色づく未来で好きに生きようと思う
「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」
その年のNPB日本シリーズ 巨人vs西武の第2戦。当時4番のアレックス・ラミレスが左中間にサヨナラホームランを打って巨人がサヨナラ勝利を収めた。
小学校2年生の頃だった。
はじめて野球をテレビで見た記憶だった。今でも鮮明にその当時の映像が記憶に残っている。
ちょうどその頃、近所にキャッチボールができる公園が新しくできて、父親とキャッチボールをした。
野球が大好きになったけれど、チームに入る勇気はなかった。
5年生になって引っ越してきた友達が一緒に入ると言ってくれてようやく勇気がでてチームに加入した。
しかし、その友達は1年でまた引っ越してしまった。
みんな上手で生き生きとした姿で野球をやっているのに対し、毎回試合前の円陣でスタメン発表の時、名前を呼ばれるのが怖かった。迷惑をかけたくなかった。
毎日が野球と巨人だらけだった。
野球をはじめてから毎日友達と公園で巨人対阪神のオーダーを再現しながら野球をして、6時までには家に帰ってきてお風呂を済ませてテレビの前で巨人の選手のモノマネをしながら試合を見た。
土日には午前と午後、公園と空き地でホーム球場、ビジター球場と評してダブルヘッダーで試合をしていた。
今はもう芝生は剥がされてしまって、砂利の公園になってしまったし、今通っても昔はホームランにしていた柵がショートの定位置くらいに感じるくらい小さかった。
そりゃそうか、と思いながらも少し寂しかった。
あの時は友達と毎日野球をする時間だけでよかったし、巨人が試合に勝てばその日はハッピーな日になっていた。
毎日が楽しかった。それだけで居心地がよかった。
あの時は自分がそれで楽しかったからよかったし、ゲームが禁止の家だったからそれしかやることがなかった状況で、楽しめる方法、楽しめる友達を探してそれが正解だと思って毎日を過ごしていたし、それだけで十分幸せに過ごしていた。
小さい頃の思い出なんてそれしか記憶になくて。ヘキサゴンも見てなかったし、はねるのとびらもどういう番組なのかすら知らない。世代であることを最近知ったくらいだ。ギリギリ黄金伝説だけは記憶にある。ワンピースもドラゴンボールも見たことがないし、ディズニーなんて微塵も興味が沸かなかった。
友人との会話に出てくる昔話には今もついていけてないけれど、それでもいいと思うくらい公園で友達と野球をすることと巨人を応援することが特別で宝物だった。
でもどこからか、わからなくなった。
高校3年生の春季大会で逆転満塁ホームランを打ったことより、最後の夏の大会、最終回打てば逆転の場面で三球三振をした瞬間が今でも夢に出てくる。
帰ったら少年野球から高校野球まで熱心に応援してくれていた母が試合の録画を見て泣いていた。
志望校に合格した高校受験より、センター試験で失敗して志望校を諦めざるを得なかった喪失感と自分への失望が忘れられない。
なにもかも受け入れてくれていた人と過ごした青春よりも、その瞳が真っ直ぐ未来を見ていて、その目線の先には自分がいないと気づいてしまったこと。いなくならないと、と思った瞬間が忘れられない。
気づけば、解決しない後悔やわかりにくい悩みが増えた。
3年前の11月、人生ではじめて音楽LIVEに足を運んだ。
コロナ禍ではあったものの初めての音楽LIVEで席も前から4列目ということもあり、好きなアーティストが音楽を奏でて大勢の人と空間を共有できている体験は格別に感じた。
そこから何度かLIVEに足を運んだ。ライブが楽しみになった。色んなアーティストのライブにも足を運んだ。
音の中になにかを探していた。
ライブの瞬間だけはわかりやすく居心地がよかった。
それから1年後の2022年11月4日。
楽しみにしていたアーティストのLIVEの前日、はじめて心から応援したいと思った人が恥ずかしいという感情を残したままグループから旅立つ報告が目に入ってきた。
正直、もっといて欲しいと思った。
なによりも自分でも驚いてしまうくらい悲しみの感情が渦まいている事実に驚いていた。
でも、変わらずLIVE当日の朝になった。
ライブ後に控えていた卒業シングルの初披露生配信をライブが終わって幸せそうな顔をして会場を後にしている人々の波に飲まれながら、必死に、こぼさないように、食い入るように見ていたけれど、あまりの人の多さと雑音で、全てを受け入れることができなかった。ただ状況が呑み込めず涙を我慢することしかできなかった。
