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マニキュアのかわりに、歌を 妊娠日記[番外編]~ 変わってゆくあたしから、あなたへのラブレター ~

妊娠後期に入ると、夜眠れなくなる…とは聞いていたものの、もともと我が家の生活リズムは後退しており、入眠自体がデフォルトで真夜中。尿意で早朝に1回起きるものの、朝はわりとゆっくり眠れる生活スタイル――というわけで、なにを隠そうこれまでとそう変わらない睡眠ライフを送っています。ラッキー。

もちろんこのスタイルだと日中に眠気に襲われるわけですが、そんなときは好きなだけ寝ればいいし。だって妊婦だし。ソファでうとうとしながら夫の仕事をなんとなく見守っていると、飼いネコになったような気分で悪くないです。

ところで先日、家族ぐるみでお付き合いいただいている、夫の数少ない(本当に少ない)友人ご家族から「プレイヤード」なるものを譲りうけました。

結構存在感ある

これ、ベビーベッドじゃなく、赤ちゃんをちょっと置いておくためのアイテムらしい。生後すぐ必要なものではないけれど、特にハイハイやタッチをし始める頃に大活躍してくれるそう。夫の数少ない(何度も言いますが本当に少ない)貴重な友人ご家族が遠くにお引越ししちゃうこともあって、荷物整理のついでにと、ありがたいご縁で譲り受けました。

かわよ…!

さて、そういうわけでいつものように真夜中に眠って朝方4時頃に尿意で目覚めると、昨日までだだっ広かったはずの寝室のまんなかに「でん」とこのプレイヤードが置いてあるのが目に入りました。

で、それを見たあたしーーなんか号泣してしまったんですよね。

実はわが家、というかあたし、いまだに新生児との生活に向けた「モノ」の購入をほとんど進められていません。これを書いている時点で帝王切開予定日まであと1週間ほどに期日がせまってるんですが、それでも一向に重い腰があがらない。

でもさすがに友人ご家族と会ったりするのはこの日まで、というタイムリミットはあって、というか、厳密にいえば「オトナどうしで過ごせる最後の休日」という日はやって来るもので、本当はまだなにが必要かわかってないし検討もできてないんだけど、とりあえずもらっときます!!ありがとう!!って感じで、もらい受けて来たんです。

つまりこのプレイヤード、わが家に(ほとんど)初めて登場した、正真正銘の「ベビーが使うもの」なわけです。わたしたち夫婦のもの、じゃないもの。これからやってくる(はずの)新しい小さきひとが使うもの。

そんな光景を見て、感動して泣いた――

というわけじゃないんです。カワイイ思いがあふれて…というわけでもない。お腹のなかで日々元気よく動きまわるこのひとは、あたしにとってはいまだ「知らないひと」で、知らないひとに対してどんな感情を抱けばいいのか、なんなら、今でもあたしはよくわかっていません。

じゃあ、なんで泣いたのか。

あたしはただ、夫とふたりですごす時間が終わってしまうことが、そして、じぶんがこれから否応なく変わっていってしまうことが、寂しくて、悲しかった。そして、そんな現実に唐突にぶちあたって、真っ暗な部屋のなかしゃくりあげながら泣いてしまったのでした。

と、いうわけでここから先は、わが夫へのささやかなラブレター。これからきっと変わってしまうあたしが、今の「あたし」を忘れないためにそっと残しておく、置き手紙のようなお話です。

オトナどうしの最後の休日には、体重コントロールのため控えていた甘味をたらふく食べました。満足…!

あたしが夫と出会ったのは大学1年生、18歳の春でした。インカレサークル、というと響きはカッコいいけれど、要はド田舎の大学生同士が集った合同サークル。創作ダンスで町おこしをするという、わりとまじめな活動動機を持つお祭りダンスサークルの同期としてでした。

ちなみにあたしから見た夫の第一印象は、『なんかおもんない男やな』というもの(失礼)当時あたしが掲げていた、「字が綺麗」「歌がうまい」「笑いのセンスがある」という萌えポイントをことごとくはずす、ただの同級生。それが、夫でした。

