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Next Lounge~私の鼓動は、貴方だけの為に打っている~第31話 「慟哭」

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
主題歌:イメージソング『Perfect』by P!NK
https://www.youtube.com/watch?v=vj2Xwnnk6-A
『主な登場人物』
原澤 徹:グリフグループ会長。
北条 舞:イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 チーフ テクニカルディレクター。
アベル:舞がペルー🇵🇪のホルヘ・チャベス国際空港で出会ったストリートチルドレンの少年。サッカーが得意というが・・果たして。
イバン:舞がペルー🇵🇪のホルヘ・チャベス国際空港で出会ったストリートチルドレンの少年。アベルと共に、孤児院より抜け出して育つ。
イニゴ・モレーノ:グリフ警備保障南米支部勤務のペルー🇵🇪人。元軍人で、ラゴールの部下。
エウセビオ・デ・マルセリス:元イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿プレミアリーグ2チェルシーFC.リザーブ所属。CF登録。
エリック・ランドルス:ロンドン・ユナイテッド FC 秘書部 秘書室長。
ジュニーニョ・ペルナンブカーノ:母国ブラジル🇧🇷のサッカーコメンテーター兼コーディネーター。現役時代、ブラジル代表として活躍、直接フリーキックによるゴール数77本の歴代最多記録を保持する。
セシリオ・ファン・レンソ:ザ ウェスティン リマ ホテル & コンベンション センター マネージャー(総支配人)。元アメリカ🇺🇸海兵隊を得て傭兵経験があり、原澤会長とは戦友。
ダビデ・ゴンザレス:イバンの救助にあたった救急救命士隊長。
ディディエ・ラゴール:グリフ警備保障南米支部 支部長。元アメリカ🇺🇸海兵隊を得て傭兵経験がある。
テディ・カルダーマ:ペルー🇵🇪1部リーグ プリメーラ・ディビシオン所属スポルト・ボーイズ監督。
パブロ・マルティン:イバンの救助にあたった救急救命士。アベルの救助を引き受ける。
ホルヘ・エステバン:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 エージェント。

エリアス・マイヤーズ:リマのギャング組織"tifón"の幹部。殺人を躊躇なく行う姿から、同じ苗字のホラー映画を模して"ブギーマン"と呼ばれる。
アントニオ:リマのギャング組織"tifón"のメンバー。特徴的な天然パーマで、それをバカにされるとキレてしまう。
ウゴ:リマのギャング組織"tifón"のメンバー。妊婦の様に突き出た腹が特徴の小太り男。
オリオール:リマのギャング組織"tifón"のメンバー。丸太の様な二の腕をした坊主頭のタンクトップ男。サディスティックな男で、言うことを聞かない女を平然と殴りつける。
ディエゴ・モンテス:リマのギャング組織"tifón"の幹部。ポマードで固めたリーゼントヘアーがトレードマーク。日頃からナイフをよく使い、得意はポケットサイズの折りたたみ式ジャックナイフ。

エーリッヒ・ラルフマン:サッカーワールドカップ2014優勝ドイツチーム元コーチ。現ロンドン・ユナイテッドFC監督。

アイアン・エルゲラ:ロンドン最大のギャング組織集団『グングニル』の元リーダー。ロンドン・ユナイテッドFC選手。GK登録。通称アイアン。原澤会長に"舎弟"として気に入られている。
坂上 龍樹:ロンドン大学法学部1年。元極真空手世界ジュニアチャンピオン。ロンドン・ユナイテッドFC選手。CF登録。通称リュウ(龍)。
デニス・ディアーク:元バイエルンミュンヘンユース所属、元ギャング団グングニルメンバーの在英ドイツ人🇩🇪。ロンドン・ユナイテッドFC選手。 CB登録。通称D.D。
パク・ホシ:ロンドン・ユナイテッドFC選手。CMF登録。金髪をオールバックにし編み上げた長髪を背後で束ねた姿がトレードマークの在英韓国人🇰🇷。今の韓流スターとはかけ離れた厳つい表情を本人は気にしている。
ニック・マクダゥエル:イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿とナイジェリア🇳🇬の二重国籍を持つ、元難民のロンドン・ユナイテッドFC選手。DMF登録。通称ニッキーと呼ばれ、アイアンとは幼馴染み。キャプテン。
レオナルド・エルバ:ロンドン・ユナイテッドFC選手。OMF登録。通称レオ。ウェーブがかったブロンドヘアに青い瞳のイケメン、そして優雅なプレイスタイルとその仕草から"貴公子"とも呼ばれる。
レオン・ロドゥエル:特徴的なモヒカンヘアで、表情を変えない北アイルランド人。そのクールさから"アイスマン"と呼ばれるロンドン・ユナイテッドFC選手。LSB登録。

☆ジャケット:落ち込むペルー🇵🇪のストリートチルドレンの少年、アベル。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

