アメリカで停学になった話
アメリカで停学になった事がありました。
僕は、日本の学校でそのような処遇を受けたことはありません。アメリカで停学になったというのは、僕の人生の中で唯一の停学体験です。
停学という言葉の響きから、僕が連想するのはヤンキー漫画のオープニングの設定です。よくあるのが、主人公が、入学や転校して早々に学校の番長になる。けれども、実は停学中のヤバい奴がいる。主人公に負けた三下のキャラクターが負け惜しみに、「○○さんが戻ってきたらお前は殺されるぞ」とか言ったりするのです。そして主人公と停学明けのそのヤバい奴が闘う事になります。互角の勝負の後に、辛くも主人公が勝ち、なんやかんやで仲間になる。というようなイメージを、停学という言葉に僕は抱いています。
僕はそんな主人公でもヤンキーではありませんでした。
停学の原因は、暴力です。
学校のトイレで、私より1学年下のアメリカ人を殴って、さらに転けた彼の顔面に膝蹴りを入れました。
彼の目の下には、一週間ほど消えなかったアザができました。
彼には申し訳ない事をしました。同時に「よくそんな事ができたな」と自分のことながら、恐ろしく思います。僕は暴力を振るった自分を恥じています。
しかしながら、僕にも言い分はあります。
日本人としての自分のプライドを守る為に、そのアメリカ人を殴りました。それは稚拙な言い訳であると承知しています。けれども、当時の僕は許せなかったのです。
経緯はこうです。
彼の名前を仮にジョンとします。ジョンとは農業の授業が一緒でした。農業といっても実習はなく、座学を聞き続ける退屈な授業でした。
農業の先生のミスター ペイジは高齢でしたので、かなりの割合で自習になる事が多かったのです。ミスターペイジは体調を崩しやすいのか、授業の後半いなくなる事が多かったです。後は教科書を読むようにと言って教室を去るのでした。当然、その後の生徒だけの教室はだらけた雰囲気になります。
僕は生徒達の雑談に参加できるほどの語学力はなく、何が書いてあるかよくわからない教科書を忠実に読んでいました。時々、彼等に話を振られたら、片言の英語で応答するというような感じでした。
その時に僕が話す事はいつも同じでした。クラスの女子の誰が可愛いかという事を片言の英語で言うのです。それで最後は自分が童貞である事を自虐してオチをつけていました。
情けないかもしれないですが、そんな会話でしか笑いがとれなかったのです。
そういう会話はパターン化して、アメリカ人は自習のたびに、僕に話を振ってくるようになりました。それ自体、僕は嫌ではありませんでした。むしろ彼等に話を振られる事に喜びを感じていた程です。
けれども、ジョンが調子に乗ってきている事に僕は苛立っていました。
はじめは気にしないようにしていたのですが、僕だけでなく、日本人をバカにしているような素振りをみせはじめたのです。彼の話す英語ぐらいは僕にはわかりました。こういう人間が一人いると、もともと彼等にあるステレオタイプは増幅されるのです。僕は他のクラスメイトに伝播する事を恐れました。
「ヘラヘラしている日本人はバカみたいだ」
そう思う事は勝手ですが、言葉で表現するのは駄目でしょう。また、日本人だけでなく、アジア人を差別する時、彼等は両手で目を引っ張るポーズをします。ジョンはそんな仕草を僕がいるところでしていました。
すぐに僕は何かを言うべきだったのですが、ギラギラしていなかった僕は、それでもヘラヘラしていました。
ジョンの舐めた態度は言動だけではありませんでした。貸したものを返さなかったのです。ペンを忘れたと言ったので貸してやったらそれを返しません。1ドル貸してもそれを返してこない。
このままでは、僕だけでなく、日本人のイメージが悪くなる。そんな大和魂が僕の中で芽生えました。そして、その独りよがりな大和魂は短期間で曲がりながら育っていきました。
その煮えたぎった思いをどうしようかと考えていました。しかし、言葉に自信がありませんでした。片言の英語で怒っても馬鹿にされる可能性もあるだろうと悩んでいました。ところが、ある日、たまたまトイレにいたジョンを見た瞬間、腹が立ちました。僕は何のきっかけもなく彼を殴りました。
あれは喧嘩ではありませんでした。
小便しているジョンの横面を思いっきり殴りました。彼は放尿を続けたまま横に倒れました。
倒れた瞬間に、僕は彼の放尿をよけることなく、接近し止めを刺しました。下半身むき出しの少年の顔面に膝蹴りを2発入れたのでした。自分の膝も痛かったので、ジョンは相当痛かったと思います。
大和魂といいながら僕は卑怯な事をしたものです。格闘技の試合なら反則です。ジョンは僕よりも体のデカい白人でしたが、1歳年下だったのです。ましてや不意打ちはよくありません。
しかし、喧嘩などしたことのないミスターオクレのような僕は正攻法でアメリカ人に勝つことはできなかったと思います。
その場には数人の生徒がいました。人というのは、人が殴られている様子を見ると興奮するものだとその時知りました。彼らはかなり盛り上がっていました。ジョンが倒れている様子を見て、ギャラリーはUSAコールを始めました。彼らは闘いが見たかったのです。僕は焦りました。喧嘩になれば、僕の分が悪いと思いました。真珠湾攻撃よろしく奇襲でしか僕は勝てないのでした。
どうしたものかと逡巡している間に、ジョンがズボンをはき始めました。その姿を見た僕は不覚にも笑ってしまいました。あまりにもジョンの姿が情けなかったのです。けれども、すぐに僕は恐れました。ジョンの反撃が怖かったのです。怖かったので、僕は再びジョンに接近し、もういちど顔面を殴りました。それは簡単に当たり、そしてジョンは闘うことなく逃げていきました。
つづく。
◎アメリカの停学事情については改めて書きます。
一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!