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自惚れはその通り。        :超えられない壁

俺は熱い湯船に足をつけるように、そぉっと岸際に入った。なんとなく、このダム湖は不気味だった。『カオリと名乗る女性』に命令されたのだから仕方がないが、水に濡れるという事が嫌なのではなく、無念や苦しみが渦巻いている感じがするのだった。

「大丈夫。君にしかできないの。少し顔をつけるだけでいいよ。すぐにカエデさんの方が声をかけてくるから」

彼女の言葉は無責任だと思ったが、他に俺ができる事はない。膨らんだ鞄に無理矢理荷物を入れるように、俺は自分を納得させた。
水の中は思った通り冷たかった。生暖かいよりもマシだと不意に思いながら、そういえば俺がサクラと言葉を交わしていない事は不自然だと思った。彼女も俺の姿が視えないのだろう。そこにいるとわかっているのに、俺も彼女もお互いに視る事も感じる事もできない。

自殺ね。

彼女がそんな選択をした事に、後ろめたさを俺は感じている。自惚れかもしれないが、俺が自殺した事が原因のひとつだと思うと申し訳ない気持ちになる。自分がそうだったように、彼女もその選択をした理由をはっきり答えられるのだろうか?
自分に投げかけた疑問の波紋は、次々と新たな疑問を呼び起こす。
もう「なんで」と考える事を止めた。
自殺した自分を、自分で責める事は止めた。
現に死んで、ずっと同じ場所に縛られていたのだ。そういう事なのだ。自殺は罪だったのかもしれない。自分が自分に科した罪だ。
だから自分を許すことで、自由になれるのだ。

「トシヤさん?」

試すように顔をつけた瞬間だった。不意に水の中から声が聞こえた。
『カオリと名乗る女性』が言った通り、カエデちゃんがすんなり見つかった事に拍子抜けした。

「いつからここにいたの?」

間抜けな質問だが、俺の口からこぼれたのだ。仕方ない。

「さぁ。私って死んだのかな?」

「少なくとも自殺じゃないと思うよ」

「あれ?あそこにお姉ちゃんがいる」

「視えるの?」

「視えないの?」

そう言われてから気がついた。
まだ生まれたばかりの赤ん坊の頬に、理由のない涙がころげ落ちるように、花弁がクルクルと落下してきた。
俺は見上げた。
極端な事を言うと、ほんのり淡いピンクに瞬いている無数の花弁が、空を埋め尽くしていた。
すぅと視線を戻すと、タチバナさんの前にサクラがいた。
サクラは俺よりも先にカエデさんの名前を呼んだのだった。

つづく


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中島亮
一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!