第31話「慟哭」

「クソッ!?」
ペルー🇵🇪リマにある高級ホテル、ザ ウェスティン リマ ホテル & コンベンション センター近郊の夜道をストリートチルドレンの青年アベルが悪態を吐きながら歩いていた。アベルは、今日の昼、空港で出逢ったイングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 チーフ テクニカルディレクターである日本人🇯🇵女性の北条 舞と親友イバンでペルー🇵🇪1部リーグ プリメーラ・ディビシオン所属スポルト・ボーイズの練習場を訪問していた。彼は初めてプロサッカー選手達の練習を観たのだが何も感じ得ず、正直、自分でも通用するのでは?とさえ思った。だからこそ、舞から練習試合に参加を促されても、拒否しているにも関わらず自らに期待もしていたのだ。だが、ピッチには想像を絶する怪物が居た。彼が知る190cmを超える巨体の男は、皆、木偶の坊だった。追いかけられても捕まることなどなく、ただ息切れをして追い付くこともない。今まで馬鹿にしてきた存在だ。それなのにピッチに居たギリシャ🇬🇷出身のこの怪物エウセビオは、彼が知る木偶の坊などではなく、パワー、スピード、テクニック、スタミナ、どれをとっても異次元だった。初めは、得意の読みでボールをクリアするなどしてチームメイト達から信頼を得たのだが、彼から差し出された手を払ってからエウセビオにスイッチが入ったのだろうか?フィジカル重視のプレイによりキレが増し、更に瞬発力とスピードが段違いに跳ね上がると、アベルの非力な身体ではどうする事も出来なかった。彼の動きを予測しようと必死に考えても、そんな落ち着こうとしている自分を嘲笑うかのごとく、強引に突破してくるのだ。そのため、ペナルティーエリア内でエウセビオがボールを背負いキープすると、アベルはもう一人のCBの仲間と挟み込み抑えようと試みたのだが、彼は力んでいる自分を読んでいるのか、そんな自分の方にターンして突破しようとして来た。(押さえられる!)そう確信した刹那、エウセビオが自分の脚をアベルの脚にワザと掛け派手に転倒したのだ。即座に笛が吹かれ、コーチはペナルティーエリア内を手で指した。
「な、何でだよ!?今、アイツがワザと脚を掛けて倒れたんだぞ!」
「彼の進行方向に脚を出していたのは、君だな?」
アベルは思わず口をパクパクさせたが、黙るしかなかった。"マリーシア"・・ポルトガル語で「ずる賢い」を意味するブラジル発祥の単語だ。だが、この言葉は決して額面だけを評価するものではない。エウセビオは、激しくアベルと当たることで彼の動きから余裕を消し、限界を超えた動きをさせることで正常な判断を出来なくさせていた。エウセビオの戦術は、舞にも分かった。激しく行くと見せかけアベルの身体に緊張感を植え付け、非力な彼が為せる唯一の戦術を無力化させたと言える。ピッチではエウセビオがボールを貰い受けペナルティーマークの位置へと移動して行ったのだが、舞は同時にカルダーマ監督の方へと向かった。
「あれ、舞?」
イバンが心配そうに彼女を目で追った。
「カルダーマ監督。」
「どうしました?」
「すみません、アベルなんですが交代をお願いしても宜しいでしょうか?」
「そうですか、なるほど・・分かりました。」
カルダーマ監督はピッチ横に居た🅰️チームのCBを呼び寄せると、ピッチ上のアベルを指差し交代を命じ、自らは審判役のコーチに声を掛けてアベルの交代を告げて舞の元に戻って来た。
「すみません、監督。」
「いや・・彼は、何処かのユースに入っているのかね?」
「アベルがですか?いいえ、入ってませんが・・。」
「全くの素人という訳では・・ないよね?」
「彼は、素人の少年ですよ。」
「し、素人・・あれが?」
カルダーマ監督が"ポカーン"と口を開けて見ている中、交代したアベルがイバンの呼び掛けを無視して、そのままピッチを後にしようとした。
「監督、ありがとうございました。」
舞は深々とお辞儀をすると、アベルの元へと走って行った。その後ろ姿を見ながら、カルダーマ監督は呟いた。
「とんでもない逸材だ・・。」
ピッチではエウセビオが、主審に声を掛け交代のジェスチャーをしていた。
「アベル!!」
舞の呼び掛けに応じず、アベルは背中を向けたまま歩いて行き、彼女はその後ろ姿に付いて行った。
「付いて来るな!!」
ピッチから出たアベルが通路に入った所で、突然大きな声を上げた。
「ねぇ?アベル。カルダーマ監督が『彼は何処のユースチームに所属しているのか?』そう聞いて来たわ。エウセビオも、最後は本気になって貴方に対した。貴方は私の思った通りの人よ。アベル、貴方には才能がある!自信を持って欲しいの。」
「あんな短時間で、俺はやられまくったじゃないかよ・・。」
「あの短時間で、貴方がクリアしたパスは幾つあったかしら?」
「・・。」
舞の目にアベルが背を向けたまま、嗚咽を噛み殺している様に見えた。
「その間、🅰️チームの仲間でクリアしたのは何回?貴方は十分に闘ったわ。立派だった。」
舞は、アベルに背後からそっと額を寄せた。
「!?」
夢想だにしない彼女の行為に、アベルは泣き顔のまま振り返ってしまった。舞がアベルの背に頬を寄せて呟く。
