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サリンジャーの映画を観て触発されたので

とにかく書いてみる。
noteを使うのは、発表のためではなくて、
複数のデバイスを横断して使いたいから。

REBEL IN THE RYE
ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー

その彼には、書くことだけが生きる救い。
発行も売れゆきも彼の魂には無関係。
戦争でノルマンディー上陸作戦に参加して、目の前でヒトの死をいくつも見て、ナチスの所業も収容所の開放も目の当りにして、精神を病んで、

それでも

戦火のさなかにも書き続けた。
震える手で鉛筆を握りしめて。

その状態。

病んだ後は瞑想に救われた。

瞑想か、書くか、世間から隔絶された環境で家族にも自分を閉ざしたまま。
少しだけ、月と六ペンスの主人公の晩年に似ている。

その状態を創ってみたい。
どんなに金に追われても、ただひたすら書く生活。
これはその始まりの文章だ。
記念すべき大いなる駄作の一歩目だ。


作中で何度も触れられていた、「作者の声」

声とは何か。

自分の発する声が、作品の中に表出されているかどうか。
なら、もっともっとスタイルを氣にすることなく
感情のままに書き殴ることから始めるべきか。
ブレインダンプも、体裁は無視して、ただひたすら書くことだな。
ちょうどあの「恨み帳」に思うさま思いをぶつけるときのように。

だが、まずいことに感情が動かなくなっている。
失業者・ひきこもりの生活が長くなると、
虚無と深淵覗きの刹那しか、心に反応が起きない。

もう少しだ。

アナキズムの根底を支える「生の拡張」と「相互扶助の本能」
生活がそれだけになるまで、もう少しだ。
小さく前へ倣えしながら自分に植え付けてきた数々の洗脳をリリースして、
ほんとうの感情と身体感覚だけで生きる。その暮らしを取り戻す。

虚無。

怖れを捨てればそこには虚無と深淵。
それだけを視ろ。

やりたくないことはボイコットだ。オールボイコット。

理由なんか要らない。

厭なものは厭でいい。

サリンジャーと栗原康さんで暮らそう。
食べなくてもいいや。

うん。それでいこう。
ソレが楽だ。たぶん。

指が痛い。

指が痛い。

右手の中指が根元から痛い。

ああ、仕事辞めるって言うつもりが
妥協してしまった。
痛いけど明日も行かなければならない。
あのバカみたいな収納ケースの重たい抽斗から重すぎる病衣を紐に手をかけて引っ張り出す。多分あの作業でこの指を痛めたんだ。
アレを誰か代わりにやってくれないか。
いや、もう、ほんとにやめよう。
やめないと死ぬ。
だからやめよう。

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