ケンイチ氏! :超えられない壁
朦朧とする月が、ダム湖に反射して曖昧な輪郭を浮かべているように、俺が何度も生まれ変わる理由は曖昧なんだ。
こうして人の魂を自分の手で弄ぶのが好き。
理屈じゃない。それだけで十分じゃないかな。
納得する理由なんて探す方が損だと思うよ。好きだからやる。それで十分だよ。
不思議な事を盲目的に信じている事ってあるよ。だって、体が地面に落ちる事だって当たり前じゃない。
体が何処に行くのか、わからないほうが恐怖なのに、落ちる事に恐怖するんだ。落ちる事が不思議だと、多くの人は思わないんだよね。
例外なく、全てのモノは地球に引っ張られている事は奇跡だよ。だから安心しきっているんだ。
生きる事も同じ。
いつだって、明日も明後日も生きられると、みんな思っているんだ。
今という時間の意味は、過去なんだ。今を知覚した瞬間に、全ては過去になる。だから「今を生きている」という言葉はおかしい。「今、死ぬ」なんて言葉もないね。みんな少し先の未来があると思いこんでいるから「今」という言葉を使うんだ。だから「今を生きている」気になっている。それを優しく奪い取る事が好きなんだよ。俺は。
このダム湖の底で、最初の俺は生まれた。どれぐらい昔だろう。時間に質量なんてないから、はるか前にも、ついさっきのような気もする。生身の体じゃ底に辿り着くには訓練しなければならない。ああそうだ。そんな必要はないな。底にあるのは残骸だ。朽ち果てた家だった建材や、生活用品の数々。あの頃に戻りたいなんて思っていない。
俺は当時の村人と同じ数の魂を、ここに放り込むことで満足したいんだ。そうしたいから、そうするだけ。ここにいた連中の無念を晴らしたいのかもしれないね。俺は優しいのだから。
今夜は奇跡だ。
俺にも桜の花弁が見える。
もう全てを終わらせてもいいのかもしれない。
つづく