そんな瞬間に、うんざりしてしまう。
たかが一巨人ファン。試合の結果に毎日一喜一憂しすぎている自分に腹が立つ時がある。純粋に応援出来ているファンや順位とか関係なく楽しそうにしている人を見ると羨ましいとすら思う。
応援している人が卒業を発表した時、SNSを見ると様々な反応を目にしたけれど、その全てが自分より愛を持って見守ってきた人達の言葉に見えたし、長い期間応援して続けているわけではなかった自分がショックを受けていることさえ、いけないことなのではないかと思ってしまった。
そんな、なにか自分にとって大きなことがあっても誰かにとってはもっと大きなことだし、誰かにとってはどうでもいいことで、そんな自分が置かれている状況と関係なく日常は続いていくし、変化を嫌う自分に変化を強要させてくるような世の中にも時折うんざりしてしまう時がある。
どんなに嬉しい事があっても負の感情が覆いかぶさってなにもかもが嫌になってしまう自分が嫌いだった。
自分のボンネットを開ける作業を避けて生きてきた人間だから、ずっと自分の感情のしまいどころがわからなかった。
どこが壊れているのかもわからなかった。
彷徨っているような気がした。
それでも必死に生きてきたと思っている。
上手く適応しようとしてきたとも思う。
居心地の良い場所を常に探していたのに、いつの間にか居心地のいい場所は減っていて、居るのが難しい世界が増えていた。生きづらい場所になっていルことに気がついた。
でももう、それでいいと思っていた。
そんな中、2023年3月18日、オードリーのオールナイトニッポンのラジオイベントの開催が発表された。
「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」
開催日時は2024.02.18。
僕の誕生日だった。
23歳の誕生日。
高校2年生から誕生日を毎回目の前で祝ってくれていた人はLINEでの祝福のみであったことがわかっていたことだけれど寂しかった。
1人で過ごすことになっていた誕生日に大好きで尊敬する人たちの特別な瞬間を目にすることができるのがとてもとても幸せだった。
それも開催地が東京ドーム。
本当に嬉しかった。
東京ドームには何かと縁があった。
数年前に応募してご縁があって1年間やらせていただいた東京ドームのプロ野球のボールボーイ。真剣勝負が行われる空間の張り詰めている空気は客席で見て感じる空気感とはまた違った特別な空間だった。
飛鳥ちゃんは10年間のアイドル人生最後の姿を東京ドームのステージに置いていった。はじめて東京ドームで開かれるライブを見に行った。
会場の声に、ステージの真ん中でイヤモニを外して幸せそうに耳を傾けてくれる姿が愛おしかった。グループへのとびきりの愛を、我々にその覚悟を、真っ直ぐにぶつけてきた。
大谷翔平は誰よりも熱いパッションで日の丸を背負って戦う姿を見せてくれた。世界一の選手だと証明して、さらに野球の素晴らしさを体現してくれていた。
あの場所で受け取る感情は時に単純で、時に複雑だけれど、あの場所は僕にずっとハレの日を用意してくれている。
そのハレの日が存在するにはたまらなく退屈なケの日々を腐るほど過ごさなければいけないことくらいわかっているけれど、それでも居心地が良くて心がわかりやすく動かされる瞬間を望んでしまう。
幸せなのかはっきりわかるあの空間が存在する意味がわかるんだ。
そんな退屈なケの日々に居場所を与えてくれたのがラジオだった。
大学1年生の時instagramのストーリーで夜中課題をやりながら聞けるラジオ番組を募集して様々聞いた中でたどり着いたのがオードリーのオールナイトニッポン。
なにも考えずに笑える時間が毎週同じ時間に訪れて、自分とは決して交わることのない誰かの日常に耳を傾けていると安心した。
退屈なケの日々の中にも居場所をくれた。
ここに帰ってくれば安全なプライドだとわかる。
そんな空間をずっと変わらず与えてくれた。信じていたかった。
そこから若林さんのエッセイも読んだ。
味方がいると感じれることが嬉しかった。テレビをあまり見ない自分が、出演しているバラエティ番組を見始めた。大きな変化だった。
たりないふたりも何度もみた。同じと捉えることは烏滸がましいけれど、似た思いをしている人がいるんだと励みになった。
