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痔 end (決別のヘモロイド)
20年来患っていた内痔をやっと除去した筆者。その経験を随筆的に吐露したカジュアルドキュメンタリー。
【8929文字】
2025/2/17、朝10時にタクシーで病院まで来た。3泊4日の手術入院予定だ。手術といっても自らタクシーで来れる程度なので命に関わるようなものではない。長年厄介に思い続けていたイボ痔とお別れの時がやっと来たのだ。確かに重篤ではないが本人にとってみればなかなか深刻な状態であり、思い切って手術の手続きをとったのだ。身体の繊細な部分に刃物を入れるのだから恐怖も勿論ある。半月前に病院の診察室で「先生、ひと思いにやってください!」とうつむき、膝に置いた両の手を握り締めながら懇願せずにはいられぬほど、奴らは面倒な存在になっていたのだ。なぜ奴らと複数形にするかというと、長年単数だと思っていたヤツは最近の診断の結果複数であることが判明したからである。敵もさるもの、こちらが知らぬ間に仲間を増やしていたのだ。
思い起こせば約20年間のお付き合となっていた。実際そこに存在し始めていたのがいつからかは分からないが、最初に痔核、いや自覚したのは忘れもしない。あれは大切なライブの日、しかも本番のステージ上だった。狭いライブ会場いっぱいの観客は鮨詰め状態で100人を超えている。立ち見のライブ会場というのは演奏中にフロアの床が見えていれば、どんなに良い演奏してどんなにステージの上から煽ってみても客というのは乗ってこない。その反面床が見えないほどの入りなら何をやっても、なんなら演奏をしてなくても客は乗ってくる。そうなれば相乗効果的に演る側も熱くなり、ステージ上でのパフォーマンスに力が入ってくるものだ。その日我々のバンドも全くその状態でステージ上を縦横無尽に暴れていた。そしてその時、佳境を迎えた最後から2曲目のキメの部分がやって来る。声を振り絞り雄叫びに近い歌を歌い上げてから、ギターを振り上げ体全体を躍動させつつキメの直前で大きく跳躍。そしてリズムと寸分の狂いもなくステージの床へドン!と着地するその瞬間、決められた通りにバンド全体の音もジャーン!と。演奏自体はバチっと決まり客席から大きな歓声が上がる。ところが演奏の爆音と歓声の渦の中、ただ1人ステージに着地した自分だけが全く違う世界にいた。そう、違和感である。全五感のほとんどは申し分なく熱いライブを感じているのだが、ほんの一部の感覚に異様な違和感を感じていた。その場所こそが今回主役の繊細な部分である。通常時、その部分に違和感とくれば「ん?なんか出た?」と思うのが人情である。この時も盛り上がるステージ上で「はっ!」っと思い局部へ電気が走ったかのように両の臀部は反射的にギュッと閉められる。するとその違和感は今度逆の動きで、つまり門の中に戻るような動きの違和感を発する。いわゆるウンコさんなら戻ったりはしない。当然そこで何か異常なことが起こっていると察知はするが、今それを確かめる状況にない。その後違和感なく元に戻っているのでしばらく素知らぬ顔で演れた。幸いライブ中再びこの妙な違和感が襲って来る様子もなく、そのまま大盛り上がりのライブを無事終えることができた。しかしこの日をきっかけにその違和感は日々の生活で割と頻繁に起こるようになっていく。とはいえ時々顔を出してすぐ引っ込むだけで、特にこれといった悪さをするでもなかったので放置していたのだ。ところがある日とんでもないことが起こった。大出血である。
その時は運転中で尿意をもよおしソワソワしていた。公園のトイレを見つけ車から降りて歩いて向かう。その時既に違和感を感じていたが、その日はいつもの違和感とはまた違った違和感だったのだ。股の辺りがヌラヌラしているのだ。尿意をもよおしていたので今度こそ出ちゃいけないタイミングで出ちゃいけないモノが出てしまったか!とズボンの上からそっと指を当ててみるとやはりヌラっとしたものがあるのでその指を目視すると、「ち、血だ‥」。立ちくらみを覚えつつとにかく慌ててトイレに駆け込む。恐る恐るズボンを下すと下半身は血に染まり、ズボンの半分ほどがベトベトになっていた。世の男性のほとんどは血液の見た目に弱いだろう。自分もその例外ではなかったが幸いロックンローラーだったためズボンは黒いスキニーで、遠目なら血の色は気にならなかった。ただ漏れているようには見えたかもしれない。不思議なことに痛みは全くないのだがしばらく出血は止まらず、トイレットペーパーや白い便器が鮮血に染まり、狭い個室はあたかもめった刺し殺人現場の様相を呈した。そのビジュアルのせいか、貧血のせいか頭はクラクラしっぱなしだ。ようやく出血もおさまった頃上着を腰に巻き人目を憚りながら車に飛び乗って帰った。
