肩に手を置く :超えられない壁
タチバナさんはダムの岸際にいた。俺には彼女が一人でいるように見える。しかしながら、カオリと名乗る女性には、サクラの姿が視えるようだ。彼女の視線を辿れば、簡単にそれがわかった。
サクラがいると知った俺の目つきは、暗くなっていただろう。自分でそう思う。暗いというのは、何とはなしに怯えているということだ。それは、桜が咲いては散るように、時が経っていく事を思っているからかもしれない。時間が過ぎるのが惜しいのではない。別れを告げる事ができなかった事を、悔やんでいる時間が長かったから怯えているのだ。いくつもの夜が過ぎていった。それが再びやってくること。ただそれだけのことが、そこはかとなく悲しい。
「リエコとか言っていたね。やめなさい」
カオリと名乗る女性はベテラン教師のような口調で、タチバナさんの背後に声を掛けた。よく見なければわからなかったが、そこに若い女の姿の幽霊がいた。実際に見逃してしまったほど色が薄く、幽霊の中の幽霊といった感じだった。
「さっき出て行って、今度は妙な幽霊を連れてきた。なんなの?一体何のつもりなの?」
薄い幽霊がすぐに言い返してきた。当然だが、話している内容は俺にはわからない。カオリと名乗る女性が何の説明もしないからだ。妙な幽霊と言うのは、俺とトシヤ君の事だろう。
「トシヤ君だっけ?あぁ、大きい方のキミの事。カエデさんは水の中。会ったことあるでしょ?キミには見える筈だから探してきて」
トシヤ君が自分の事を言われたと思って、パッと顔をあげた。しかし自分の事ではないとわかると、バツの悪い顔をして必要以上に顔を下げた。俺は一応といったカタチで、トシヤ君の肩に手を置いた。
もう、どうにでもなればいい。わからないならわからないままでいい。言われたとおりにすれば、何かが変わるかもしれない。そう思うしかなかった。
つづく