ところが、恋をしたのはあたしの方でした。

わりと分かりやすくひとを好きになるあたしは、当時、まっったく女の子に興味がなさそうで、たぶんこれまでに恋人がいたこともなく、どう考えてもそっち方面がにぶそうな夫に「好き好き」の猛アピール(を、しようと思ったわけじゃなかったんだけど、結果的にそうなりました)。応援してくれる先輩たちをして「あんたいい加減ウザいよ」とうんざりさせるほどの分かりやすさで、女心に関しては超にぶちん(だと思ってた)夫から、「もしかして…俺のこと好きなの?」という迷言(※至極まっとうな疑問)を引き出すことに成功しました。

大学入学直後のあたしが残ってました(約20年前)
大学生になる春休み、友達に付き合ってもらって選んだはじめての白いスカート。オトナっぽく見せたくて、パーマとかかけてた(実際はただの芋っ子でした)

こうして晴れてお付き合いがスタートしてから17年間、あたしはずっと夫に恋をしています!――なんて言えるとカワイイんだけれど、たぶん、現実は違っていました。

ときどき、あたしは夫に永遠の片思いをしてるんです、なんてふざけて言うこともあるんだけど(そしてそれは決して間違いではないんだけど)、大切なひとを持つ誰しもがそうであるように、わたしたちも、わたしたちにしかわからない傷と歴史を背負ってここまで歩んできました。

わたしたちは最初から相性が良かった、わけではありません。似た者同士というわけでもなく、いやむしろ気質は全然違っていて、分かりあえることよりも、すれ違うことのほうが多かったのではないかと思います。

基本的に感情の上下が激しく「情緒」優先の動物みたいなあたしと、記憶力が高く生真面目な分、柔軟性に乏しい武士のような夫。夫はあたしの気持ちの「揺れ」をまったく理解できなかったし、あたしはあたしで夫がそれを理解できないその状態が、そもそもよくわかりませんでした。

そういうわけで、あばたもえくぼの半年ほどが過ぎると、必然的に口論が増えていきました。いま思えば大方あたしが(夫とは関係ないところで)感情を揺らし、たまたま目の前にいる夫に当たってたんだと思えるんだけど、当時のわたしは「いま、夫に対して怒りを覚えている」と本気で信じていたし、夫ももちろんその前提で応戦するわけで、不毛な喧嘩が積み重なっていきました。

でも、そこで諦めなかったのは、むしろ夫のほうでした。

「イライラするのに理由なんかない」「気持ちなんて説明できない」「なんでわかってくれないの?」と言い募るあたしに、夫は「感情の背景には絶対に理由がある」「気持ちは説明されないとわからない」「言葉で説明してほしい」と言い続けました。

最初はそれが本当に苦痛で、だってイライラはイライラだし、悲しいときは悲しいだけだし、そんなこと言わなくたってわかるでしょ!と抵抗し続けました。やっぱ男って共感ができない、相談してもアドバイスが返って来ちゃうの(笑)、なんて、通り一遍の恋愛あるあるを振りかざしてみたりもして。

でも、それでも夫は話し合いをしようとし続けました。そう、夫は「話し合い」を望んでいました。

今でも覚えてる、はっきりふたりのターニングポイントになったのは、『あたしの話をちゃんと聞いて!』と訴えるあたしに対して、「きみが話を聴いてほしいのかアドバイスが欲しいのかが俺にはわからない。だから、話を聴いてほしいときは『今から話すことはアドバイスはいらない』と宣言してほしい」という提案をされたことでした。

感情的であると同時に(少なくとも夫よりは)情緒的であるあたしは、直感的に相手の気持ちに気づくことが(少なくとも夫よりは)得意でした。だからこそ最初のほうは「なんであたしの気持ちがわからないの?」と不思議で仕方なかったわけで、そんなの宣言しなくたってわかってよ…というのが、このときの本音でした。

でも。夫の約束は、本当でした。半信半疑で「この話は聞いて欲しいだけなんだけど…」と付け加えはじめたあたしの話を、夫は100%裏切ることなくただ聴いてくれました。もちろん夫だって器用じゃないから、その態度や言葉は多少演技的だったり不器用だったりしたんだけど、でも、それでも約束をきちんと守り続ける夫の姿勢に、少なからずあたしの安心感は増していきました。

どんなに分かり合えなくても、理解がすぐにはできなくても。夫は「関係を続けるための努力」の方向に、舵を切り続けました。

いま振り返るとそれなりにしんどい時期だったのに、なんで別れ話が一度も出なかったんだろう?と考えると(正確に言うと、あたしは1度だけ「もう別れる!」と言い放ったことがあるんだけど、その理由は実にしょうもないもので、夫はそれを聞いて「わかった、帰るよ」と先に歩き始めたのでした)、それは間違いなく夫が、あたしとの関係を「大切にすると決めたから」でした。