また公然で同じようなことが起こらないだろうかと暫くはヒヤヒヤしながらの生活が続く。しかしそれ以来大出血というのは一回もない。そうなればこっちだって鬼じゃないのだ。こちらだけの我を通し何が何でも痔の方に出ていってもらおう、などという理不尽は言いやしない。何となく和解が進み我々はそれから十数年間理解し合いながら過ごしてきた、と思っていた。しかしヤツは最近頓に成長著しく図体もデカくなり、ましてやひとつと思っていたヤツは大小合わせて3つのヤツらに増殖。これまでの居住まいでは肩身が狭いのか、ちょっとした事でも表にしゃしゃり出てくるようになり、しかも自ら引っ込む意思も示さぬほど横柄な態度になっていた。昔は排便や不自然な姿勢での力みなどでヒョッコリ顔を出すことはあっても、普通に歩いている時不意に「やあ」とあいさつするなんて事はなかったのだ。1年ほど前からほんの2〜30m歩くと必ず挨拶して来るようになってきて、これはもう互いの和解や理解を超越した越権行為だとみなし、仕方なく肛門科の先生に相談したのであった。
「こりゃ立派なイボ痔ですわ。サンプルにしたいほど綺麗なイボ痔ですよコレ」
専門の先生にコレだけ褒められれば、本人もイボ痔冥利に尽きるだろう。さらに先生は続ける。
「手術後2〜3日は痛みと出血がありますからどんなに短くても3泊4日の入院です。問題は1週間後ぐらいに大出血を起こすことが時々あるということですが、まぁ、心配ないでしょう」
それを聞いて一気にあの時の殺人現場を思い出していた。もうあんな目には2度と遭いたくない。そしてもうこれ以上君と一緒に暮らせる自信がないんだ、と別れを決心したのが手術の半月前であった。
1週間の出張でもこんなに荷物は持たないだろうというほどの荷物をタクシーに詰め込んで病院にやって来た。
「1日に3〜4回シャワーを浴びてもらうのでタオル類は多めにお願いします」
などと看護師さんが脅すので、出張や旅行には持参しないバスタオル3枚とハンドタオル4枚を持ってきたのが大荷物の原因になった。それだけ術後は分泌するものが多く出ると言うことだろうから、念の為下着も日程より多めに持ってきた。
案内された入院の部屋は質素ながら個室なので気兼ねなくて良い。入院着に着替えて部屋で待つ。午後からの手術と聞いていたが2時になっても3時になってもお呼びがかからない。暇なのであれこれ考える。半身麻酔かぁと思う。脊髄麻酔について考えないようにしようと思えば思うほど暇に任せ考えてしまう。麻酔について書いてあったどこかの本の内容を思い出す。麻酔が効く理由は大まかなところではもちろん分かっているが、詳細なところまで完全に分かってるわけではないとあった。つまり麻酔は偶然に頼っている部分があるのだ。更に10万件に1回程度麻酔から覚めずに死亡することがあるらしい。調べなくても良いのになんせ暇であるから調べると、1日で全世界の麻酔を使う手術が少なくとも約64万件以上あるという。つまり毎日6〜10人ほど麻酔が覚めずに死んでいるということだ。そもそもなぜこんなに待たされているのか、前の人の手術は何故手こずっているのか、執刀するのはいつもの先生じゃないと聞いたが大丈夫か、などと疑心暗鬼はつのり益々暗澹たる思いにかられる。今回の手術は半身麻酔で、危険な全身麻酔ではないのだと言い聞かせる。そうこうビビってると午後6時近くになってやっと順番が回って来た。
手術室には歩いて入る。狭い手術台に自ら横たわる。横を向いて腰を突き出すようにと指令が飛ぶ。
「ではまず麻酔から始めます」と医者に言われナーバスを悟られたくなかったので、
