【映画鑑賞】ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
公開初日の朝に観てきました。
なんで平日の朝に映画行けるかって? う、うるせー!
前作『ジョーカー』はなかなか面白かったのですが、今回は「どうせロクな続編にならないだろうからどれくらい酷いか見てやろう」という気持ちでほとんど期待せずに観に行きました。
で、実際観た感想は・・・
の前に前作『ジョーカー』に対して思うことをまず述べてみようか。
【前作ジョーカー】
前作『ジョーカー』は映画館では観ておらず、確かコロナ禍のロックダウンがどうとか言われてる時期くらいにアマプラで観ました。
結果的にはアマプラで観てよかったと思う。
というのも何度も観て色々確認したくなるタイプの映画だったので、こういう時サブスクで気軽に観れる映画っていいよね。
『ジョーカー』の感想を一言で言えば不愉快な映画だった、と言えるだろう。
もう何から何まで不愉快でしたよねぇ。
アーサーの境遇や性格はもちろんのこと、母親をはじめとした周りの人間、証券会社の3人組、マレー・フランクリンの実像、ラストシーンに至るまでまあ不愉快不愉快。
ただ不愉快なんだけど不思議とつまらんわけではないと言うか・・・
惹きつける何か妙な魅力がある映画だったなという気がします。
マイケル・ダグラスの『フォーリング・ダウン』をなんか思い出しましたね。
で、続編の『フォリ・ア・ドゥ』は・・・
【今作フォリ・ア・ドゥ】
一言で言うと「ジョーカーの映画ではない映画」でした。
ジョーカーだと思ってたアーサーは実はジョーカーじゃなかったみたいな・・・なんかややこしいっすな。
観終わって思ったのが「メタ的な映画だナ~」と。
前作『ジョーカー』を観てワーワー!キャーキャー!言ってた観客に対して「あんなので喜ぶとかバッカじゃねぇのw」というスタンスを感じました。
例えばレディ・ガガ演じるリーもまさに前作ジョーカーのファンの分身のような存在で、ジョーカーのマネのようなことをしたり嘘ついたりしてジョーカーっぽく振る舞っている一方で、ジョーカーになり切れなかったアーサーを見て簡単に見切りをつけとるわけです。
「あの階段」でのリーの冷めた目と同じ目を観客はしていたんじゃなかろうか?
だから基本的にこの映画はメタ的な映画であり、それ以外なぁんにもない、からっぽの作品なんすよね。
そのからっぽさは、イコールアーサーのことであり、前作『ジョーカー』を絶賛していたあらゆる観客たちのことを指しているのだろうと・・・
まあ前作とは別のベクトルで不愉快な映画だわなw
しかし前作に比べるとこの不愉快加減のパワーダウン感は否めない。
前作はいくつか印象に残る嫌なシーンがあった。
マレー・フランクリンを銃撃するシーンはもちろんのこと、母親を窒息させるシーン、ソフィーとのロマンスが妄想だったシーンなどなどパロディになりそうなシーンがいくつもあった。
しかし今作はそういう「山」がこれと言ってなく、まあ単調に歌と話が続くだけでシンプルにつまらんかったっす。
(なんかこう、取っ散らかってる印象も受けたんだけど制作の時間が足りなかったのか?)
【求めていたシーン】
ただ、ワクワクしたシーンがある。
前作で出てきたソフィーとゲイリーが登場するシーンだ。
彼らが証人として裁判に出席するというのは、要は前作『ジョーカー』との繋がりとその後を見れるシーンなのだ。
実際ソフィーとゲイリーもその後辛い思いをしていたようであり、個人的には裁判シーンはもっと見たかった。
いや、むしろ『白い巨塔』のようにジョーカー裁判の映画だともっと面白かったんじゃないかな?とすら思った。
マレー・フランクリンの性格の悪さなんかを裁判で言い争うみたいなの見たかったな!そんなことないか?!
でもまあ制作陣からしたら「そういう続編ではないし、そんなの期待して見にくんなボケ」っていうことなんでしょうな。
アーサーが弁護士を解雇したあたりからはもう一気に冷めていく感じでした。
ちなみにレディ・ガガはとてもよかったっすね。
憧れを抱く愛らしい瞳を見せたかと思えば、急に嘘つき女の残酷な笑みを浮かべたり、ラストのあの階段では別れた元カノらしい完全に冷めたあの表情!
途中からはレディ・ガガの演技を楽しむことに集中するくらいでした。
あとホアキン・フェニックスの歌もけっこうよかった。
高音の歌声はスティーブ・ウィンウッドみたいに聴こえる時もあって、海外の役者さんは多彩な能力持ってるんだな~
なんかもうホアキン&ガガでツアー回れよ、って思ったな!
生でこのデュエット聴いてみたい。
なのでレディ・ガガファンは要チェックですな!
前作『ジョーカー』のファンは・・・まあ自己判断で行けばいいと思うけど思い出は綺麗なままの方がいいんじゃないかな?
公開初日に観たから、みんなせめて「いいね」くれ。
以上で~す
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