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やりたいことが分からない悩みの方が深刻   :創作

やりたいことが出来ない悩みよりも、やりたいことが分からない悩みの方が深刻らしい。いずれにしても、悩みはあって当然だ。それは生きている証とも言える。
ただ、あえて言わせてもらえば、やりたいことなど幻想だ。それがなければ、人生が無意味だという訳ではない。あったとしても、やりたい事をしている自分に満足するだけの材料でしかない。

タケムラはその点、割り切った生き方をしている。やりたいことが明確でなくていいと思っている。それでも、自分という生き方を無意識に体現していた。
大袈裟に言えば、タケムラは、誰かに尊敬されたくて生きているだけのようだ。弱きを助け、強きを挫く生き方に憧れている。そんなバカげた生き方も間違いではない。また、タケムラとは違って、やりたい事をやっていると思いこんで生きる人も正しい。

「人生で一番大事な日は2日ある。生まれた日と、なぜ生まれたかを分かった日だ」
というトウェインの言葉を引用して、やりたいことを明確にするように説教してくる人も正しい。

誰もが正しい生き方をしている。なぜなら、生きているからだ。昨日、正しい選択をしたから、今日を生きている。それでいいのではないだろうか?生き方とは現象の事。だからこそ、他人のそれに、ケチをつけるのは野暮なだけだ。

トウェインはこうも言った。

「あなたの大きな夢を萎えさせるような人間には近づくな。たいしたことない人間ほど人の夢にケチをつけたがるものだ。真に器量の大きな人間は自分にも成功できると思わせてくれる」

もし、やりたいことがわからなくても、その事を責めてはいけない。その人は、過去、誰かに、やりたいことを誰かに言って、ケチをつけられたのかもしれない。ハッキリと、やりたいことを言えない人間の方が多い。自分で真実を隠している場合がある。

勇気を出した人間を見捨てるとはお笑い草だ。それならば、自ら馬の後ろに立って蹴り飛ばされてやろう。
タケムラはそう思った。勿論、それは打算的な心持ちだ。より巨大なモノに立ち向かうヒロイズムに、彼は憧れているのだ。だが、英雄とは、その行為が偉大だからではなく、評価の事だ。求めるのではなく、与えられる公の称号の事だ。タケムラは大きな勘違いをしているようだ。

彼が、立ち上がって叫ぶべき時が来たと思った理由は、後輩のニイナと同行した時の車内で、こんな話をされたからだ。

「今回の事は、間違っていると思うんです。それなのに同調圧力ってやつですか?疑問を持ちながら、多分、みんな、それでもいいかと妥協していると思うんです。こうなったら直談判するしかないですよ。課長に相談しても、部長に進言する事に否定的でしたし......」

タケムラは、その背景に隠された力関係などに興味はない。不満を言う事が許されない、職場の雰囲気にタケムラも気がついていた。ニイナもそうだと言っているのだから、自分が旗振り役を買って出ようと疼いたのだった。

「よし。俺が言いにいこう。その方が会社のためになるだろうし」

ニイナは決してタケムラに期待していたわけではない。むしろ、ニイナはタケムラの事を舐め切っていた。マウンティングの手法だ。「自分は、このおかしな状況を変えようと、行動していますが、先輩は何もしないのですか?」そういう事を彼は言っているのだ。

「えっ?誰に何を言いに行くんですか?」
予想外のタケムラの返答にニイナは目を丸くした。

「決まっているだろ?常務にだよ」
そうは言っても、タケムラと常務、他の役員の誰とも接点はない。そればかりか、彼は、常務の立ち位置についてよくわかっていない。では、なぜそんな事を言ったのかというと、意地だった。鈍感であるが、本能でニイナにマウントを取られた事に対抗しているのだ。

「それは……やめといたほうがいいですよ」
ニイナの本音だ。それが、普通の感覚だ。

「心配すんなって。きっとわかってくれるはずだ」


ニイナが退職した。その話を、本人の口からタケムラが聞いたのは、有給消化に入る前日だった。つまり、出勤最終日だ。

「先輩にもお世話になりました。ありがとうございました」

それだけだった。タケムラからすれば、聞きたいことはあったが、例の件とは無関係だという事は、部長から聞かされていた。

「これから何をするんだ?次は決まってんのか?」

「実家の家業を継ぐことになったんですよ。というか、そう覚悟したんですよ」

それじゃ、俺だけが会社に反抗した事になるじゃねぇか?という言葉をタケムラは噛み殺した。鈍感な彼でも、ニイナに非があるわけでないのはわかっている。
ニイナに焚きつけられた訳でもない。カッコつけたくて、常務に突訪したのはタケムラの意志だ。

ニイナはそんなタケムラの心境を推し量る事をしない。というより、退職する会社の些細なことなどどうでもいいと思っているようだった。
実家の家業と言っても、商店ではない。それなりの規模の会社だ。ある程度の人脈作りが出来たので、いい時期だと思って、彼は決断したのだった。

ニイナの場合、目的が明確だった。感情や状況に左右されることなく、着実に「やりたいこと」を実現している生き方なのだ。その事で、十分な充実感を得ているのだった。

「そうか。いいよなお前は」

そう言ったタケムラの言葉を無視して、ニイナは帰っていった。

タケムラは、孤立していた。それは、常務に直談判してから、あからさまになった。
周りからは、何も考えていない社員というレッテルを貼られていた。
ただ、人柄がいいというだけの、薬にもならない特徴だけで、暴走するヤバい奴。



タケムラのやりたいことは何だろうか?
なぜ、人から尊敬されなくてはならないのか?
それを知るには、まず、タケムラが自覚しなければならない。そう思っているのに、誰からも尊敬されていない事実を受け入れるべきだということだ。

彼が満たしたいのは、承認欲求だ。それが満たされると、気持ちがいいから彼はそれを求める。

では、その欲求を満たすには何をするべきなのか?
今から、何をすればそれができるのか?
何ができていて、何ができていないのか?
一番簡単にできる事は何か?
それは、いつまでに達成できるか?

感情を満たす事を、直感だけで失敗するのなら、論理的に考える事も必要だ。

生き方に正しさはない。すなわち、間違いはない。
しかしながら、どっちの方がいいか?という選択肢は常にある。

どっちも選ばない、どっちも選ぶという選択肢もある。

選ぶ時に妥協する事もある。無意識に選ぶこともある。

それでも、選び続けているのだ。

選択の結果、満足も不満も、喜びも、嫉妬もする。

昨日の選択肢が正しかったから、今日を生きている。

それだけで満足できるなら、それでいい。

しかしながら、選択は瞬間的だ。

今、それを意識的に選択しているか?

その事で、何を得ようとしているのか?

それを選べば、明日生きている自信はあるのか?

気休めで誤魔化してはいけない。安心している場合じゃない。

生きている事は正しい。

それは、死んだ人間が間違っていたという訳ではない。

せめて、生きている間は、気休めでそう言いたいだけだ。

甘い言葉に甘えていては、何も得られない。

何も考えなければ、タケムラのように、孤立するかもしれない。


おわり

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!