鍛えたエゴを仮面に秘めて
読書感想文を書くにあたり、私が選んだエピソードは『マスカレイド・オブ・ニンジャ』だ。
当時の私はリアルタイム更新に熱中していた。今はnoteのまとめを読むことも多いが、第3部後半当時は実況に参加し始めて間もなかったこともあり、苦手な夜更しすらも敢行して眠い目こすりTwitterにかじりついていたものだ。
そしてこの短編は、私の大好きな『フォロウ・ザ・コールド・ヒート・シマーズ』と並行連載されていた。今でもこれらを追っていた当時の熱気を覚えている。
映画のワンシーンから始まるこの物語の主人公は、若手アクション俳優ジェット・ヤマガタだ。
俳優とは言ってしまえば役という仮面をかぶる仕事である。しかしヤマガタはそれ以上に、もっと重大な秘密を仮面の裏に隠していた。
この話の大まかな時系列は第3部の中盤頃。アマクダリ・セクトによる見えない支配がじわじわと強まり、誰もが仮面をかぶり、己を偽らねばならない時代がすぐそこまで来ていた。
現実社会に生きる私達も、場面に応じた仮面をかぶって生きている。『ニンジャスレイヤー』の魅力のひとつに、現実世界と地続きであるような感覚がある。暗黒管理社会にもいやに現実味を感じる。そんなものが現実になって欲しくなどないが。
物語はヤマガタの苦悩を軸に進む。ストリートを、そこに住まう大事な人達を守りたい。しかし、それは己の内なる力を解き放つことになる。
危険を冒し、それでもヤマガタは戦いに赴く。そして蹂躙された街の姿を目の当たりにした彼は、面を憤怒と悲嘆に染め上げ、無慈悲なるカラテを振るう。
きっと、彼はこのままデス・カンフーを振るう悪鬼と化して戻ることはなかっただろう。ライバルであり友であるヤサキが存在しなければ。ユカリフォンやショウがいなければ。
その姿はフジキドと重なる。ニンジャは化け物であり、人間とは違う世界の生き物だ。それでも彼らは自らに残る人間性を、危うく失いそうになりながらもギリギリのところで手放さずに、完全な化け物になる手前で踏み留まっている。
そして私は思い出すのだ、『ニンジャスレイヤー』がエゴの物語であることを。吹き飛びそうになる自我を、幾度も揺らぎ崩れそうな意志を、登場人物たちがそれぞれ苦悶しながら、必死で鍛え上げていく物語なのだと。彼らがそうして戦い、自らの生き方を貫く姿は、いつも私の胸を強く打つ。『ニンジャスレイヤー』が私の心を長年にわたり掴んで離さない一番の理由である。
エピソード終盤、人間性を捨てなかったヤマガタとは対照的に、ニンジャソウルに呑まれて反ブッダ精神を失ったホワイトパイソンが如何なる最期を迎えたかが描かれている。ひっそりと死を免れ、起死回生の一手を打とうとした彼を襲う無慈悲なインガオホー。彼を死に至らしめたのがニンジャスレイヤーでもオウガパピーでもなく配下のブラックメタリストだったというのは、何ともいえない虚しさと共に強烈に印象に残った。
その後のヤマガタは、作中でも珍しく、ニンジャでありながらモータルと共に生きている。『マスカレイド~』のエピローグは、思わず笑いが漏れてしまう映画撮影中のNGシーンと、アクションは二度とできなくなってしまったものの、一命を取り留めて元気にヤマガタと共演するヤサキの姿。それから、オールド・カメ・ストリートでの撮影という、ようやくひとつ叶ったヤマガタのささやかな夢。「ああ、幸せそうで本当に良かった」と心から穏やかな気持ちになった。
できれば、彼にはこのままずっと俳優として幸せに生きて欲しい。それでも世界は無慈悲に変わってゆくし、ニンジャという厳然たる事実が彼を掴んで離さないかも知れない。
だとしても、願わずにはいられない。ひとりぐらい、こういうニンジャがいたっていいじゃないかと。