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ドラクエ3の「本当の」ネタバレ


概要

(広く人口に膾炙した話なのでそのまま書くが)ドラクエ3の最大のネタバレといえば「プレイヤーである勇者が実は伝説の勇者ロトだったこと」だ。
それ自体はその通りで、記事タイトルに「本当の」とは書いたが、ここに反論の余地は特にないと考える。

反論したい箇所は別にある。

この「大どんでん返し」が発生するのはどの瞬間か?という問いを通じて、ドラクエ3のシナリオの細部に迫っていきたい。

ふつうに考えれば、ネタバレのカタルシスが解放されるその最大瞬間風速はネタバラシのタイミングにあるはずだ。
すなわち、ゲーム上ではゾーマ討伐後の「勇者が王様からロトの称号を賜る場面」がそれにあたる。

だが本当にそうだろうか。私はそこに反論したいのだ。

勇者ロトの誕生

確かにゲーム上で初めてロトの2文字が登場するのはここで、勇者がロトであると「確定する」のはこの場面だ。
だが、プレイヤーは、ドラクエ1と2を遊んだ1988年のゲーマーたちは、その場面が訪れるよりずっと前に、自分がロトであることに「気付いて」いたはずだ。

本当のネタバレは、それが確定した瞬間ではなく、それに気づいた瞬間にある。
私がドラクエ3のネタバレについて主張したいのはこの一文に尽きる。
その詳細について以下更に説明を続ける。

前置きをすると、この記事では「ドラクエ1と2を遊んでから3を始めたプレイヤー」について考える。
3から始めた人はそもそもロトの名を見ても特に感慨は無いと思うので、ここでは考慮しない。


「再演」というテーマについて


作家・加納新太のブログ「かのろぐ(Kanohlogue)」に彼のドラクエ論が多数発表されていて、私はその大ファンなのだけど、 この先の話をするにあたって一つそこから知見をお借りしようと思う。
(ここの記事はとても面白いので興味が湧いたらぜひ読んでみてほしい。
 いわゆる「ドラクエ考察」ではなく
 こうやって想像力で補ってドラクエの物語を「読む」と面白いよ、
 という提示をしているという手触りがとても好きです。)

「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(7)という記事では、「世界中の英雄物語を包摂する」というアイディアが提示されている。

今回の話に繋がる部分を要約すると、
・スサノオノミコトのようにヤマタノオロチを討伐し、
・バスコ・ダ・ガマのように喜望峰をこえる航海探索をし、
・インド・ヨーロッパ間の交易路シルクロードを確立し、
・(初期構想では)孫悟空のように僧と旅して仏教の経典を手に入れる。
そんな世界各地の英雄的偉業のどれもがドラクエ3の勇者が成し遂げたことであるという大きなテーマがあるんじゃないか、という話が展開されている。

元記事ではキャンベルの『千の顔を持つ英雄』やトールキンの『指輪物語』と絡めて更にすごい地点にまで話が及んでいるが、一旦ここでは
「ドラクエ3は世界各地の英雄物語を実演して回る物語である」という形にサイズダウンして認識を持ち、この先の話を進めたい。

STEP1

ゲームに戻って時系列を進めよう。
世界中のあらゆる場所で英雄的偉業を成し遂げ魔王バラモスを討伐した勇者一行は、アリアハンへ凱旋した際に真の黒幕である大魔王ゾーマの宣戦布告を受ける。
新たな敵と対峙するためギアガの大穴を抜け、降り立った先は夜の孤島の船着き場。
そこにいた男に話しかけると、彼はこう語る。
「ここは やみのせかい アレフガルドっていうんだ。」
船で対岸に上陸すると、聴き慣れたあのBGMが流れる。

これがドラクエ3の大どんでん返し、大ネタバレのSTEP1だ。
ドラクエ1も2も「伝説の勇者ロトの子孫」として冒険する物語だったのに、
3では世界中を旅してもどこにもそんな伝承は無く、今回は別世界の物語なんだな、という認識が固まってきた頃合いに明かされる衝撃の事実だ。
今まで巡ってきた世界の大穴が実はあのアレフガルドと繋がっていて、しかもその世界は現在闇に覆われている。
この世界に光を取り戻すことがきっと最後のクエストになるだろう、という高揚感も湧いてくる。とても素晴らしい仕掛けだ。

余談

そして余談だが先の引用を踏まえると、ドラクエ3の勇者は世界中の英雄譚を再演して回る存在なのだから、
これをひっくり返せば「勇者に再演されるものは世界的英雄である」と言える。

つまり、「これから私(ドラクエ3の勇者)は再びアレフガルドの世界を救うことになるだろう」という予感から
「あの日アレフガルドの世界を救った私(ドラクエ1の勇者)はスサノオや孫悟空に比肩するような伝説的偉業を成し遂げていたんだな」という実感をゲームから受け取れる仕掛けにもなっている。