「はい」と元気よく返事したら手術室に居た看護師さんらと同時に「はい!」と返事してしまった。医者は患者に言ったわけではなかったのだ。なんか恥ずかしい感じで始まった手術は先生が言った通りまず麻酔から始まった。
「麻酔のための麻酔をまず注射しますね」というので、また看護師に言ったのかと思い返事せずに居たら、誰もそれには返事をしなかったのでそれは患者に言ったらしい。初っ端から執刀の先生と気が合わないこの感じがなんか嫌だった。初対面の人との気の合い方について普段あまり気にしないが、この時はこの先生と是非気が合いたいと願った。
ゆっくり時間をかけ脊髄に数回何かを送り込まれているのがわかる。そのうち足の感覚がおかしくなって来る。麻酔処置が終わって暫く放置され、その間に完全な半身麻酔状態になる。ちょっと足先を動かそうとしてみるが、左右の足から完全に無視される。自分の体に無視されるのはなかなかショックだ。術中に痛いのも嫌だから確認のためにももう少し思い切って足に力を入れてみたが、脳の指令は再び身体の下半分から完全に無視される。
先生が再び手術開始の号令をかけたが、この時は黙っていた。するとやはり看護師たちが皆で返事していた。この時うつ伏せにさせられている患者は自分の顎の持って行き方をあれこれ試している。枕を胸あたりに当てて、おでこにはグーの握り拳を当てて、顔の大部分が浮いた状態になるよう苦心した。一度決まったと思った姿勢は暫くすると辛くなり、またしっくりくる新たな姿勢を考案しなければならなかった。基本的に手術中患者の仕事はコレに終始する。
脈拍と自動血圧や酸素飽和度のいわゆるバイタルサインを監視する装置がピコピコと頭の上で鳴る。患部に痛みはないが時々体全体がグラッと揺れる。下半身は全く制御不能かつ不認識になっているのに頭は冴え渡っている。不安だ。手術が今何をしていて、どのくらい進んだのか、全くわからないまま時間だけが過ぎる。いっそ全身麻酔だったらなどと10分前とは違う事を思う。何か別なことを考えねばと思うが、それは砂の上にテープを貼るようなもんで、やってもあまり効果はない。貼れないと分かっている事をするよりも、なにかこの状況の中で少しでも興味が持てるものはないかと考える。すると見つけたのだ。変な本ばかり読んできて良かったと心からそのとき思った。何に意識を逸れさせたかというと、幻肢である。現在下半身麻酔で痛みを全く感じていない。かと言って下半身がないという感覚でもない。ただ脳が感じてる足と実際の足では全くちがう状態の気もする。いわゆる幻肢というヤツだな、とか思うと不謹慎ながら少し楽しくなって来たのだ。幻肢というのは、例えば事故などで手足の一つを失ったのに、頭の感覚ではまだそこにあるように感じ、そしてちゃんと痛みを感じたりすることだ。今頭で思っている足の向きや形と本当の足をこの目で確認したくなるが、なんせうつ伏せでケツに刃物を突き付けられている状態なので無理だ。ならば部屋に戻った時はまだ麻酔が効いているだろうから、その時に確認してみよう、などと思ってる自分に少し安堵した。さっきまでは麻酔にかなりナーバスになっていたのが、今はその麻酔による楽しみを見つけたのだから。
半月前の最初の説明では15〜20分と聞いていた手術は、結局1時間ほどかかったようだった。何か問題があったわけではなく、2個のイボ痔を切除し更にもう1個のイボ痔は縛るなど、大変丁寧にやってくれたということだった。無事手術が終わりデジカメでビフォーアフターの写真を見せてくれたが、自分のケツの汚さの方が気になった。手術室に入った時と違い、今度は病人らしくストレッチャーに乗せられて部屋に戻る。映画で見たような天井のシーリングライトが後ろへ後ろへと流れる景色を本物の病院の廊下で体験する。部屋に戻って例の幻視の足を確認しようと思ったが、麻酔が効いているうちは起き上がったりするのはもちろん、首を枕から起こしたりするのもダメだと説明された。いわゆる絶対安静である。ベッドは上半身と足元がボタンひとつで動くやつらしいが、自分で操作するのは翌日の朝食時までお預けだそうだ。麻酔が切れるまでとにかく動くなということなので、残念ながら幻視体験の確認は出来なかった。