「短時間で貴方は、随分貴重な体験をしたわ。この悔しさを糧にして欲しいの。貴方とイバンをストリートチルドレンに戻す様な愚行は、私の選択肢にない。アベル・・ロンドン・ユナイテッドFCに来なさい。全ての面倒を私が見るわ。」
「えっ・・全て?」
舞は、ゆっくりとアベルの背中から離れると右手を彼に差し出した。
「アベル選手!我々、ロンドン・ユナイテッドFCへ、ようこそ。貴方を育成選手として、私が全力でサポートさせてもらうわ。」
アベルは躊躇していたが、深く息を吐くと舞の手を右手で握った。すると彼女は、すかさずハンカチを持った左手を添え、優しく彼の手を握って来た。舞は覗き込む様にアベルの顔を見上げて言った。
「イケメンが、台無しよ。」
アベルは苦笑いすると、舞のハンカチで涙を拭った。
「本当にいいのか?」
「ええ!誰よりも私、貴方に期待・・あ!もう1人、居たわね。出てらっしゃい、イバン!」
舞が笑顔で振り返ると、通路の入り口からイバンが顔を出した。
「イバン・・。」
「舞、その・・アベルのこと、ありがとう。本当に・・信じていいの?」
舞は"おいで!おいで!"と手でイバンを呼ぶ仕草をすると、近寄って来たイバンを抱き締めた。
「お姉さんに、任・せ・な・さ・い!それと、貴方もよ、イバン。貴方の笑顔には、人を蕩かせてしまう温もりがあるわ。エージェントとしての素質がある!サッカー⚽️と別のことでもいいから頑張ってみて、応援するから。」
「俺達、舞と一緒に暮らせるの?」
舞に抱き締められながら、イバンが問いかけてきた。舞はイバンから身体を離し虚空を仰ぎ見て、
「んーー、それは、流石に難しいけど・・大丈夫!何とかなるわよ、うん!」
「なるのかよ!ていうか、何でダメなんだよ?」
何時ものアベルが、顔を出してきた。舞は髪を掻き上げながら、照れ臭そうに応えた。
「今、お付き合い・・している男性が居るの。」
「へぇ〜!どんな人なの?」
今度は、イバンが舞の顔を覗き込んで片眉を上げ、笑顔で聞いて来た。
「い、いいじゃない!私のことは・・。」
「良くないよ。当てがないなら、意味はないじゃん!」
とイバン。
「それは、そうだけど・・。大丈夫!何とかするから。」
「いい加減だなぁ・・。」
「俺・・段々、舞という女が分かって来た気がするよ。」
「え?どういう意味よ?」
アベルが目を細めて見下ろしながら話して来たことで、舞が膨れっ面をして応えた。
「そんなんじゃ、彼氏も離れちまうぜ。身近で言われたことない?"計画性ゼロ!"だって?」
「・・。」
絶句してしまった。思い当たる節?あるに決まっているではないか!幾度となく、リサに言われ続けたセリフだ。舞が突然、半泣きの顔をして俯いたため、アベルとイバンは目を丸くして互いを見合わせた後、どちらからともなく肘で小突き合いをし始めた。
この時、通路の入り口ではペルナンブカーノ、ホルヘ、エウセビオ、カルダーマ監督の4人が動向を観ていた。
「やはり、アベルとイバンの面倒を見るつもりでしたか・・予想はしていたのですが。」
ホルヘがため息を吐くと、ペルナンブカーノが肩を叩いて呟いた。
「彼女の優しさが、引き寄せたものだ。アベル君はきっと、ペルー🇵🇪を代表する名CBになるだろう。」
「同感です。彼の視野の広さ、判断の素早さ・決断力、予測、どれも素晴らしいものがある。あとは、フィジカル、経験と優秀なコーチによる指導でしょうかね。」
エウセビオが目を細めて呟くと、カルダーマ監督が話し掛けた。
「少しは、冷やっとしたかい?」
「少しなんてもんじゃないですよ!あの素早さ、しなやかさは非常に厄介でした。そして、予測ですかね。先に脚を出されてしまうのは、困りましたよ。素質でしょうか?」
「よく言うよ!完璧に、捻じ伏せたじゃないか。」
「今後、調子に乗らせると厄介ですからね。」
「えっ?」
ホルヘが振り向いて、エウセビオを見た。
「ホルヘさん、自分をロンドン・ユナイテッドFCに入れて下さい。是非、舞さんに取り次いで頂きたい。」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ、お世話になりますよ。」
ホルヘがエウセビオの下に歩み寄ると、ペルナンブカーノが呟いた。
「俺もやられたのか?リヨンにさえ、入っていれば・・。」
「いや、私もですよ、ペルナンブカーノさん。」
カルダーマ監督も俯き、ため息をついた。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「アベル!」
呼び止められたアベルが振り向くと、イバンが柵を飛び越えて駆け寄って来た。
「どうした、眠れないのか?」
「お前は寝てていいんだぜ。」
「舞が心配してさ、『行ってきて』って言われたんだ。」
「そうか・・。」
ポケットに手を突っ込み口元に笑みを浮かべたアベルが、足元の石を蹴飛ばした。
「凄いことになったよな?アベル。上手く行けばプレミアリーグでサッカー⚽️してるんだぜ。しかも、ペルー🇵🇪代表としてさ。」
「上手くいけば、だろ?」
「上手く行くさ!」
「お前はホント、楽観的だよな(笑)」
「悩んだって、仕方ないだろ?やらないで後悔するより、やって後悔しようよ。」
「言うことは、カッコいいけどな(笑)」
イバンは柵に腰掛けると、脚をぶらぶらさせた。