そう。真面目でひねりがなく笑いのセンスがなかった夫は、ひとに対しても正直で率直、そして、自分が発する言葉に対して嘘がありませんでした。

「悪いけど、自分はあくまでじぶんが大切で、それ以外のことは人生の枝葉だと思ってる。でも、きみと付き合うと決めたから、きみのことを大切にするということを、じぶんの人生の根幹に落とし込みます」

これは、お付き合いが決まってすぐの頃に夫があたしに宣言したことです。当時、あたしはその言葉の重みにピンと来ず、「うん、そうなんだ?」となんとなく聞いていたのだけど、夫は自分で発したその言葉を、忠実に守り続けました。(ちなみにもうひとつ、「申し訳ないけどお金がないので、かかった費用は割り勘です」も、そこから長年守り続けられることになりました)

こうして、わたしが泣こうが喚こうが、ときに感情が昂ぶって家を飛び出そうが、夫は淡々と根気強く約束を守り続け、関係を「その先」に繋げるための努力を続けてくれたのでした。

思えばわたしたちが「ふつうの恋人」だったのは最初の1年、いや半年ほどだったかもしれません。

わたしは今では夫のことを、命綱で繋がったバディのような、生きづらい世の中をなんとか生きていくための修行の相方のような、そんな存在と感じています。

あるいはこれを依存関係と呼ぶひともいるかもしれないけれど、依存しながら同時に自立することは、こころもからだもべつに大して強くないあたしにとって、この世界を生きるための大事な生きる術そのものでもあるのでした。

ちなみに、プロポーズを先にしたのはあたしです。これは、わたしたちの結婚式では伏せられていた“不都合な”真実のひとつ。1回目は、夫が就職のために東京に出ていってしまうとき。そしてもう1回は、社会人2年目にベトナムへの転勤を命じられたときでした。

夫は、どちらのときもしばらく考え、「いずれは結婚するけど、今じゃない」と答えました。理由はどちらも似たようなもので、「この先どうなるかわからない中、その判断はできない。そもそも生きて帰って来れるかもわからない(※大げさですが夫は至極真面目に言っています)のに、きみを未亡人にはできない」というもので、まあ、その頃には夫が一度発した言葉はもう絶対に揺らがないことがわかっていたので、そこからさらに数年間、夫自身が納得できるまで待つしかありませんでした。

結局、ベトナムからの本帰国が決まった2015年にわたしたちは結婚しました。

わたしは結構、「なんと、これで夫の本妻になったのだ!」という万感の思いがあったのだけれど、それを聞いた夫は「そうなんだ、よかったね」とただ楽しそうに笑っていました。あなたには悪いけど、情緒に関してはやっぱり今でもあたしのほうが得意分野だと思っています。

東京、そして千葉でのふたり暮らしはとにかく楽しいものでした。いちばんの理解者であり、遊び仲間であり、知識や感情をシェアしたい相手でもある夫を、あたしは週末ごとにあちこち連れまわしました。あたしのほうが好きなこともやりたいことも、山のようにあったからです。

もともと趣味があまりなかった夫と、ともにワインにどハマりしたのは人生の最上の思い出です。それを結局仕事にまでしてしまったあたしのことを、夫は終始「おもしろい」と笑って見守っていました。そして、「じぶんひとりでは見れない景色が見れることも、結婚のおもしろさだね」とも。

もちろんときにはぶつかったり、分かり合えなかったり、それぞれの課題にシビアに悩むこともありました。だいたいいつも仕事が忙しい夫に、あたしが寂しさを募らせることもしょっちゅうでした。でも、なにか事が起きるたび、そして、それぞれが人生で迷うたびに、互いに納得いくまで話し合うことは、もはや我が家の文化になっていました。

こうしていつの間にか結婚生活も10年が近づき、こどものいないまま40歳がせまっていました。わたしはこどもが欲しい気持ちがそれなりにあったのだけれど、夫はわたしほどにはそう思っていなかったようです。さらに、「きみを大切にすることを人生の根幹に置く」といった夫の言葉はなんと今でも有効で(17年間有効な口約束って!)、この関係性が壊れてしまうくらいなら(そして、それはわたしのほうに容易に起こりそうな事象でした)こどもを授かるための積極的な道、すなわち不妊治療には足を踏み入れない、というのが、わたしたちの辿り着いた結論でした。