その日の夜10時ごろ、先生の回診があり患部を診てもらった後、いろいろ尋ねられたりアドバイスをもらったりして、最後に鎮痛坐薬を入れてもらった。しかし夜中1時ごろ、誰か門のところにタバコの火を押し付けてるだろ、ってぐらいの痛みで目が覚める。これは寝れないだろうなと思いながら、次に気づいた瞬間時刻は2時過ぎになっていた。先生は痛みは我慢せずにナースコール押してと言っていたが、眠れるならいいやと思い激痛の中再び寝る。また瞬時にして3時半になっている。起きるたびに痛さで顔を歪める。そして気付いたら5時になってたので起きた。相変わらず焼けるような痛さと強めの鈍痛が門の表と中を襲っている。朝食が出たので恐る恐る電動ベッドの上体部分を立ててみたが、思ったほど患部への圧迫のようなものはなくて安心した。暫くすると先生が回診にやってきたので痛いと訴えると、それはもう慣れた手つきで再び坐薬鎮痛剤を入れてくれた。痛みはそれでグッと楽になった。1日3~4回シャワーに行ったり患部のガーゼを取り替えたりは全部自分1人で行う。この日は排便ができなかった。力んでもいいというのだが、そんなことしたら痛いし、塞がろうとしているまだ生傷状態の切開箇所がまたパカっと開いてしまう気がして力めなかったのだ。イボ痔の切開痕は開放創と言って縫合処置をしないのが普通だそうだ。つまり切りっぱなしの状態で自然治癒をゆっくり待つという。なので術後、特に排便時は激痛が伴う。看護師さん曰く、麻酔のせいで排尿排便が今日1日は難しいかもしれないが心配ない。それに2〜3日経っても排尿が難しかったらカテーテルを入れるから大丈夫という。いやいや、少年院の拷問じゃあるまいし、カテーテルを入れる事自体が心配なのだ。それを聞いて痛みに耐えつつ排尿と排便を頑張ってみたら入院2日目の夕方にはどちらもなんとか出来た。あれは看護師さんの誘導尋問ならぬ、手慣れた誘導排尿、誘導排便だったのかもしれない。排便時痛いのは痛いのだが、鎮痛剤のおかげで想像ほどの痛みはなかった。
2日目の夜11時過ぎに先生の回診があり、患部を診た後鎮痛坐薬を入れて帰った。毎日朝早くから夜遅くまで他人のケツと顔を突き合わす大変なお仕事である。冗談抜きに頭が下がる思いだ。お陰で時間が経てば経つほど痛みは少しずつ引いて行く気がした。しかし患部から血液混じりの浸出液は絶えず出続ける。患部の門にガーゼを当て、パンツ側には念の為に生理用ナプキンを当てがう。そういった自前の処置をしながら、なるほど個室じゃなきゃこの作業はしんどいよなと思うところであった。なんせ多くの男性諸君にとって生理用ナプキンとは縁が薄いだろうから、大部屋では気が引けるだろう。なのだが個人的には実のところ例の殺人現場の大出血後に数度これのお世話になったことがあった。心配で装着したのだがお陰様でどの場合も出血はなく杞憂に終わっている。その時に、なるほどこういう仕組みなのかと印象付いており、今回がお初ではなく迷いなく装着する事ができた。
排便の苦労は前述した通りだが、それは要するに力むと痛いということであった。それはまだこちらでコントロールが効く。厄介なのは咳とくしゃみ。これらはこちらの意思に関わらず、油断してる不意をついて瞬発的に大きな力みをそこに生じさせる。特にくしゃみをすると落雷を患部に食らったような激痛が走るのだ。ベッドの上で1人歌舞伎役者が大見得を切って虚空を掴むようなポーズを取らずにいられない。風邪の症状や花粉症をお持ちの方は手術時期は慎重に選ばれることをお薦めする。とはいえ日が経てば経った分だけ痛みも治まるので、必要以上に恐れる必要もない。くしゃみをしなきゃいいのだし。
さて入院4日目の朝は晴れて退院となる。基本は1週間の入院だそうだが、そんなにゆっくりはしていられない。荷物をまとめて私服に着替える。1Fフロア受付まで降りて支払いを済ませるが、ん?と思う。ほんの少し歩いただけなのになかなか痛いぞと思ったのだ。昨夕までは坐薬鎮痛剤が効いていたが、昨夜は慣れるためにも鎮痛剤を入れなくていいと断っていた。と言っても歩けないわけではないので支払いを済ませタクシーに乗って帰宅した。自宅での昼食を久々にとると、今朝出なかった排便を催す。絶対に痛いヤツだと知りつつ、トイレに行かないわけにもいかない。まだバラしていない入院用の荷物の中から、ケツ当て用のガーゼやら軟膏やら生理ナプキン、バスタオル諸々を探し出し脱衣所まで行く。