「でもさ、気持ちいいだろうなぁ・
「何が?」
「プレミアリーグで活躍してさ、皆が"アベル"の名前をワールドカップで連呼したとしたら、凄くないか?"俺、アベルのマブダチだぜ"って言いまくるよ。」
「ワールドカップかよ!?妄想に限界がねぇーな?(笑)」
「なぁ!そろそろ、戻ろうよ。舞が心配してるから。」
イバンに呼ばれたアベルが、ポケットに手を突っ込みながら空を見上げて呟いた。
「なぁ、イバン?」
「ん?」
「俺達は、舞に大きな借りが出来たよな?」
「ああ、でっけぇー借りな!」
「返さなきゃ・・いけないよな。」
「返そうぜ!何倍にもしてさ。」
アベルがイバンに視線を移すと、"ニカッ!"と笑ったいつもの笑顔の彼の背後に、複数の人影が立っているのが目に入り、背筋に"ぞわり!"と鳥肌が立った。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「ん・・。」
寝返った舞がサイドテーブルに置かれたスマホを取り時間を確認すると、PM11時30分を過ぎていた。彼女は起き上がり、そのままベッドに腰掛けた。
「もう。何処に行ったのよ・・。」
アベルが出て行った後、舞はなかなか戻って来ない彼を心配してイバンを起こして探しに行ってもらった。眠そうに起きた彼だったが舞の説明に、
「仕方ないなぁ・・分かった!迎えに行って来るよ。舞は寝ててよね。」
「帰って来たら、インターホンを鳴らしてね。」
「了解!」
ジーパンを履き、イバンは舞に呼び止められ敬礼し勢いよく出て行った。イバンの陽気な所は、心底リラックスさせてもらえる。彼女は再びベッドに横たわると、思わず笑みをこぼした。彼が出て行ってから30分程過ぎただろうか、未だに音沙汰がなかった。ため息を吐いた彼女は、スマホの画面を見て大きく息を吸い再び吐いた。彼と話したい!愛する徹さんと・・でも、ロンドンは朝の6時だ。そう考えて、スマホの画面を見て彼女は目を丸くした。
「えっ!あれ?嫌だ・・私、何で???」
舞のスマホのLINE画面に"徹さん"と入力し、いつの間にか送信をしていた。寝惚けていたとはいえ、無意識にしてしまった自分の行為に彼女は混乱した。
(ど、どうしよう・・何て続けたら?)
その時スマホが着信に震え、画面には"徹さん💕"の文字が表示されていた。
「も、もしもし・・徹さん?」
「おはよう、舞!あ、"お疲れ様"の方がいいかな?」
スマホから徹の明るい声が聞こえてくると、彼女は一瞬、ホッ!とした。
「ごめんなさい・・朝早くに連絡してしまって。」
「大丈夫だ、会長室に居る。」
「え?だって、朝の6時では?」
「そうだが・・俺にとっては、普通のことだろ?」
「もう!真面目過ぎるのも問題ですから。」
「代わりが居るのなら、な。」
「それは・・そうですけど。」
舞は、スマホを握って俯いた。徹の真面目さは尊敬出来るのだが手を抜かない仕事ぶりには、些か心配であった。
「早く"会長補佐"或いは"会長代理"に就いてくれ。」
「誰がですか?」
「君がだよ、舞。」
「はい?な、何を仰っしゃてるんですか!?」
余りにも夢想度にしない事で、彼女の頭は激しく混乱した。
「それで、何があった?」
「え?」
「続きを送れずに悩むなど、余程のことだろ?何があった?」
(徹さん・・)
舞はスマホを握る手に力を込め、目を閉じた。
「話の展開が、急過ぎます。」
舞はTシャツにグレーのスウェットパンツを履いていた。彼女は徐に立ち上がるとスマホをスピーカーモードにしてベッドに置き、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、歩きながら蓋を開けて一口含んでバルコニーの窓を開けた。
「そうかね?」
「はい。だって、私、心の切り替えが出来なかったもん。」
「そんな事ないだろう?」
「あるもん!」
舞がバルコニーから離れ、再びベッドの上に置いたスマホを取りに戻った着後"パン!パン!"と乾いた銃声の様な音が屋外から聴こえて来た。
「え?」
彼女は振り返り目を見開くと、スマホを握り締め裸足のままバルコニーに飛び出した。バルコニーの手摺に水の入ったペットボトルを起き、片手で身を乗り出し耳を澄ましてみた。
「イバーーン!!」
小さい声だが、確かに聴こえた。アベルの声だ!舞は慌ててバルコニーから部屋に駆け入ると、振り返って窓を閉め、テーブルにスマホを置いた。
「行くのか?」
スマホから徹の抑揚のある低い声が聞こえると、舞は椅子に掛けてあった紫のパーカーを手に取り動きを止め、一瞬考えた後、口を開いた。
「徹さん・・私、行かなきゃ。行かないといけないの。」
直ぐに、袖を通し始めた彼女の耳に彼の声が更に聞こえた。
「そうか・・無理はするなよ。」
舞はパーカーを着るとテーブルに近付いてスマホを手に取った。
「行って来ます。」
「"あれ"を持って行け、気を付けてな。」
「あ・・はい。」
スマホから徹の声が聞こえ、やがて彼から通話が切れると舞は深く深呼吸をした後、キャリーバッグの前に来て跪き、中からクリップの付いた太めのマジックみたいな物?を取り出した。彼女はキャップを"クルクル"と回してスライドさせると、中から鈍く銀色に光る棒を取り出して目の前に掲げ、勢いよく真横に降った。
"ジャン!!"
