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【前編】ドラクエ6を論じるのだ!

ドラクエ3のリメイクが出たら当然ドラクエ6を語ろうと!

当然です、3には6なんですよ!

というわけで俺なりのドラクエ6論を好き勝手述べようと思い今回ブログを書きました。

今回の前編は「ドラクエ6の物語とは一体何の話だったのか?」というものになります。

中編と後編では「黄金のドラゴン」や「ドラクエ3と6の繋がりや補完関係」について述べるのでどうせ暇なおまえたちは暇な俺が書いたnoteを引き続き読み来るがいい!

※素人の考察なんで大目に見ながらお読みください。

さすがに30年近く前の作品なのでネタバレしまくってますので、気になる方はご注意ください。

では論じてみよう。


【最 高 傑 作】

のっけから個人的な話で申し訳ないのだが、ドラクエ最高傑作は俺は6だと思ってます。

ドット絵の粗さと精巧さのちょうどバランスの取れた美しさ(SFC版の3は綺麗にし過ぎたと思ってます)や音楽のクオリティの高さ、

魅力的な仲間と切ない世界観などなど挙げればキリがないのですが、

もっと言えば一番最初にプレーしたドラクエが6だったからどうしても6を基準に他のドラクエを評価してしまうというのはあるでしょうね。

たぶんこのブログをお読みの方でも1こそ至高!いやいや8でしょ!などなどあるでしょうが、

それぞれの好みで楽しめるのもドラクエの素晴らしい部分の一つでしょう。

さて、そんなドラクエ6ですが当時小学生の俺にとってはかなり難しかったゲームでした。

元々戦闘難易度が少し高め(ダーマ解放までは特に)で、なおかつ、貴族の服を買わないといけないところとか、

アモールで町の人に話しかけないといけないとかけっこう苦戦した記憶がありますw

またストーリー的にも少し曖昧なところがあり、エンディングもどこか唐突な感じもあったんですよね。

でもそれゆえに俺も大きくなるにつれて「なぜあれはこうなったんだろう?」とか「どうしてこういう話にしたんだろう?」とかけっこう考えることの多い作品でもありました。

そして色々考えたり、検証したりした結果、ドラクエ6って実はこんなことを描きたかったんじゃないか?というのをこの20数年で一つ結論を出せたわけであります。

もちろん前述したように素人の浅い考察なので、笑って聞き流してもらえればいいと思います。

では核心に入っていこう!

【ドラクエ6とは…】

では申し上げます!

ドラクエ6とは…困難を乗り越えていったカップルたちの物語である!!

というのが現時点での俺の解釈です。

これまでの1~5に比べてカップルの登場機会が格段に増えているんですよね。

ザッと挙げてみましょうか。

ジョセフとサンディ(サンマリーノ)

ジーナとイリア(アモール)

シェーラとレイドック王(レイドック)

フォーンとカガミ姫(フォーン城)

ロブとディーネ(ペスカニ)

そしてターニアとレイドック王子……

まだ他にも挙げてないカップルはいますし、親子や兄弟姉妹まで範囲を広げればさらに増えます。

いずれにしても何かふたりの間に大きな困難や壁があってうまく結ばれていない人々が旅の道中に出てくるわけです。

主人公たちはメインストーリーの進行をしながら彼らを結果的にアシストする役割を果たしていき、多くのカップルたちがその困難を乗り越えて結ばれていく流れになります。

例えばサンマリーノのジョセフとサンディは身分違いの恋をしていますが、色々あった末にジョセフが勇気を出してサンディと結ばれています。

シェーラ王妃はムドーになったレイドック王を救うために夢の世界でなんとかしようと王となって奮闘します。

フォーン王とカガミ姫なんて説明不要ですよね。

ロブと人魚のディーネはドラクエ3のノアニールのエピソードの変形版だと思われます。

ノアニールのアンにも主人公たちがいれば救われることもあったのかもしれません。

逆にマウントスノーのゴランとユリナはロブとディーネがもしバッドエンドを迎えていたら…?の提示だと思います。

ターニアとレイドック王子は双方の孤独が作り出したかりそめの兄と妹です。

しかし最終的にはターニアも主人公も現実を受け入れて、エンディングではまた関係性を再構築することができています。

とにかくいずれにせよ、ドラクエ6のモブキャラたちも試練を乗り越えて自分の夢を叶えているわけです。

(序盤に試練の塔というダンジョンが夢の世界で出てくるのも深読みすると意味深っすなぁ~)


夢の力は年齢、種族、時間すら超えるのだ!

