【美術展2024#70】Nerhol 水平線を捲る@千葉市美術館
会期:2024年9月6日(金)〜11月4日(月)
千葉方面にちょっとした用事があり、都合がついたので気になっていた千葉の美術館・博物館をいくつか回ってみた。
まずは千葉市美術館。
千葉への用事が無かったとしても訪れたであろうNerhol展。
現物を初めてみたのは「VOCA展2020」だったか。
画像で見るだけでは決して伝わらない立体感のあるマチエールからは、紙の素材感はもうほとんど感じない。
水面下の歪んだ図像のような、写真とも絵画とも彫刻とも言えない不思議な世界観は強烈なインパクトがあった。
VOCA賞を受賞したその作品は今回も展示されていたが、残念ながらその作品を含んだ第一室は丸ごと撮影不可。
初期の頃はカッターで切っていた層の断面は次第にノミで荒々しく彫り落とすスタイルに変化していく。
写真の層を接着剤で固定してから紙の塊を掘っているのかと思ったら、固定せずに掘り、その後に一枚一枚貼り付けているとのこと。
手間はかかるが切断部分の複雑さ、自由さ、柔らかさなどはカッターナイフ期よりも圧倒的に強い。
昔、学校の社会の時間に見た等高線が刻まれたレリーフの地図のようにも見え、地図好きの私はなんだかわくわくする。
左奥の平面作品は今展最大級サイズ。
シロツメクサをモチーフとしているが、それぞれ画角の異なる映像が用いられている。
複数の時間を一つの作品に閉じ込めているが一見しただけではわからない。
それよりも巨大な画面が発する凄まじい圧に吸い込まれそうになる。
下階フロアでは千葉市美術館所蔵作品とのジャムセッションとなる。
最新のシリーズではついに画像すら無くなり紙のみのマチエールになる。
自館収蔵作品を用いてのジャムセッションは、特にコロナ以降各地で目立つようになってきたと感じている。
昨今のセッション系展覧会の中で個人的に一番印象的だったのが、春に国立西洋美術館で行われた「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展だ。
館の歴史・文脈を踏まえながらアーティストたちが各自のフィルターを通して館所蔵作品を用いて新たな表現や問いを生み出す。
場の必然性、その作品を用いる意味、それらにしっかりと説得力があった。
中には荒ぶる作家もいたが、それらを束ねて唯一無二の展覧会を作り出した新藤学芸員の手腕も見事だった。
西洋美術館でなければならない、西洋美術館にしかできない秀逸な展覧会だったと思う。
個人的に今回のセッションはそういった必然性や意味があまり見えてこなかった。
千葉市美術館で行うことや、その作品でなければならないことの意味よりも、表面的な共通性や類似性の方が強く見えてきてしまった。
Nerholという個の作家の複数の作品に対して美術館コレクションの引き出しの中からそれぞれ合うものを選ぶ、という構図だとどうしてもそうなってしまうだろう。
Nerholの作品やコンセプトそのものはとても良かったし、所蔵作品も名作揃いなのに後半でそれぞれの良さがぼやけてしまったのが残念だ。
純粋にNerhol作品だけで見せた方が世界観を強く表現できる展示になったのではと思う。
それに対して一階「さや堂ホール」の展示は圧巻だった。
千葉市の花オオガハスを原材料とした和紙を用いて、市指定文化財の旧銀行ホール床を埋め尽くす。
この場所に関係する様々な時間軸が重なり合うこのような空間こそ、今回の千葉市美術館での展示には相応しい気がした。
昨年の三沢厚彦展以来の千葉市美術館だった。
帰り際にミュージアムショップに寄ったら三沢厚彦フィギュアの新作が出るとの情報をキャッチ。
困ったなあ、また嫁に怒られるなあ(予約ボタンをポチリ)
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