取り敢えず排便の為便座に座る。しかし催した便意よりも痛みの方が勝る。昨夜やはり鎮痛剤を入れてもらうべきだったと大いに後悔する。あまりの痛さについ排便の力みを緩めてしまう。しかしゆっくり便意はブツを押し出そうとしてくる。もうそこまで出て来ているが恐怖もあって気張る事ができない。それでも胃から脈々と大腸、直腸へと続く消化系の蠕動運動は、こちらの苦悩など我関せずで己の仕事を遂行しようとする。ブツは非常にゆっくり、しかも確実に出よう出ようと移動している。門が次第に押し広げられていくのが分かる。そしてその光景が脳裏に投影される。ブツは門を押し広げながら、かつ引っ張られ血がにじむ傷口に遠慮なく擦り付けられながらゆっくり移動していくのだ。実際にとんでもない痛みが走り、またもや1人個室で歌舞伎の大見得を切る。スッと通り過ぎてくれたら良いのだが、一番止まってはならないところでブツが止まってしまっている気がする。今一番広げてはならないところが最大に広げられている気がする。気張ろうにも痛すぎて既に力の入れ方さえ分からなくなって、進退両難に絶望状態に陥った。とにかく便器に座ったまま最大に痛くない状態を探りそれを保つことに専念した。すると今度は先ほどまで容赦なく仇となった蠕動運動が今度は恩となってブツを押し出そうとしてくれる。ブツの最大幅部分が過ぎて次第に広げられていた門が閉じられていく。それに呼応するよう痛みも治まっていく。第一弾が去った。やっと大きく息がつけ頭の血もすーっと下がっていく。なるほど、今後毎日こういう試練が待っているのだと理解した。先生の坐薬鎮痛剤が恋しい。この後第二弾三弾と耐え忍び、大仕事を済ませ腰を上げ便器を見下ろすと、白いはずの陶器はあの日に見た赤に染まっていた。
退院の翌日。ビニールゴミの日だったので、部屋中のビニールゴミを一袋に集め、それを待って町の指定ゴミ捨て場に持っていく。ゴミ自体は軽い。しかし一歩歩く度に患部へズンと響く。通常より狭い歩幅で、尚且つちょっと内股気味で歌舞伎の女方のようにしゃなりしゃなりと歩く。この手術は何かと歌舞伎役者じみた感じになるようだ。退院3日目。排便が少し楽になったと実感する。しかし排便の度にシャワーを浴びるのはやはりなかなか面倒である。日ごと状態が良くなっているのが手に取るように分かる。術後丸1週間後に通院し先生にチェックしてもった。大変良好ですねという言葉に安堵する。術後1週間後に大出血する場合があると聞いていた。これか?というう程度のものはあったが、あの殺人現場を思えば微々たるものである。先生曰くもう1週間したら、つまり術後2週間後には、ガーゼと軟膏だけ着けとけば辛い食事も飲酒も、少々重い荷物を担いだりなど普通に生活してよいとの事。ガーゼは1か月で取れ、寛解と言えるのは2か月後だそうだ。自分の場合は2月17日手術したので4月16日をもって全治である。ただし半年後にまた一応検査をするんだそうな。内痔の場合は再発という事もあり、場合によっては癌化する事も無い事はないらしいので、それらを見張るとの事だった。つまりこの痔と完全に縁が切れるのは手術の日ではなく、そこからまた半年以上を費やす事となる。まあ20年もの永き間、良き日も悪し日も常に共にし、痛みも分かち合ってきた仲であるから、早々簡単に手切れができるわけではないという事なのだろう。ともあれ手術してしばらくは難儀することも多々あるが、不意に「やあ」と顔を出してくるやつもいなくなり、いつ大出血するかの心配もこれで絶たれる訳で、手術の決断をした事をとても良かったと思っている。今後「オレ様は大痔主だ」とか「脱肛ちゃん人形が顔を出して~」などという親父ギャグが使えなくなるが、そんなものは一生使わなくても良い。これで耐え忍んできた生活も随分変わると思えばいいこと尽くしなのだ。長時間の着席と飲酒にストレス、これが主な痔の原因だそうなのでせっかく痛い思いをして手術をしたのだから今後は気をつけよう。皆が皆同じ痔ではないと思うが、これがこれから手術を考えられておられる御仁のお役に立てればと思う。ちなみに痔瘻と外痔についてはこの限りではないし、内痔であってもいずれにしろ専門のお医者様としっかりご相談なされるが良い。
また何か変化があればご報告申し上げよう。
これにて 痔 end。