人生しんどかったあの時、あの最後の漫才で確かに救われた人のうちの1人。
背伸びせず竹槍で攻め続けてる背中とアップデートしようとしてるその背中をずっと追い続けている。
Creepy Nutsにも出会わせてくれた。
Lazy Boy のなか止まる時間なんてないこと、その時間の中、得たものもあること。幸せもあること。
Bad Orangez で、それまでは見えなかったものが見えたこと。
かつて俺らは天才で、のびしろしかないって人生を肯定してくれた。
普通に生きて生活を続けてるだけでも立ち止まって振り返ってができないまま過ごしているのに、分刻み秒刻みで生きている2人は尚のことだったと思った。その中で、楽曲では多彩な景色を見つけていた。
たりないふたりだといっていた二人はなりたいふたりだった、すごく色づいていた。
かっこよかった。
バラバラだと思っていたものは全部線になって繋がっていた。はじめて音楽ライブに足を運ぼうと思わせてくれたのもCreepy Nuts。
あまりにも大きな変化だった。僕にとっての新しいハレの日だった。
少しずつだけど確実に、日常の変わらない景色に色がついていることを実感していた。
2024年2月18日を迎えるまでもいろんな日があった。あいも変わらずケの日々が続いた。
でもただ、ラジオを聴いていたし、そこだけは頑固にぶれたくなかった。
ただただ幸せな空間だった。あの日目にした景色は、受け取った笑いは、溢れ出した感情は、一生、僕の心に刻まれ続けると思う。
東京ドームに立つ2人の姿に、ただただ憧れの眼差しを向けるだけだった。
拍手喝采の中、センターステージに迫り上がってきたラジオブースまで向かう姿に、涙が止まらなかった。この人達に救われてきていたのだとはっきりと分かった。自転車に乗ってドームを一周している時の生き生きとした顔を見た時、思わずニヤけてしまった。あぁこの人今日は好きにやってくれるんだろうなって。映画のパロディで楽しそうにいつも通りゆっくりと歩いて誇らしげな顔をしている姿に自然と笑顔になるのに涙が止まらなかった。
「ラジオやります」の一言で始まった2人のラジオ。
オープニングトークに2人のトークゾーン、ショウパブ芸人のコーナーに春日vsフワちゃんのプロレス企画、若林さんのDJとLight Houseの2人、ひろしのコーナーにしんやめ
あの大きな会場で紛れもなく、オードリーのオールナイトニッポンをやってくれた。
そして、最後の漫才。
やりたいことが詰め込まれた30分の漫才が"感謝"をテーマにした漫才だったことがオードリーらしくて泣きながらも笑いが止まらなかった。
全員がラジオを信じていたんだと思う。
それが表現されたライブだったように感じた。
自分は真っ直ぐにその思いを受け取れただろうか。
2人が信じているラジオを同じように信じることは出来ているだろうか。
ラジオに救われた人になにかを伝えることはできていただろうか。
退屈なケの日々に居場所をくれた周波数の先にはこんなにもたくさんの人がいて、こんなにも大きな笑いと大きな愛に満たされているんだなと嬉しかった。
ありきたりかもしれないけれど、一生忘れないライブになった。
一粒どころではないアメーバを残してくれた。
いつもとは違う星に紛れもないホームを作ってくれた。
あんなにもずっと心が躍り続けていた夜がいままであったのかなと今振り返っても思う。
あの瞬間、あの感覚、あの時流れた涙。全部全部忘れたくないと思った。
でも、ライブにたくさん通うようになってわかったこともあった。
日常はそれほど大きく変わらない。
それでもこの記憶ともらったお守りは大切に自分の中にある。それだけは確かで日常の中にこれからもお守りがあり続けることだけが小さいけれど大きな変化だった。
好きなものを真正面から愛せばよい。
世の中それだけでいいと思ってしまうけれどそううまくはいかなくて、そんなことは流石にとうの昔に理解しているつもりで、全部全部が現実どころか、超現実で、たりない日々にのびしろがあるんじゃないかと期待して生きていくことで少しでも前に進もうとあがくしかないんだなって。
この2人が教えてくれたから、
退屈な日々が彩る方法を、
知れたから、
モノクロに見える世がその一瞬でも色づくこと。
色づく未来も存在するってこと。
まいったね。
最高にトゥースなボールを受け取っちゃったよ。