だからこそ、お腹に命がやってきてくれたのはもはや奇跡みたいなものだったのです。確率の計算では予想できない天文学的な巡り合わせ。じぶんたちのこどもを授かることをなかば諦めていたわたしたちのもとに、これ以上ない素敵なタイミングで宿ってくれたあたらしい命。

陽性反応の出た検査薬をじっと見ながら、

「でも、俺は、嬉しいよ」

と言った夫のひとことに、なんだ、夫も嬉しいのか、と思ったあの瞬間のことは、たぶん一生忘れません。

とはいえ、喜びよりも驚きが、楽しみよりも不安が勝る日々。あたしが高齢妊婦であることも、不安に拍車をかけました。妊娠出産に関しては女であるあたしのほうが親和性が高いだろうと思っていたのに、実際のあたしは全然なんにもうまくできず、身につけてきたはずの思考力も頑張りかたも休みかたも、全部忘れてしまったみたいに不器用になっていました。

ところがこの妊娠期間中、まったく計算外のことが起こりました。あの不器用なはずの夫が、100点満点の「妊婦の夫」であり続けたのです。

これは正直、あたしにとっては予想外でした。どうせ妊娠出産に関してはあたしがリーダーシップを取ることになるんだろうと思っていたのに、そのあたしが機能不全を起こして右往左往、そのあいだに夫は、わたしが妊婦になったことを当人であるわたしよりも素早く受け入れ、こどもが生まれてくることに対してさっさと覚悟を決めていました。

そしてなによりも、妊娠発覚の最初から今に至るまで、安定した愛情をまっすぐに「あたしに」向かって注ぎ続けてくれたのでした。こんなにも大切にされているとはっきり感じたのは、夫と出会って初めてのことだったかもしれません。

たぶん一般的には、お腹の子が大きくなっていくとともに(女性ホルモンの働きも手伝って)我が子に対して愛情を感じはじめるのだと思います。でも、安定期にはいり、胎動がはじまり、お腹の子の存在感が日に日に増していくなか、あたしの場合はなぜだか夫への愛おしさが、日に日に積み重なっていったのです。

けれどもそんな気持ちが高まるほどに、あたしは出産後の変化を「怖い」と思うようになっていきました。環境の変化が、ではありません。あたしが本当に怖がっているのは、あたし自身の変化のことです。

これまでの人生で女性ホルモンに全戦全敗しているあたしが、出産後のホルモンの乱高下に抗えるわけがない。そこに睡眠不足や子育てのプレッシャーが加わるなんて、対処できる気がまるでしないのです。きっとむやみに苛立つだろうし、憂鬱にもなるでしょう。理不尽に泣いたり喚いたりもするだろうし、それを、今こんなにも大切なはずの夫に向けてしまうことが、心底、怖い。

何度も言うように、あたしはもともと感情的な生き物です。だいぶ言葉でコントロールできるようになったとはいえ、もとの気質が変わるわけではありません。

今、夫のことをこんなにも愛おしく思っていることを、特別に幸せだと思っていることを、まるで忘れてしまったようなあたしになってしまうのではないか。

ふたりきりの大切だった日々を忘れ、「母」のわたしになってしまうのではないか。

そんなことを思うたび、悲しくて寂しくて、無性に涙がこぼれてしまうのです。

ふたりではなく、さんにんでつくる世界へ。

それはたぶん、幸せな変化なのだと思います。そしてもちろんそこにはそこにしかない、幸福があるのだとは思うのだけれど、その一方で終わりゆく「ふたり」の世界を、あたしはいまだに受け入れられないでいます。

夫はたぶん、変わらない。きっと、変わってしまうのは、あたしのほうだからーー

そうやって、朝っぱらからしくしく泣き続けるあたしの隣で、夫が目を覚まします。途切れ途切れのあたしの言葉を聞いて、『なんだそんなことか』といった調子で答えます。

「俺は、変わっていくきみのことも楽しみだよ」

今、この明け方の風景を忘れないでいよう。変わってしまうあたしのなかに、あたしたちのあいだに、この風景があったことを忘れないでいよう。

お腹の子に会えたらいつかきっと、ふたりぼっちできみを待っていた、真っ暗なある朝の話をしようーー

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WineBarやどり葉 元店主|ますたや
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