【美術展2024#51】村上隆 もののけ 京都@京都市京セラ美術館新館 東山キューブ
会期:2024年2月3日(土)〜9月1日(日)
1990年代後半。
私が美大生だった頃、同級生の何人かが村上隆のアトリエ(当時はまだヒロポンファクトリー)でアシスタント作業をしていた。
そのつてかどうかはわからないがその頃大学で村上隆の特別講義があったりもした。
私もその同級生からアシスタントの誘いを受けたが、大学からアトリエまで遠かったのと、ほぼ無償でのボランティアだったので断った。
そこで勢いアトリエに飛び込んでいれば今とは違った人生を生きていたかもしれないが、学校生活もままならないくらいに寝不足かつ忙しそうにしているその同級生たちを見るにつれ、そしてその先にいる村上隆を思うにつれ、私の生きる道は作家ではないのだろうと薄々気付いていた。
その頃の私は大学生活を制作だけに捧げるのではなく、遊びも旅行も恋愛も謳歌したかった。
もちろん美術館もたくさん行ったし、それなりに作品を制作してコンペもいいところまで行ったりしたこともある。
だが本当はアートにどっぷり浸かるのが怖かった。
一生作品を制作し続けて、アートと心中する覚悟ができなかったのだ。
何が正解だったのかはわからないが、あの頃から四半世紀以上経った今、私はプレイヤーとしてではないが細々と美術と関わりながらそれなりに幸せな人生を送れているとは思う。
村上隆と直接関係や面識があったわけではないが、どんどんビッグネームになっていく彼の作品を見るたびに、やはり私は凡人なのだと痛感させられるのとともに、逆に凡人で良かったとどこか安堵にも似た感情も生まれ、それらが交錯して今でもなんだか切ない気持ちになるのだ。
さて、2016年の森美術館以来8年ぶりの国内での大規模展覧会。
日本での展覧会は今回が最後と本人が言っている以上見逃すわけにはいかない。
ということで会期終了も近づいてきたがようやくタイミングが整い、いざ京都へ。
中央ホールの《阿吽像》は8年前の「五百羅漢図展」でも、4年前の「STARS展」でも見たな。
背景の壁紙はリニューアルしたのか開会当初のものとは違うようだ。
庭には《お花の親子》が。
六本木ヒルズにあった時とは周辺環境が大きく異なるため、また違った作品に見える。
京都の緑の中に金ピカな造形物があるとやはり金閣寺を連想してしまう。
あちこちに《言い訳ペインティング》があったが、こんなのも手抜きなくしっかりと制作している。
真面目にふざけている感じがして個人的には好感が持てる。
解説でもありぼやきでもあり読んでいて楽しい。
第1室「もののけ洛中洛外図」
こちらの《琳派のお花と抽象的図像》も開会当初から場所が移動して《大仏オーヴァル》の後ろに設置されていた。
後光がさしているようにも見える。
村上版《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》
2枚合わせて3m ×13mの超大作だ。
《五百羅漢図》も海外に行ってしまったし、すでに何人ものコレクターから購入オファーがあるという話だがこの辺りの作品はなんとか国内に留めておいてほしいものだ。
作家本人は「コピーしただけ」「どうしてもやりたい作品ではなかった」と嘯いたりしているが、それこそ近い将来国宝になってもおかしくないと思う。
こちらは7月に追加投入された《村上隆版 祇園祭礼図》
《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》の背面に設置されているので入口すぐの狭い通路がごった返している。そりゃそうだ。
人が入らないように写真を撮るのも一苦労。
第2室「四神と六角螺旋堂」
青龍と朱雀は《五百羅漢図》に登場したものとほぼ同じ形状。
玄武は新たに描いたがかなり苦労したと図録解説で本人も述べている。
第3室「DOB往還記」
往年のキャラクターDOBくんの部屋。
細かい指示書の棚。
付箋が「村上様ご指示」となっているのが気になった。
社内間なのにいいのかこれで?まあ教祖みたいなもんだからいいのか。
第4室「風神雷神ワンダーランド」
村上版《風神図》《雷神図》
このゆるい感じ私は好き。
なんで村上版は風神と雷神の位置が元ネタと逆なのだろう。
7月に追加投入の《むにょにょん雷神図》&《ぽよよん風神図》では宗達版と同じ位置に。
ポーズも本家に近くなっている。
以前、『熱闘!日本美術史』を読んで以来、実物を見てみたかった作品。
珍しく村上氏本人が筆を取った作品。
これみよがしな生々しさが目立つ力作だ。
これだっていつか国宝になってもおかしくはない。
今回のキービジュアルの《金色の空の夏のお花畑》
色々なところからの引用が見え隠れする。
《見返り、来迎図》
元ネタの国宝《阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)》は、今年春にトーハクの「法然と極楽浄土展」で修復上がりのものを見た。
7月追加作品《梟猿図の猿》《梟猿図の梟》
開会当初の作品だけでも展覧会自体は成立しただろうが、新作を多数追加投入するという気概よ。
第5室「もののけ遊戯譚」
正直この辺はよくわからない。
娘たちはこれに一番食いついていたが。
とはいえ、ついこれのマグネットを買ってしまった。↓
グッズ販売は大盛況だった。
版画やポスターもたくさん売っていた。
結構なお値段がするのに売り切れ続出だった。
作品の規模に対して会場は手狭な印象だったが、今回の展覧会は京都でやることに意味があるのだろうからまあ仕方ないか。
1990年代の美術村界隈で村上隆は今よりも賛否両論が激しかった。(どちらかと言えば否が優勢?)
私は当時から嫌いではなかったが、表立って好きというほどの思い入れもなかった。
当時村上隆を好きというのは、マイケル・ジャクソンを好きと公言するのと同じような照れくささがあった(私感)。
だが作品そのものはもちろんその頃も徹底的にこだわって作られていて、印刷で見るポップさからは想像ができないくらいに実物は真面目な美術作品だった。
著書『芸術闘争論』の中で現代美術を見る座標軸として4つのポイントを挙げている。
1. 構図:目線の移動をどうやって誘導するか
2. 圧力:一枚の絵に対しての執拗な執着力
3. コンテクスト:歴史がどのように重層化され、文脈が串刺しされているか
4. 個性:ART=自由ではない。ルールを無視した内向的、私小説的な発想はダメ
この辺りを意識しながら作品を見るとより理解が深まるだろう。
ある程度の美術の知識を前提にして同調してくれる人だけしてくれればいいと言わんばかりのお高くとまっている「現代美術作品」が横行する中、美術のことを何も知らない人でも村上作品の実物をみればその圧倒的な迫力と執着力に只者ではないオーラを感じるはずだ。
今でも否定的な意見の人も少なくないがその論争すら巻き込んで、様々な層にアプローチしていく強靭な作品群はやはりマーケットにも落とし込みやすく非常に戦略的かつ多層的にプランを遂行しているのが感じ取れる。
かつて著書『芸術起業論』にて「ピカソやウォーホール程度の芸術家の見た風景ならわかる。」と述べた言葉はやはり伊達ではない。
今でも大きな声で言うのは照れくさいが、小声でなら言える。
「…実は村上隆の作品好き(ボソッ)」
我が家の棚にも細々したものが結構あった(やはりちょっと照れくさい)
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