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優しい目をしたシヅ子さん

【2766文字】

令和5年

NHK連続テレビ小説
「ブギウギ」が好評だそうだ
この枠は子供のころ以外観ていないが
ネットニュースなどで
嫌でも見出し情報ぐらいは知ることになる
その程度だからドラマの内容は全然知らない
主人公の笠置シヅ子さんをどの様に描いているのか
どんな演出をしているのか全く知らない
しかし僕には
今から半世紀以上前に主人公の笠置シヅ子さんとは
多少の縁があったりする
生の生きている笠置さんとの記憶を紐解く
還暦の僕が半世紀以上前の事という訳なので
当時の年齢はまだ2歳から6歳だった時の
今のようにまだ汚れにまみれてない頃の話だ

当時僕は

世田谷区弦巻1丁目に住んでいた
僕の住んでいたのは大変なボロ家であったが
その区画の隣の1区画が小学校で
4つ上の姉が通学するのに苦労はなかっただろう
僕もピカピカの1年生時代はこの小学校に通った
そして学校と逆隣の1区画が笠置邸だったのだ
つまりウチは学校と笠置邸に挟まれていたわけだ

家の前の道

は笠置邸に向かって緩やかに下る坂道だ
今こそ微塵も感じられないだろうが
僕はズバ抜けた運動神経を持って生まれた
チャリンコなどは4歳ですでに乗りこなしていて
家の前の坂道は漕がなくてもスーッと乗れるので
学校とは反対の笠置邸方向に行くのが
とても好きだった
ある時僕はいつもどおり家から
これまたボロの自転車を引っ張り出し
その緩やかな坂を快適に下って行った
風を受けながらふと横を見ると
近所の友達が家の窓から手を振っている
僕も手を振って返事した
必然的によそ見運転になった
手を振りながら前を向いた時
目の前に車が止まっているのが見えたが
もうその時は手遅れだった

僕は手を振りながら

駐車してあった自動車に激突
チャリは車の下へもぐりこみ
僕は飛ばされ車の上を通り越して
向こう側のアスファルトに落下した
しばらく何が起きたのか分からなかった
なんだか頭がモウロウとしていたので
そのまま道路上に寝ていたら
たまたま通りかかった知らないおばさんに
「あららら、大丈夫?!立てる??」
と駆け寄って話しかけられた
やっと僕は状況が分かり
モウロウとした頭のまま立ち上がって
「大丈夫、平気だよ」と言いながらチャリを探した
するとおばさんは車の裏からチャリを持ってきてくれて
「ほら早く帰りなさい、誰も見てないから」
と言うので僕もあせってその場を去ろうとした
先ほどの友達が丸い目をしてこちらを見ている
「あいつが見てるじゃん」と思いつつ
チャリにまたがって坂道を下った

子供とはいえ

車1台分吹き飛んだのだから
自動車の方の被害もそこそこだったと思う
しかし今も当時もそれを知る由がない
大人になってこの事を母に話したら
その車はいつもは笠置邸の車庫に停まっていた
ミニクーパーじゃないかという
時々坂道の途中に駐車してあったというのだ
なるほど車を飛び越したのも
ミニなら理解しやすい
この頃は自家用車を持っている家庭は稀で
交通量も駐車車両も現在とは雲泥の差である
まして外車ならばなおさらだ
僕を助けてくれたおばさんが
何故慌てて僕を逃がしたのか
それなら少し腑に落ちる気もする
有名人の外車に傷をつけたのだったら
きっとマズいと思ったのだろう
結局この件はこのままであった
それからしばらくして
その笠置シヅ子さんに会いに行った事がある

社宅

だった我が家があまりにもボロだという事で
父の会社はついにその家を建て替える事に踏み切った
僕ら家族は笠置邸の
更に向こう側のブロックにあった
(だったと思うが曖昧)
当時としては結構モダンな鉄筋アパートに
仮住まうことになったのだ
このアパートの大家さんは笠置シヅ子さんだった
ひょっとするとこの1区画も
笠置さんの土地だったのかもしれない
ともあれ僕らは3階建ての3階に入った
3階から見る景色がとても良かったのを覚えている
蛇崩川の向こうに弦巻通りがあって
その向こうにも瀟洒な豪邸が並んでいる
2階以上の建物が少なかった上に
坂道の途中なので南側の土地が低くなっていた
南側の窓からはかなり遠くまで見渡せたのだ
小学校に上がる前だったから
僕は4歳か5歳だったと思う
そのアパートにイタリア人の家族が住んでいた
この家に僕よりひとつふたつ年下の
金髪で癖っ毛の女の子がいた
何故か気が合ってよく遊んでいた記憶があるが
どうやらお互いに言葉が通じてなかったらしい
これも大人になってから母に聞いた話だ
そんなことも覚えていないのは
言葉の壁を当時感じていなかった証拠だろう
子供というのはコミュニケーションの天才であると
このことからも垣間見れるものだ
人見知りの現在からは想像もできないのだが

さて

その女の子と遊んでいたある日
僕はどういう訳か墨汁と大きな筆を手に入れたらしい
互いが住むアパートの階段はコンクリートで
すべての面が真っ白に塗装されていた
とても明るい雰囲気を醸し出していたのだった
しかしこの日事もあろうに僕はこの壁面に対し
ベッタリと墨汁を浸み込ませた筆を滑らせ
1階から3階まで途切れることなく
女の子を引き連れて1本書きしたという
これは何となく覚えている
女の子も僕も顔に墨を付けて帰ったのもだから
その夕方はアパート中大騒ぎになった
母は瞬間に首謀者が僕だと見極め
慌ててバケツと雑巾で拭き取ろうとしていたが
ほぼ全く拭き取れない様子だった
僕はべそをかきながらその絶望的状況を
母の横で見ていた

翌日

母と僕は笠置シヅ子亭の巨大な門の前に
恐る恐る立っていた
呼び鈴を鳴らすと遠くから明るい声がして
おばさんが一人出て来た
きっとお手伝いさんだと思っていた母は
そのおばさんを見るなり少し絶句している
なんと笠置シヅ子さん本人が出てきたのだ
母は急いで僕の頭を押さえつけながら
「この度は本当に申し訳ございませんでした!」と
大変恐縮しながら一通り事の顛末を話し
更に平身低頭し謝罪し続けていたが
おばさんは終始ニコニコしながら
「もういいのよ、気にしなくていいのよ」
と言うばかり
母と会話がどうもちぐはぐになっている
その間僕はおぼさんの顔をまじまじと眺めていた
つまり見覚えのあるこのおばさんの顔を
とにかくじっと見ていたのだ
そしてやっと思い出した
そう
あの時チャリで車にぶつかった時
助けてくれて急いで逃がしてくれたおばさんだ!
僕はなんだかうれしくなっていた
きっとニコニコしておばさんを見上げていたと思う
笠置シヅ子さんも僕を見る顔が
それでなくても垂れた目じりを
さらに細く垂らしてニコニコ返してくれた

彼女が

あの時の子供だと分かっていたかどうかは
その時も今も分からないままだが
その人間性や度量の深さを知れる人柄だと
今もその笑顔を思い返す度に思うのだ
なんせ我が家にはまだ家にはTVがなかったころで
当時僕はこの家の人が有名人であることは
親や大人の話で知ってはいたが
いったいどんな事で有名なのかなどは
全然知らなかったのだ
彼女が日本を代表する歌手であることを知る
そのずっと前に僕は笠置シヅ子さんの事を
人柄のいいいつも優しくしてくれたおばさん
という風に記憶していたし
今もその印象は全く変わっていない

当時の写真 左手に見える生垣が笠置邸