トシヤ              :超えられない壁

周囲の華やぎと、自分との間にギャップを強く感じてしまった。
それで俺はクローゼットで首を吊った。

正確な理由は自分でもわからない。母親のせいにする事もある。しかしながら、本当にそんな風に思っている訳ではなかった。

年度末の繁忙期で、俺はおかしくなっていたのかもしれない。残業や休日出勤が多い事に違和感を抱いていなかった。それが普通だった。あるいは、それが「最後の一押し」となってしまったのかもしれない。

桜並木を運転席から見て、平凡な風景が、桜の花に彩られている様子が憎たらしくなった。晴れやかな顔をしている人達が、集合体の虫のように見えた。完璧に取り除くのが不可能な数。そんな恐怖症は俺にはなかったけれども、幸せそうな顔々の一つ一つが気持ち悪くて、全て残らず焼き尽くしたいなどと思ったのだった。俺が車で走り回っているのに、世間は浮かれている。それが許せなかった。

前から「死にたい」なんて思っていなかった。
いや、思っていたのかもしれないけれど、気がついていなかっただけなのかもしれない。
いつだって、何かが足りないような気がしていた。
心の底の底から、自分ではない自分が「このままでいいのか?」と言ってきている感じがしていた。それは、遣る瀬無い夢であって、知りたくもない事かもしれなかった。適当に理由をつけたとしても、すぐに「心配してもらいたいだけの、甘ったれた事を言うな」と言われている気がした。

俺は恵まれていなかった訳ではなかった。
あるいは、上手くいっている方だと思われていたのかもしれない。
それでも未来に絶望したくなったのは、心の底の底の真ん中が、深くて黒く見えたから。嵌れば抜け出せないような恐怖を、自分の心に対して俺は抱いていた。

不思議と躊躇いはなかった。「本当にこんな事で死ぬのか?」とネットで調べた方法を疑うぐらい、冷静だった。
サクラや母さんの事を考えないわけではなかった。
だから、今になって後悔している。後悔し続けていた。
それでも、不思議と心が自由なのは、そういうフリをしているのかもしれない。そう思っておけば、それなりの理由がつくと思っている自分がいる。

タチバナさんに視つけてもらって、母さんが謝り続けていたトシヤ君が現れて、俺は心が軽くなったのに、ふとした瞬間に心が暗くなる。

「もしかして、心がまだ重いの?」

突然現れた幽霊に言われたわけではない。ただ、何かを見透かされている感じはした。的確な表現ではないかもしれないけれど『格』というものが違う気がしたのだった。

つづく


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中島亮
一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!