勿論これはドラクエ3が再演の物語と気付いたプレイヤーだけが受け取れる実感であり、筆者も上記ブログを読むまで気づきもしなかったことだが、
STEP1の衝撃の先に「これから再びアレフガルドを救う」という予感が得られれば十分だろう。

STEP2

そして冒険を進めるとSTEP2がやってくる。
このSTEP2がドラクエ3のシナリオ上で最も重大なカタルシスが現れるところだ。

アレフガルドの世界を巡り、人々の話を聞いていくと、そこかしこに違和感を覚える。
ドムドーラが健在で、沼地の洞窟が未開通で、ガライの場所に町は無く、メルキドに存命のガライ本人が居て、リムルダールには「まほうのかぎ」を研究して鍵屋を開こうとする老人がいて、、、

当然、これらの情報が示す事実は一つしかない。
この世界はドラクエ1の未来ではなく過去なのだ。
つまり、「これから私は1の勇者のように世界を救う」ではなく、
「1の勇者は私がこれから行う偉業を再演して世界を救った」のだと気づく。
STEP1の衝撃が、真逆の方向に反転する。

そこまで気づいたら、もう最大のネタバレにすぐに届くだろう。
1の勇者は誰の偉業を再演したか?そう、勇者ロトだ。
この私があの伝説の勇者ロトだったんだ。

繰り返すが、これはプレイヤーが人々の話を聞いて、頭の中で情報を整理し、辿り着く真実である。
冒頭で触れたとおり、ゲーム上に「ロト」の2文字が出るのはゾーマ討伐後のエンディングの話だ。
このSTEP2は、ドラクエ3における最大のカタルシスは、ゲーム上のどこにも「その確定的な瞬間」が存在していないのだ。
冒険中のどこかで、各々のプレイヤーがバラバラのタイミングで、自分で気付くことになるのだ。

STEP3

そしてエンディングに進むと、STEP3が現れる。
これは冒頭にも書いた、STEP2の「気付き」「確定」を与えるネタバラシのターンだ。
王様からロトの称号を賜り、テロップが流れ、最後の「TO BE CONTINUED TO DRAGON QUEST I」の表示が流れるまでの時間だ。

ここではSTEP2のような「衝撃」ではなく、むしろ「感慨」に近い感動を持ってプレイヤーは画面を眺めることになるだろう。
ドラクエ1や2に続く伝説の系譜の、その原点が今、ここだったんだと。


伝えたかったこと

以上がドラクエ3の「本当の」ネタバレの内容となる。
改めてここで主張したい重要な話は、最大のカタルシスが発生するクライマックスは、STEP3ではなくSTEP2にあるということだ。

そして、それを説明するにはこれだけの紙幅が必要だということだ。
多くの人がドラクエ3の魅力を語るときに、最大の衝撃は「自分が勇者ロトだった」という事実にあると考えるだろう。
それは間違いではない。

だが、それを人に説明するときに、「本来の衝撃」だったはずのSTEP2は語るにはあまりに複雑すぎるので、
平明な事実であるSTEP3を「代用の説明」として伝えてしまう、ということがきっと日本中のあらゆる場所で発生していたんじゃないかと思う。
結果として、本来衝撃ではなかったはずのエンディングを「ここがネタバレ」だとするコンセンサスが形成されてしまう。
代用の説明をした張本人も、話しているうちに「衝撃があったのはエンディング」だといつしか誤認してしまう。


本当に伝えたかったこと

今回はドラクエ3について書いてきたが、この「代用の説明による感情の書き換え」はあらゆるコミュニケーションの場で常に発生し続けるものだ。
創作から受け取った感情は、言葉に変換しようとすると「それに似た説明しやすい何か」に変化し、元の形に戻らなくなる。
どんなに気を付けていても、言葉にすると嘘が混じる。

ここで書いたドラクエ3についての文章も、頭の中でこねくり回す過程で最初に思ったこととは全然違う言葉になっているはずで、
もう私は最初の状態に復元することはできない。

この記事で本当に伝えたかったのは「感情をありのまま言葉で掬うことはできない」ということと、
その「できない」を前提として認識した上で、少しでも「ありのまま」に近づくためには
説明しやすい概念の重力に逆らって言葉を選ぶ必要があるということだ。

補遺

この記事を書くにあたりドラクエ3を再プレイしてみて驚いたことがある。
本論で触れたSTEP2に至る情報、つまりこの世界が1よりも過去であると気づくための情報が、ラダトームの町には一つもないのだ。
強いて言えば1で解呪の老人がいた場所に3では解呪の勉強中の子供がいる、という要素があるが、
初見ではその子供が1の老人その人なのか子孫なのか先祖なのかはわからないだろう。

これは言うまでもなくSTEP1からSTEP2への落差を作るための意図的な仕掛けだ。
アレフガルドに降り立って、しばらくしてからSTEP2に気づかせようとする製品デザインを感じるのである。

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