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リエコとカオリ       カオリ:超えられない壁

『死んでいる女』は相変わらす呆然として「そうかもしれない」とため息に似た言葉を漏らした。街を歩いていたケンイチは、どこに立ち寄る事もなく『生きている女』と別れた。私がケンイチと付き合っている時からそうだった。そんな隙間の時間しか会えない事が少なくなかった。

「そういえば、なんで『私も冷やし中華を』って言ったのが店員さんんに聞こえたのかな?」

気になったから『死んでいる女』に聞いてみた。死んでから間もない私は、生きている人間に視られた事がない。私よりも先に幽霊になった彼女なら、何かを知っているかもしれない。少し期待してみたが、おそらく彼女は「わからない」と言うだろう。それでも彼女の事が知りたい。私は彼女に親近感を持ち始めているのだと思う。

「わからない」
やっぱりね。
「自分の名前もわからない?」
「リエコ。それは憶えている。そういうあなたは?」
「カオリ。名前は憶えているんだね」

不思議だ。少し前まで私は彼女と言い合いをしようと思っていたのに、争う気が失せた。「死んでも鬱陶しい女だね」と言われた事を忘れた訳じゃない。しかし今、私はリエコに同情している。死んでいる私は不安なのだろう。同じ境遇の誰かといる事で安心したがっているだけなのかもしれない。

「ケンイチって最低の男だね」
「そうだよね」

死んだ後もこうして誰かと話ができる事が妙に嬉しい。たとえリエコがケンイチと関係のある女だっていい。どうせ私達は死んだんだ。私は病気で、そしてリエコは殺されたのかもしれない。私はリエコの事をもっと知りたい。

「他に憶えている事ってある?」
「カオリ以外の女の子の事。彼女も2年ほど前に死んだ。ケンイチを問い詰めていた彼女のお姉さんも最近死んだ」

ケンイチは、パーキングに駐車していた車のドアを閉めた。私が死ぬ前から乗っていたアメリカの車。リエコと私は当たり前のように2列目の座席に座った。足元は十分に広く、頭上空間から一切圧迫感を感じない。生きている時は運転席の右にしか座ったことがなかったが、2列目の方がリラックスできる事に気がついた。今はその助手席に誰も乗っていない。

「それって何で憶えているのかな?」

私は窓の外を見た。駅の近くの高速道路の入り口を目指しているようだ。他の車からの視線を感じる。私達を見ているのではない。この車は一人で乗るには、もったいない程大きいから注目を集めやすい。私が助手席に乗っている頃からそうだった。

「もしかしたらなのだけど、リエコはその女の子とお姉さんが死ぬところを見たんじゃないの?」

リエコの記憶が残るのが、怒りが醒める瞬間からだとしたら、そう思うのは当然の流れだ。

「彼女達は自殺したと私は思っていたけど......」
「どういう事?」
「飛び込んでいたから」
「リエコは、ケンイチから離れられないでしょ?そうだとしたら、ケンイチも2人が自殺している所を見ている事になるね」

車は市街地から北の方に向かっている。空が暗くなり始めてきた。行き先はどこだろうか?

「ダムだよ」

えっ?私は鳥肌が立った。ケンイチが私が思った事に答えるようにしゃべった。偶然だよね?

続く


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中島亮
一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!