10回目の大津京駅。

 名前の知らない、敏感な木の葉が、赤く色づいて、少しばかり涼しくなった風にそよいでいました。まだ夏の余韻が残っているのに、気が早いと僕は思ったのです。家から駅までは、歩いて10分ぐらい。高架駅に登れば、駅の北側にある公園の木が見えるのです。季節の移り変わり目というイベントに、僕は敏感なわけではありません。それでも、紅葉が始まる気配を感じると、去年はどうだったかと思い起こすのです。
 この駅から、紅葉の始まりを見るのは10回目です。即ち、僕がこの町に住んで、10年が経ったという事です。景色に見飽きたという事はありませんが、驚く事など滅多にありません。それを慣れと呼ぶのです。
 このまま10年後も、同じ時間に僕はこの駅を利用するのでしょうか? 見た事ある顔ばかりなのに、知らない人達。朝のプラットフォームは、人が多いのに孤独な場所です。
 かといって、電車を待つ間、誰かと話がしたい訳ではありません。積極的な人との触れ合いを僕は求めていません。もしも、誰かが僕に「何をしている時が一番楽しいですか?」と尋ねたとしたら、僕は「一人でいる事が楽しい」と答えるでしょう。
 確かに、社会的な接触が少なくて済むことは、無駄なカロリー消費を減らし、リラックスするのに最適です。それに十分な睡眠を得る事も容易です。それでも、僕は完璧な孤独には耐えられません。孤独なフリを演じるのは、煩わしさを排除しているにほかなりません。

 早く色づいた葉は、すぐに枯れるのでしょうか? 電車を待つ間、敏感な木の葉の事を思いました。周りの木々に合わせる事無く、早くに散っていくのは、潔さなのでしょうか? 少々飛躍した事を考えると、僕がこの町を去る事になっても、僕は木々とは違い、生まれ変わった葉を赤く色づける事はありません。むしろ、ここを去れば、僕は違う葉を身に纏おうとするでしょう。その事に憧れながらも、僕はこの町の慣れを選ぶのです。

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中島亮
一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!