手に入れたいのは、いつだって感情 :超えられない壁
簡単な事もできない人間など、価値なんてない。
1人で来ているのに、2人前持ってくるのはおかしいだろう。それを平気な顔で言い訳にする方がどうかしている。
俺は間違いに不寛容ではない。無意味なやり取りが嫌いなのだ。間違いなら素直に認めればいいそれだけだ。
俺と一緒に女が店に入ってきただと。笑わせるな。この店員、馬鹿の類いだな。
「いや。いいですよ。1つだけいただきます。この時期に冷やし中華を食べる事ができるのはありがたいです。楽しみだったのです」
外面を取り繕うのは簡単だ。思った事と逆の言葉を使えばいい。それだけで俺は「いい人」になれる。それでいて、旨そうに冷やし中華を食べれば、俺は「いいお客さん」なのだ。理屈なんていらない。正論も不要。正論を振りかざして主張する事ほど、相手の神経を逆撫でする事などない。
見た目もそうだ。必要以上に自分を大きくみせる事は、悪い印象を相手に与える。相手が俺を舐めてくれる方が俺にとっては好都合だ。そのほうが馬鹿を見つけやすい。
誰もが誰かより優れていたいと思っている。それに他の誰よりも、誰かの特別な存在になりたい。
そこに人間の弱さがある。
男も女もそうだ。
俺が女だったら、馬鹿な男を手玉にできるだろうし、たまたま男に生まれてきたから、馬鹿な女を利用しているだけだ。
目立てば期待される。期待される事を力に変えられる人間なら、誰もが納得できる生き方ができるかもしれない。例えば、オリンピックで金メダルをとるような生き方の事だ。しかしながら、そんな人間も完璧ではない。金メダルをとった後のインタビューで、スポーツ新聞の見出しのような上手いコメントをできる選手だって調子にのる。「常に私は応援されている」って思うのだろうな。
それが弱さになる。
何をしてもいい人間などいない。調子に乗れば嫌われるのだ。つまり期待されるという原動力を失くしてしまうんだ。くだらない事だが、それは本人にとっては死活問題だ。そして『女が選ぶ、嫌いな女ランキング』なんて下世話な企画の1位になったりする。
俺はそんな事はしない。目立つ事なんて不要だ。そんな事をしなくても、手に入るものは多い。苦労する事をわかっていて、不効率な事をしたり、不条理を受け入れるなんて俺からしたら噴飯ものだ。
面倒な事なんて他人にさせればいい。上手くたち振る舞うだけで、自分が手に入れたいモノを手に入れる事ができる。
俺が手に入れたいモノは満足だ。
金や名誉なんてモノはただの手段だ。確かに今の社会では、資力が十分になくては魂を支える事は難しい。しかし、富を目的にしては足る事を知る事ができない。得たいのはいつだって感情という事に気がつけば、富を得る事も容易になる。
では、俺にとっての最高の満足は何か?
それは征服欲を満たす事だ。
しかも静かにそれを得る事だ。決して目立ってはならない。
感情を得る事を目的にして、相互依存すれば立派な生き方だと称賛されるだろう。しかし俺はそれでは満足しない。根っからのサディストだろうな。他人が静かに苦しむ姿を見るのが堪らなく好きなんだ。
つづく