いろいろある
♪僕らァァァァ行こぉぉぉ!!!!!
夢見る頃をぉぉぉ過ぎぃぃいいぃ…
不確かに震えてるぅ現実がぁぁここにあるけどぉ…
消えてしまったァァ虹のその先にぃぃぃいいい
いつか架かる橋をぉぉもう一度信じてぇぇぇえええ…
歩きぃ始めるぅ…
今日の一曲
虹が消えた日 by秦基博
………。
小6のとき、父親が経営していた会社が倒産した。
約3億の借金を背負い、12年間住んでた家から、築60年ぐらいのボロボロのばあちゃんちに間借りして暮らすことになった。
中1のとき、俺と弟の部屋は通路やった。(一応、部屋と呼ばれてたが部屋ではなかった)
床は軋むし、ゴキブリは出るし、学校カバンの中からゴキブリは出るし、
FM三重のラジオのボリュームを気にしながら勉強をしていた。
両親は店を始めて、仕事で帰るのが遅かったから部活から帰ってきた俺は、
用意されてる晩飯をレンチンして1人で食べるという生活やった。
慣れるまでは毎晩泣いた。
塾には行かせてもらっており、兄弟間でも時間が合うわけでは無いので会話はほぼなく、
たまに弟と時間があったときにケーブルテレビでアニメを見たり、毎週土曜の夜に『嵐のUSOジャパン』とか『金田一少年の事件簿(松本版)』を一緒に見てどーこう言い合うのが楽しみやった。
世の中には、不可抗力でどうしようもならないことがあると本当の意味で痛感したのは12歳の時かも知れやん。
寝る前にジメジメした畳の部屋で『将来は莫大な金を得て、前住んでた家を買おう』と毎晩妄想していた。笑
両親が、俺たちに不自由させないために自分のことを全て犠牲にしてくれているというのは分かっていたので、
別に友達を羨むことも無ければ、グレることもなかった。
……。
中2の途中で、店舗と住居が一体になってる家に引っ越したので、4畳の部屋が出来た。
いろいろ我慢させてるからという理由で携帯も買ってもらえた。
上を見たらキリが無いというのは分かってたし、別にそれ以上のことは望んでなかったし、
部活がバキバキに厳しかったし、友達と塾にも行ってふざけ倒したりしてたので、毎日まあまあ楽しかった。
その時ぐらいから親の店も手伝うようになり、多少お小遣いも増えた。
………。
勝手に過去回顧始まったけど、気持ちにいろいろ負の感情が溜まると過去のそういう想い出が、メンタルの堤防を破壊してくる時があるわ。。。。
今は別に、昔住んでた家を買いたいとかは思わんけど、たまに車でその辺を走るといろいろと込み上げるものはある。
あれから20年ぐらい経った今でも。
……。
20代から、『人生に起こること、人からされることは全て自分の責任』やと思って生きてるが、たまにはち切れてどーでもよくなるときもある。
『世の中は理不尽・不条理・不平等』やというのは重々承知してるが、それも自分のせいと思って受け入れるのにはまだまだ修行が足りんな…。
圧倒的に金を稼いで、母親に贅沢をさせたいと考えて行動してるうちに母親は他界したしな。
……。
何があっても『全部、自分が成功するためのエサ』という考え方は一切揺るがないので、今はそれだけ信じて生きていく。
続く