上で述べたカップルたちはみんな何らかの形でハッピーエンドを迎えているのですが、

実は上で挙げていないカップルで一組だけハッピーエンドにならなかったカップルがいます。

そうです、主人公とバーバラです。

我々はエンディングでバーバラが消滅する場面に直面するわけです。

前述したようにドラクエ6は困難を乗り越えていったカップルたちの物語です。

しかし実体を持たぬバーバラが消えてしまうのを我々は止めることができなかったのです、止める手段すらなかったのです。

泣きながら消えていくバーバラを前に主人公は何もできず見つめることしかできない……

そしてスタッフロールが流れる………

救いのなさがひどいよねこのあたり。

当時初めてこの場面見た時ショックでしたね。

まさかこんな形でバーバラと別れることになると思ってなかったもんね。

そして主人公は地上で、バーバラは天空でそれぞれ思い出を大事にしながら別の場所で生きていった……というふうに当時は解釈してたんですが、

いや実はそうじゃないんじゃないか?とここ10年くらいでやっと気付いたんすよね。

前述したようにドラクエ6は困難を乗り越えていったカップルたちの物語です。

ジョセフとサンディは身分の違いを、

ジーナとイリアは一度は壊れた関係性を、

ロブとディーネは種族の違いを、

フォーン王とイリカ姫は千年の隔絶を超えていき、困難を乗り越えて彼らは自分の夢を実現させていったわけです。

もちろん彼らだけの力ではできなかったわけで、主人公たちがサポートしたのも大きかったのですが、とは言えそれは彼ら自身に困難を超えていこうという強い想いがあったからですよね。

主人公や仲間たちも旅の中でそれを何度も見てきているわけです。

強い想いは夢を実現する力、すなわち『現実』にする力があるのだと!

こう考えるとバーバラの消滅は主人公とバーバラというカップルの間にとうとう困難が訪れたことを意味します。

果たして主人公はバーバラとの再会を諦めると思いますか?

ハッサンやミレーユたちはもうバーバラと会う手段はないから彼女のことは忘れましょうと言うと思いますか?

少なくとも俺は彼らがそんなふうに考えるとは思いません。

ゲーム中では描かれてませんが、バーバラが消滅した後主人公は仲間たちにバーバラが消えたことを話したでしょう。

今までたくさんの人々が夢を実現してきたことを知ってる彼らがこんなことで俺は諦めるとは到底思えないんですよね。

【だからこそのエンディング】

ドラクエ6のエンディングはミレーユのところにみんなが集まり、水晶玉で何かを見ているところで終わります。

水晶玉にはペガサスがクラウド城に到着する場面が映されていて、

その直後にクラウド城の卵が孵化して物語は終わります。

さて、ここの解釈は人それぞれだと思いますが、俺は未来を見ているのだと思ってます。

エンディングのレイドック城での宴でミレーユはこんなセリフを言っています。

ミレーユ「エニクス もし未来が

知りたくなったら 私のところへ来てね。

私がうらなってあげる。

あなたのすてきな未来を。」

何気ないセリフに見えますが、けっこう重要なセリフなんすよねこれ。

そう、彼らはまさに主人公の未来を見にきているのです。

もっと具体的に言えばバーバラともう一度再会できるか?を占ってもらうためかもしれません。

ハッサンやチャモロたちも同席しているので主人公個人のことと言うよりは、彼ら全員に関係することを占っていると考える方が自然かなと感じます。

そして水晶玉に映ったのは実体を得た天空城にペガサスがバーバラを迎えに行く姿であったと!

レイドック周辺で天空城に到着するペガサス

【ペガサスに乗っているのは誰?】

昔からこのペガサスがクラウド城に行くシーンはなんか違和感があったんすよね。

なんでクラウド城に住んでるペガサスが外から帰ってきたの?ってね。

でも前提が間違っていたんすなぁ。

ペガサスは主人公たちと同じ地上にいて、主人公たちを乗せてクラウド城に向かって飛んでいた、ということなんでしょう。

そして水晶玉が未来を映しているのなら、

主人公たちは夢を実現させてバーバラと再会することに成功する!

ってのがあのラストに描かれたシーンの意味だと!

未来を象徴する卵が孵化するのも、こう解釈できます。

主人公たちは到底無理だと思われたバーバラとの再会を現実とさせた、夢を叶えた!

