今年のチェリーは騒がしいか
懐かしいという感情は、痛みが少しだけあります。昔、流行っていた歌をふとした瞬間に聴いてしまうと、そんな気分になります。
その頃に一緒にいた人たちを思い出して、『二度と戻れないくすぐり合って転げた日』を悲しむからでしょうか。
スピッツのチェリーのことです。思い入れがある歌でもないですし、スピッツの事が特別に好きなわけではありませんでした。けれども、若いころに何度も聴いたことがあるのです。チェリーが発売された中学生の頃はもちろん、カラオケによくいっていた10代後半から20代前半に何かしら聴こえていました。20年以上も前の事です。いつでも、誰かがカラオケで歌っていました。何回か聴くうちに、歌詞を覚えて僕も何回か歌った記憶があります。チェリーを聴いたら思い出すのです。あの頃の思い出は甘美でありながら、どこか痛いのです。
僕が歳をとったからでしょうか?
歌詞にある、『騒がしい未来』とは今なのかと思いを馳せます。
あの頃の僕が、38歳の自分をどう想像していたかというと、なにも考えていなかったと思います。ただ、何となく期待していたかもしれません。「いつの間にか、よくわからないけれど、凄い自分になっていたらいいな」みたいな事は思っていたと思います。それが今年の自分であれば、『ズルしても真面目にも生きてゆける気』がします。
とはいえ、今の僕自身はそれほど『騒がしい未来』を生きている感じはしません。むしろ、あの頃までは遡りませんが、過去の出来事の方が騒がしかったと思います。そういう意味では、今という時間を評価するのは、少しだけ先の自分なのでしょう。
何者でもない僕ですが、それなりに自慢したい出来事もあります。逆に言いたくない過去も、言う必要のない事もあります。そういう事の一つ一つが集まれば、あの頃の自分にとっては、『騒がしい未来』に当たるのかもしれません。
ただ、『愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ』と思えるほど、僕は情緒たっぷりな人間ではありません。むしろ、万が一、妻からそんなこと言われたら、「おぉう」か「あぁ」ぐらいしか発音できません。まだまだ『チェリー』なのかもしれません。
少しの痛みがあるとはいえ、楽しかった記憶を思い出すのはやはり楽しいのです。それを自分以外の誰かと共有できたらもっと楽しいでしょう。
いつだって、『いつかまたこの場所で君とめぐり会いたい』と思ってもいいのではないでしょうか。
一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!