棒は4段に連なり、タケノコ状に伸びて止まった。そう!特殊警棒である。舞が剣道の達人であると知った徹が、彼女の為に護身用として密かに持たせた物だ。高強度アルミ製のため軽く破壊力は無いが、相手の手を使えなくするのには十分な護身用器具と言えるだろう。舞は再び収縮して格納するとクリップだけ取り外してグリップにはめて、胸元に引っ掛けキャリーバッグを仕舞い部屋のカードキーをポケットに仕舞い込み、裸足のままスニーカーを履いてダッシュで部屋を飛び出して行った。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
スマホの通話を切った徹は、スマホを握り締めたまま虚空を睨み付けていたが、やがて、立ち上がり会長室の扉を開け秘書室へと入って行った。
「おはようございます。」
秘書室長のエリック・ランドロスが、既に着席し業務に入っていた。
「早いな、エリック。」
「会長に合わせれば、こうなりますよ。」
「合わせんでいい、と言いたいがそうもいかなくなった。」
徹がエリック秘書室長の斜向かいにある出社前の女子社員席に、腰掛けた。
「どういうことです?」
「北条チーフの連れているストリートチルドレン、どうやら彼等がトラブルに巻き込まれたようだ。」
「トラブル?」
「彼女はホテルの自室に居て、彼等は外出していたようだがバルコニーに出た彼女のスマホから2発の銃声が聞こえた。9mmパラベラム弾だ。」
「パラベラム弾?何ですか、それは?」
パラベラム弾・・オートマチック拳銃用に開発された9mm弾の中で最も普及しているモデル。別名「9mmルガー弾」、「9x19mm NATO弾」とも呼ばれる。9mmパラべラム弾の「パラべラム」とはラテン語で「Si Vis Pacem, Para Bellum」(平和を望むならば戦いに備えよ)という意味を持っていて基本的に9mm弾といえばこの弾丸を指すことが多い。
「知らないならいい。彼女が既に向かっている、ラゴール達を動かしてくれ。」
「承知しました!直ぐに。会長は?」
「セシリオに動いてもらう。それと、場合によっては"FOES"に動いてもらうことになる。」
FOES・・1969年に創設された小規模な部隊で、当時ペルー海軍は本部隊に対してSEALsのような能力を要求せず、UDT程度の能力で充分と判断した。しかし、その後テロが多発したことからSEALsスタイルへと進化し、現在、約200名の隊員を擁している。
「"FOES"を動かすのなら、私が動きます。会長は、セシリオさんに対応願います。」
「そうか・・、すまんな。」
徹はそう言うと、振り返り会長室の扉を開けた。
「"姫"を止めることは、出来なかったのですか?それに・・会長、何故彼女と?」
エリックの呼び掛けに、彼は背を向けたまま一瞬動きを止めたが、そのまま会長室へと消えて行った。
エリック秘書室長は一瞬、考える仕草をしたが、やがて受話器を取りグリフ警備保障南米支部 支部長ディディエ・ラゴールのスマホナンバーをタップした。
「夜分遅くに済まない。今、大丈夫かね?」
徹は会長室に戻ると、ザ ウェスティン リマ ホテル & コンベンション センター マネージャー(総支配人)セシリオ・ファン・レンソへと連絡を入れた。
「今なら・・大丈夫だ。」
彼の口調から、移動中であるのが分かる。
「先程『舞さんがホテルを出た』と一報が入った。警戒していたラゴールの部下達と共に向かっているところだ。」
「銃声の件は、聞いたかね?」
「ああ。」
「対応を誤まらんでくれよ。」
「俺を忘れたのか?久しぶりだが老いたとはいえ、今も訓練は継続しているんだぞ・・待て!」
セシリオは、一緒に行動していたラゴールの部下2人に声を掛けて制すと暗闇に隠れた。
「徹、スピーカーモードにしておく。悪いが、こちらからの合図をもって、そちらより何か音を頼めるか?」
「了解だ。」
「会長!」
会長室の扉が開きエリック秘書室長が入って来ると、徹は振り返り左手で口元に人差し指を立てて黙らせた。