そのメタファーとして、主人公たちが一つ殻を破ったのだ!

と捉えることもできます。

実際殻を破るという言葉がありますから。

堀井先生なら殻を破るにこんなダジャレをかけててもおかしくないかなと思ったり…w

もちろんメタ的にはマスタードラゴンが産まれたシーンなんでしょうが、ドラクエ6単体で考えるならあの卵からマスタードラゴンが産まれようがどーでもいいんですよ。

あくまでもこれはドラクエ6という物語であって、決してドラクエ4の前日譚ではないんです。

逆にドラクエ4もドラクエ6の後日譚ではない。

それぞれがある意味独立した一つの作品であり、ある意味では繋がりがある作品なわけです。

(その観点から言えば各作品の独立性を曖昧にした11や9あたりはどうも俺は好みではないんだす)

【なぜ明確にバーバラとの再会シーンを描かなかったのか?】

水晶玉の映像がバーバラとの再会ができたことを示すシーンなら、そもそもなんでそのシーン明確に描かなかったのか?

という疑問も出てくると思います。

俺も昔はそう思ってました。

リメイクでそのあたりもやってくれ、と思ってました。

でもさ、いらねーよやっぱ。

そもそも言うと主人公とバーバラがお似合いなんてセリフもエンディングで急に出てくるんですよねw

俺も初めてあのセリフ見た時「え!?そうだったの!?」と思ったくらいですw

個人的な好みで言えばミレーユの方が好きだったってのもあるし、戦闘面でもバーバラは使いにくかったしね。

とは言えもちろん攻略本のエッチな下着は大変お世話になりました。

でもさすがに主人公とのカップル設定らしきものについてはちょっとなんか悪い意味での驚きの方が大きかったんすよね。

ドラクエも1~5だと、5は例外としても基本的にパーティ内恋愛はなかったわけです。

それは主人公はあくまでもプレイヤーの分身であるというドラクエの伝統的な考え方がまだ生きていたからだ、と思ってます。

プレイヤーの知らないところで主人公が恋愛感情抱いて仲間とイチャイチャするのはプレイヤーの分身ではもはやない、という考えかなと。

故に6においてもバーバラがヒロインであるという描き方はされなかったんでしょう。

ただ、6のエンディングをよりドラマチックにするのであれば、やっぱ仲間との別れはどうしても必要にならざるを得ないんですよね。

直前に夢世界のターニアとの別離はありましたが、現実のターニアとも今後も交流できるであろうことが描かれている以上、

消滅させることのできるキャラがもはやバーバラしかいなかった!というのはあったのかなと。

場合によってはバーバラ自体を登場させず、ミレーユにその役割をすべて担わせる方法もあったのかもしれませんが、

これするとやっぱり前述したような「プレイヤーの知らないところで恋愛感情問題」にぶち当たるし、

ミレーユの設定が多過ぎてなんか特別感も出てしまう気もします。

話が逸れまくったが、なぜバーバラと再会するシーンを描かなかったのか?というところですが、

そこを描くのはやっぱ粋じゃないし、野暮ったいし、説明的過ぎるように思います。

前にドラクエの同人ゲームの動画を見たんだが、セリフでの説明的な文章が多くて「あ、やっぱ堀井先生ってすごいんだなぁ」と思ったことがあります。

やっぱ第一線でやってるプロの人は説明的なセリフは書かないし、そもそも多くの説明が必要な設定は作らないように物語書いてるんだな、と思ったんですよね。

ドラクエ6なんか特にそうで、あまり具体的に書かないで物語を紡いでいくアプローチがされているのではないか?と個人的には思ってます。

それゆえに黄金のドラゴンやミレーユの過去、バーバラやカルベローナ関連がなんかよくわかんないまま終わっちゃうんだけど、

それはそれで色んな解釈や想像ができるということだし、昔のファミ通か何かで実際そういうことを堀井先生が言ってたんすよね。

想像して楽しんでほしい、というのを。

だからこそバーバラとの再会シーンは描かなかったのではと考えています。

【エンディングと対になるシーン】

もう一つ言っておくとあのペガサスが天空城に到着するシーンは実はドラクエ6のあるシーンと対になっていると俺は考えています。

かなり長くなってきたので今回はここまでにしますが、次の中編ではその対になるシーンとその背景についての俺の妄想を書きたいと思ってますので、またよろしゅう


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