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創作:知りたいのは君のことじゃないのかもしれない

雨が降りはじめたのに、案外空は明るい。雨の匂いはアスファルトの芳香油。空の明るさと同じぐらい、薄く伸びるほのかな香り。

灰色の薄い雲の切れ目からは、青色の空が遥か高い位置に見える。それに比べると、高校の校舎は当然のように低い。それでも、たった今出たばかりの校舎を振り返って遠くに感じるのは、リョウの心が現実を見ようとしていないから。

「あいつって何者?」

そういう言葉でもいいから、誰かが気にしてくれる事をリョウは望んでいた。自分にコンプレックスを感じ、その解消法は、謎めいた存在になる事だと仮定している17歳。普通の人だと思われる事を怖れ、社会の歯車になる事を拒絶し、それでも何をしていいのかわからない若者は、ただ空を見上げて、雨ではない何かが降ってくるのを期待するだけ。数えきれない雨粒の恩恵など見向きもせずに、リョウはあり得ない現実と、自分ではない存在になりたいという妄想ばかりをする。その妄想は自分に都合のいい解釈ばかり。星占いのいい事しか信じないという、生易しい事ではない。それを放置すれば何十年の人生を浪費する事になるのだ。

「今から帰るの?」

遠い日の思い出のような切ない声が聞こえた。振り返らなくてもわかる。タカヨの顔が思い浮かんだ。

だが、それも妄想。

そもそもリョウは、フクシマさんの事をタカヨと呼んだ事なんてない。ただ一方的に好きなだけ。彼女の笑顔を見た時から好きになった。
恋に理由がないのは、打算的ではないから。特に少年は、恋と性を分けて考える事がない。それ故に、昇華できない少年の恋というリビドーは、妄想に逃げ込むのだ。

雨の匂いは、アスファルトの芳香油。しかしながら、いつの間にか、雨の匂いは、雨でかき消されていた。

リョウは英語が得意でも、アメリカに憧れているわけでもない。

どこかに行けば全てが変わると期待する事だけが、救いだと自分に言い聞かす。

「アメリカに行きたいか?」

クイズ番組で聞くような台詞を、父親がもっと低いテンションで聞いてきた。質問はいつも命令。留学という箔をつければ、父親は自分の無能の化身を隠せるとでも思っているのだろう。もはやリョウは父親に何も求めていない。そして、逆らう事もない。

他の誰かなら、そんな機会を大事にするのかもしれない。或いは、望んでも叶えられない事もあり得る。1年間、他の国に住むと聞けば魅力的に聞こえるが、長い時間を、他人の家に住むという事が、リョウは耐えがたい苦行に感じた。

とにかく明日が終業式。
そして1週間後には、リョウは知らないアメリカの町にいるのだろう。どのみち明日が終われば、夏休みが2回終わらないとフクシマさんに会う事ができない。
彼女への妄想は、帰り道で偶然出会うという他愛もないものから、性的な事まで思い浮かべる。時には人類滅亡のような危機に、彼女を助ける事も考える。
せめてフクシマさんの住所を聞くことができたのなら、手紙を書く事ができるのに。
始まらない恋は、終わる事を知らない。そして、初恋というのは、人の人生を左右するものだという事をリョウは知らない。
初恋が終わらないままでは、大人にはなれないのだ。

普通と言われる人生は幸福。誰もがとるに足らない不幸を自慢して、特別な人間だとアピールする。まるで不幸を陳列し合う展示会。誰も彼も自分の商品を並べるのに忙しく、隣人が並べる商品を眺める余裕など持たない。

夏のはじまりはゆっくりと。それなのに、8月に入ればもう夏を振り返り始める事になるもの。

教室の窓は空いている。揺れるカーテンの切れ目から、青色の空が、開放的な明日のように見えかくれ。
リョウは空を見る事なく、フクシマさんの姿を確認しただけで、そのまま席に座った。

理解をしてほしくても、理解はしたくない。同級生の何人かとは話をするが、リョウは誰の事も友人だと思っていない。それは、孤独の演出。寂しさこそが若者の本質であり、寂しさを手放すために若者は必死だ。しかしながら、あえて寂しさを誇示する若者は少なくない。

タカヨの笑い声が聞こえた。
チャンスと勇気を使いこなせないままでは、寂しさは妬みと憎しみになる。卑屈な人生ほどの悲劇は他にない。
そういう予感を少年は感じながら、臆病な自分を孤独のせいにしたいのだ。



「今から帰るの?」

妄想は妄想の墓場にたどり着いた。このまま帰ったとして、できる事といえば、せいぜい電信柱に落書きをする事ぐらい。いつか、フクシマさんがリョウが書いたものだと読んでくれると期待するだけで終わるのだ。

「ねぇ。聞いてる?」

今日は晴れている。

「嫌な感じ。ちょっと、待ってよ」

戸惑いを隠すための行動だ。リョウは、諦めかけた自分に既に負けており、妄想と現実の境い目があやふやになっていた。

「なに?なんか用?」
男には2種類。少年か、男性か。平然を装うことができないのが、少年であり、装わないのが男性だと思う。装う事ができるのは、少女であり、女性かもしれない。

「アメリカに行くんでしょ?もしよかったら、これ。手紙書いてよ」

渡されたノートの切れ端には住所が書いてあった。



山がないから、空が広くみえる。田舎町の空の青色は、深すぎて逆に近くに感じた。
それは、リョウが少しだけ現実を見られるようになったから。

リョウは勇気を試すことはできなかったが、チャンスは手に入れた。

買ったばかりの便箋を前にして、「フクシマさんへ」なのか、「タカヨへ」なのかという事に、リョウは悩んでまだ1行も書けないままでいた。


終わり





一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!