ホテルのエントランスから離れた植栽にある芝生の上には、4人の男が居て内1人、天然パーマのアントニオが鼻血を出しているアベルの首にナイフを近付け立っている。その真向かいに舞が対峙していた。
「お前1人か?」
5人の内、腹の出た小太りの男、ウゴが周囲を見廻して尋ねて来た。
「少なくとも、私には"ゴースト"でさえ目に入らないけど?貴方には、見えるわけ?」
「なに!?」
丸太の様な二の腕をした坊主頭のタンクトップ男、オリオールが怒鳴ったのだが、舞は表情1つ変えずにアベルの方を向いていた。そこにナイフを手に持ち、手持ち無沙汰にブラブラとさせていたリーゼントの男、ディエゴ・モンテスが舞の近くに歩み寄って来て、彼女の髪を触り身体を上下に舐め回した。周りに居るストリートギャングの面々が、口元に下品な笑みを浮かべて見ている。
「随分と余裕のようだが、助っ人でも居るのか?」
ディエゴは執拗に舐め回した後、舞の前に来て顔を見据えて質問した。
「貴方達にお願いがあって来たの。アベルとイバンを解放して貰えますか?Por favor(ポル ファボール:お願いします)。」
と舞は姿勢を正して深く会釈をした。頭を下げ続ける舞を見下ろしていたディエゴは、再び口を開いた。
「何の身寄りもなく、人に迷惑を掛けてばかりの"クズ"達を何でお前は目をかけるんだ?」
舞はゆっくりと顔を上げると、再び姿勢を正した。
「2人が今までしてきたことは、生きる為だと思います。肯定するつもりはありませんが、理解は出来ます。未来のある彼等と触れたことで、その環境を変えるチャンスを与えたいんです。協力をして貰えませんでしょうか?」
「舞、俺のことはいいんだ・・それより、イバン、イバンを助けて!」
「うるせぇーんだよ、オメェーわ!!」
オリオールが、アベルの顔を拳で殴ると鈍い音が暗闇に響いた。
「やめて下さい!イバンを・・イバンをどうしたんですか?」
「さぁーな。其処らで横になって寝てんじゃねぇーか、オラ!しっかり立てや!!」
ウゴが殴られ、ぐったりしたアベルの前髪を掴み顔を上げさせると、彼は虚な目で舞に口をパクパクさせて囁いた。
「イ・イバン、イバンを・・。」
直後、舞は般若の様な形相になり反射的に胸元にある特殊警棒へと手を伸ばし身体を屈め一振りさせた。
"ジャン!!"
それと同時にアントニオの前へ一瞬で踏み込むと、強烈な小手でナイフを持つ手の甲を叩き、その返す振りで額を割った。
"ビシ!""バシッ!"
直後、アントニオの額から鮮血が飛び散り、彼は意識を失い崩れ落ちアベルもその場へと崩れ落ちた。だが、彼女は既にウゴの目前に特殊警棒を上段に構えて踊り出ていた。
「う・わっ!?」
"バシッ!"
額を打たれたウゴが、意識を失い崩れ落ちる。
「こ、この野郎!?」
オリオールが舞に背後から飛びかかった・・はずだった。
「う・・ゲェ〜!?」
舞の特殊警棒が、背後から襲って来たオリオールの鳩尾に突き刺さっていた。
"ジャン!・・バシーーン!!"収納された特殊警棒を回転しながら伸ばし、その遠心力で後頭部へと見舞い、オリオールは失神し崩れ落ちた。彼女は、オリオールの影に丸くなる様に屈み振り返ってディエゴを見上げた。バタフライナイフを握り直し、彼は舞に向かって構えた。
「や、やるじゃねぇか。」
舞がアベルの元へ走って向かった、その時!?
「跳べ!舞!!」
その忘れもしない声に瞬時に反応した彼女は、前方へと丸まって転がった。
"パン!パン!!"
乾いた銃声が暗闇に響いた。
「きゃ!!」
「あそこだ!」
暗闇に隠れていたセシリオが、ラゴールの部下に指示をすると2人は暗闇に閃光を放った箇所へと飛びかかった。
"ガサ!ガサササ!"
暗闇の中、茂みに人の移動する音が響いた。
「舞さん、大丈夫ですか!?」
うずくまって動かない舞に、セシリオが駆け寄った。
「す、すみませ・クッ!?」
舞は顔をしかめて左腕の二の腕を右手で抑えると、ベタリ!と感触があった。恐る恐る手のひらを月明かりにかざした舞は、血が付いているのを見て青ざめた。
「失礼しますよ。」
セシリオは、舞の着ているパーカーの肩先に歯を立てると一気に切り裂いた。
"ビリッ!"
