鍵を持っていた私は、彼の部屋に迎えに行った。
203号室。
扉には鍵がしてあった。
彼はベッドにいなかった。どこにもいなかったんだ。
「入れ違いになったのかも」
そう思って、携帯電話をかけた。
電話は繋がったけれども、着信音はならなかった。その代わりに電話が震える音が、部屋の中で聞こえた。私は恐る恐るクローゼットを開けたんだ。
あぁ。
やっぱりね、私は悪い事をしたんだね。
私はこれでいいと思ってた。こうするしかないと思った。でもね、トシヤを見つけた時の私は悲鳴をあげたんだ。人が人で無くなった姿は怖かったね。そうだよね。私の死体を見つける人に悪い事をしてしまったな。
私、死ぬ前にSNSに投稿をしていたんだ。『散る桜』って名前で。
酷い事を書いていたと思う。それでも誰かに読んで欲しいって思っていたんだね。私は死ぬ事を正当化していた。トシヤが死んで、妹も死んで、もっと前にはお父さんとお母さんも亡くなっていた。私のような境遇なら、誰だって死にたくなるんじゃないかと思っていた。
「幸せを感じながら死ぬ人間もいる事を知って欲しい」
私はそんな事を書いていた。強がりだったかもしれない。それでも頑張って生きていた。だからこそ、もういいと思ったんだ。でも、よくよく考えたら、酷い内容だったと思う。
私は何が言いたかったのだろうね。
何を言って欲しかったのだろうね。
もしかしたら死ぬことを止めて欲しかったのかな?
そうじゃないよね。
これでよかったんだよね。
これでよかったんだよ。
私の目は閉じている。それでいいんだ。
ダムの周りを2トントラックが走っている。あの運転手さんが私を見つけてくれるのかな?そんな事はないか。
私の事、誰か探しているかな?
私はこのまま腐るのかな?
その方がいい。そう思っている私は嘘をついているのかな?
そんな事はないか。私は嘘が何なのか、わかっていない。
私だった死体も私の事を時々見ているのかな?そんな事はないか。私は1人しかいない。
桜の蕾は夏にできていたらしい。秋を経て、冬を越して、もうすぐ咲く。
今年の桜も綺麗だろうな。妹と見る事ができたらいいのにな。
つづく