「くっ・・。」
「掠っただけのようですね・・良かった。」
(さっきの声・・あれは、徹さんの声よね?)
彼はポケットからハンカチを取り出すと、血の流れを止めるために舞の肩下を強く縛った。
「ん!」
「無理をなさらないで、安静にしていて下さい。」
セシリオは舞の持っていた特殊警棒を拾うと、ディエゴへと正対し中段に構えた。
「ストリートギャングだな。私の大事な友人から預かった女性に傷を負わせたことを、後悔するといい。」
ディエゴはナイフを突き出した姿勢で、虚勢を張った。
「お、俺は"tifón"の・・か、幹部だ!て、手を出してみろ、後悔することになるぞ!」
「リマの住民全てが、お前らを恐れていると思うのか?愚か者共が!」
とセシリオが言い終えた瞬間、
"グシャッ!!"
という音がして、ディエゴの脳天に空からペットボトルが落ちて来て当たって跳ねた。
「い、いてぇ!?な、何だ?」
頭から水浸しになった彼が、空いた方の手で頭を抑え背後にあるホテルのバルコニーを見上げた。
「ホテルのお客様も、お前らの事が嫌いらしいな(笑)。」
セシリオは、言い終えるや否や舞の特殊警棒を上段に振り被り、一気に打ち込んだ。
"バシーーン!!"
舞が奏でた面の音より遥かに大きな音が響き、ディエゴが額を鮮血に染め失神し、その場に崩れ落ちた。舞は目を丸くして、ペットボトルが落ちて来た方を見上げて呟いた。
「どなたが落としてくれたのでしょうか?」
「勇気のある方が居られることに、私は安心しましたよ。」
セシリオが満面の笑みを浮かべる横を舞は、右手で左腕を抑えながら歩くと、まだ水(?)らしい液体が入っているペットボトルを掴みラベルを見て大きな目を更に見開いた。
(こ、これ・・私が飲んでたエビアンじゃない!?)
彼女はもう一度、上空を見上げ誤魔化す様に血の付いている右手のひらを洗い流した。
「終わりましたか?」
暗闇から、男を担いだグリフ警備保障南米支部 支部長ディディエ・ラゴールが現れると、彼はその男を地面に放り投げた。
「ぐぅっ!?」
男は、カエルが出す様な声を出して呻いた。周りでは、ラゴールの部下達が気を失っているギャングのメンバーを拘束している。舞は放り投げられた男の顔を見て、初見である事を確認した。
「徹、助かったよ。いつもの感かね?」
「え?」
隠していたスマホを拾い上げたセシリオが、通話中の徹に話し掛けていた。
「ああ、終わったよ・・ちょっと・・ん?舞さん?」
セシリオが徹の要求に応じて舞にスマホを渡そうとし舞が歩み寄った時だった。彼女は近付いて来た救急車のサイレンに反応し点滅している灯りへと振り返ると、其方へ向かって走り出してしまった。
「徹、すまない。舞さんは別の少年の下へ・・ああ。左腕の上腕三頭筋を1発掠っているが止血はした。・・いや、先程の呼び掛けで助かった・・ん?分かった、ちょっと待ってもらえるかい?ラゴール!」
セシリオが自分のスマホを厳しい表情でラゴールに差し出すと彼は、俯いた後に意を決してそれを受け取った。
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舞は左腕の痛みを忘れる程に動揺し目前に赤色灯を点滅させた救急車が停車すると、一目散に駆け付けた。目の前には酸素マスクを付けストレッチャーに乗せられたイバンが、救急車に乗せられようとしていた。
「イバン!!」
舞がストレッチャーに激しく詰め寄ると、救急隊員と話していたグリフ警備保障南米支部のイニゴ・モレーノが声を掛けて来た。
「北条チーフ、彼は危険な状態です。急いで救急車にお乗り下さい。」
「あ!で、でも、あのう・・向こうにも怪我をしたアベルが居るんです。お願い出来ますでしょうか?」
「パブロ、頼めるか?」
パブロと呼びれた救急隊員が、舞の下へ来た。
「分かりました!案内して貰えますか?」
「その・、彼方に行くと居ると思います。すみません、私、この子と一緒に・・ダメでしょうか?」
「私が案内しますよ。」
2人の隊員は顔を見合わせると、舞の側に居た隊長ダビデが目配せでパブロと呼ばれた隊員に行くよう指示を出した。
「分かりました。では、お願いします。」
「モレーノさん・・すみません。」
「いえ。では、隊員の方、付いて来て下さい。」
パブロは大きな鞄を抱え、モレーノとアベルの居場所へと向かって行った。
「病院に向かいますよ。」
「はい、お願いします。」
「よし、出してくれ!!」
ダビデ隊長は後方ハッチ内部から運転席のバックミラーへと合図を送ると、運転席の隊員リベール
が頷き救急車はサイレンを鳴らして走り出した。舞は揺れる救急車の中、イバンの顔を見つめていた。この子は、何故撃たれたのだろう?撃たれなければいけない事をしたと言うのだろうか?理不尽な暴力行為に直面した彼女は、内から沸々と湧き上がる恨みの感情に戦慄した。アベルが舞にイバンを救って欲しい!と頼んで来たあの瞬間から、3人のストリートギャングを打ち果たし自らが撃たれるまで、自分の記憶が全くない事も混乱を助長させた。無意識の内に人を傷付けたことが、内に秘めた己の狂気である様に考えられ、彼女は目を伏せ頭を降った。
「ま・い・・」
自分を呼ぶ声に反応し、彼女は顔を上げイバンを見た。酸素マスクを付けたイバンが視線を宙に彷徨わせると、彼の右に腰掛けていた舞が彼の右手を取り優しく握った。
「イバン・・、私ならここに居るわよ。」
辛そうな彼の呼吸音を聞き、舞が顔を引き攣らせて微笑んだ。
「あ・アベルの奴・・大丈夫だった?」
何とか聞き取れるくぐもった声に、舞はイバンの口元に顔を近付けた。
「うん、何とかね。でも、アベルも"イバンを助けて"って、ずっと、言ってたの・・だから、貴方も頑張らないと・・」
そう言い終えた舞が、急に堪え切れずに涙を溢れさせた。
「ご、ごめんね・・イバン。私が・・私が貴方を行かせなければ、こんな事には・・。」
イバンは"フッ"と微笑んで口を開いた。
「舞は・・全然、悪くないよ・・僕が悪いんだ。」
「そんな・・イバン?」
彼の目尻から、涙が溢れ出て来た。
「あ、あんなに痛かったのに・・今は痛みを感じないよ?」
「え?」
舞はダビデ隊長を見据え、目で訴えた。
「鎮痛剤のモルヒネが効いたんでしょう、心配ないですよ。」
「これ、頂きますね。」
「どうぞ。」
"ほっ"としてイバンの顔を見た舞は、ティッシュを貰い彼の目尻から流れ出た涙を拭っているとダビデ隊長が耳打ちしてきた。
「非常に危険な状態です。意識を保つ為にも声を掛けてあげて下さい。」
舞の動きが一瞬止まり笑顔を作ってから、イバンの髪を撫でた。
「痛みが感じないなら、治ったと勘違いしそうじゃない?」
思わず怪我をした左手で撫でてしまい、苦痛に顔を歪める。
「"ブギーマン"の奴、アベルを撃とうと・・したから、俺、アベルを助けようと・・」
「そうだったのね。イバン、今は辛いだろうけど頑張って!きっと大丈夫・・ね。」
酸素マスク越しに、イバンが顔を歪めて泣き始めた。
「何で・・何で俺、アベルの為に・・撃たれる様なことをしたんだよ・・」
「・・」
舞は言葉に詰まり、目を潤ませてイバンの髪を撫でながら聞いていた。
「ア、アベル・・が、死ぬのは、た・耐えられないよ。で、でも・・お、俺・し、死にたくない。」
「あ、当たり前じゃない!死ぬわけないでしょ!」
もう、舞は我慢が出来なかった。大粒の涙が溢れ、視界が霞んで見えない。彼女はティッシュを取り、イバンに見えない様にして拭った。
「し、したいこと・・、やっと・・できたのに・・」
「え?な、何をした・・いの?」
「ま、舞と同じエージェント・・してみた・かった。」
「ホント?それなら・・治ったら、私が貴方を"ビシバシ"と鍛えちゃうぞぉ〜♬」
「ま・い・・」
「あ・・ゴ、ゴメンね。少し休もうか?」
イバンが酸素マスクを左手で外し、虚な瞳で舞を見て"ニカッ"と弱々しく微笑んだ。その笑顔に不吉なものを感じ"ギクリ"とした彼女は動揺した。
「あ・りがとう・・舞。嬉・しかった・・」
「も、もう・・駄目でしょう、マスクをしなきゃ・・」
舞が身を乗り出し、イバンの左手から酸素マスクを受け取ろうとした時、彼女の近付いた耳元にイバンの声が微かに聞こえた。
「ゴメン・ま・・い・・が、がんば・れ・・アベル・」
"ピーー〜ーーー!!"
言い終えた後、イバンは大きく息を吸い、直後に心電図が0️⃣のアラームを鳴り響かせた。
「イバン?」
「退いて下さい!!」
ダビデ隊長が舞の手から酸素マスクを受け取りイバンの顔に付けると、彼の胸元を広げて付けていたAED装置に電源を入れた。
「急げ!病院はまだか!?」
心臓マッサージを繰り返し、AEDを作動させる。舞はただ呆然と、行われている蘇生処置を座って見ていた。AEDが作動しても数値が上がらず、心電図のモニターが警告音を奏で再要求をし続ける。虚な瞳で見ていた舞は、やがて力をなくしたイバンの右手に視線が行き固定された。ダビデ隊長がイバンに心臓マッサージを行う度に、彼の右手が揺れている。大切な人、未来ある少年の考えもしない"リアル"に直面した彼女の周囲から、全ての『音』が消え去ってしまった。

第32話に続く。

"この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。"

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