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『やり続けたらどっかに刺さりそう』とたまに言われる

♪最後のぉ〜花火ぃに〜今年もぉぉ〜なったなぁ〜
何年んんんんん経ってもぉぉ〜〜思い出しぃぃてッッッしまうなぁッッッ!!!!!!!

若者のすべて by フジファブリック


………。


ども。
急ーーーにッ宮本です。


ホーンテッドマンションを観に行こうと思ってたらいつの間にか5日間も過ぎてた💧

人生に『いつの間にか』とか『気付いたら』とか言ってる時間は無い…と思いながらも、やらなあかんことに追われてなかなか動けない日々。。。


というか、9月から本気減量すると言って、一応カロリー制限はし始めたが、ジムにも行けてない…。

最後にジムに行ったのはもう10日前ぐらい。


現在の身体(あと10キロ落としたい)


……。



7月からフリーライヴに復帰して、一回2,000〜3,000円のエントリー費を払ってライヴに出ている。
(今月は14本?出るので、トータル3万以上はかかる。)



今は金のことよりも、どんなライヴや人前でも常に同じテンションでネタをすること、ネタをどんどん試して改善していくことが大事な段階やから、それに惜しみなく時間と金を使っていく。。



……。


名古屋から移籍して1年半



名古屋でお笑いをしていた頃、NSC時代からTVに呼んでもらえたり、

所属一年目からニューヨークさんと営業に行かせてもらったり、有名芸人さんと大きい舞台に立たせてもらったりTVに出れたりと、自分の実力を勘違いする経験がかなり多かった。


名古屋のお笑いは全国でも暗黒と言われるほど腐敗しているというのは誰が見ても明白で、
ちょっと目立つ要素があれば推してもらえるという感じは、やはりあった。

(名古屋の中でも周りより光るものがあるからというのはいろんな人が言ってくれてたけど)



東海地方でタレントとしてやっていくと割り切るなら全然良かったかもしれんけど、やはりやるからには全国区の人間になりたいという野望があった。


 

年齢的な面もあり、お笑いの基礎的なことが出来やんまま名古屋に居続けて、何もブラッシュアップされやんまま大きい舞台に立ち続けたり、東西から来た有名芸人と絡むことに凄くしんどさを感じていたので、東京移籍を決めた。


……。




TOKYOに移籍して1発目のjimbochoファーストステージは、かなり手応えがあった。
(名古屋で過去1ウケたネタを掛けた)




作家さんから『キャラもあるし、劇場メンバーになれるんじゃない?』と言われて、


『あー、TOKYOでも案外やれんのか!笑笑』


と思ったのを今でも覚えている。


…。


が、その翌月から東京よしもとの洗礼を浴び続ける。


よしもとのライヴに出る度に座付き作家から本当に辛辣なことを言われまくることになる。



『きみ、名古屋で何してきたの?』
『意味わかんねぇんだよなぁ』
『そもそも、お笑いって急なことだから、急に〇〇っていつツッコミおかしいでしょ』
『何がしたいの?』
『最初の「急に」がピークなんだよなぁ』
『悪いけど何がおもしろいか全然わかんねぇわ』
などなど



自分が出来るピン芸人やとは一切思ったことはないけど、ある程度名古屋で認められてた上でのコレはかなりキツかった。。

(この時期メンブレして名古屋のアイドルにハマる⭐️)



次第に、よしもと漫才劇場の構造的にイロモノピン芸人は必要とされてないという考えに行き着き、
フリーライヴに出まくるようになった。
(去年秋頃)



フリーライヴに4ヶ月出たのち、前からずっと出たかったよしもとのライヴ『JET-GIG』に出れるようになったが、そこでコロナになり、かなりのミスをかます。


そして、極め付けはR-1一回戦敗退。笑


……。



このタイミングで、歌舞伎町で自分で焼肉屋をやることになったので、お笑いから少し離れ、

フリーライブに出れずによしもとのライヴに月1〜2回出るだけの半年間を過ごす。
(2023年7月頃まで)



……。



焼肉屋を回しながら、適当に作ったネタを適当にやって、名古屋のアイドル現場に通う日々の中で、
徐々に純粋にアイドルのライヴを楽しめなくなってきた自分がいた。



舞台立つためにレッスンして、土日はライヴに充てて、仕事とか自分の他にやらなあかんことにも全力でやってるアイドルの方々を見ながら、



『うわぁ、すげぇ楽しかった!!元気もらえるわー。』
と思う反面、



『Meは何しにTOKYOへ?』的な感情が去来していた。。
夏頃ずっと。

(なんや言うても楽しいのは楽しい)




『焼肉屋も三重のお店も頑張ってるからいいやん』とか、
『考え過ぎでは?』とか言われるけど、

自分は、死ぬぐらいやり切って、考え過ぎるぐらいいろいろ考えやな、『何者にもなれずに人生終わる』と思っている。




………。



そうして、やっと腹を括ってフリーライブのエントリーに復帰したが、やはり悔しさはつきものである!!!!!!!!!!


ライヴハウスやお客さん数によって全然反応は違うので、一喜一憂してる場合じゃ無いが、
お客さんアンケートは絶対全部見るタイプなので嬉しいことが書いてあるとかなりアガるし、反対に凹む時もある!!!!!!!



昨日は、パワーオブフリーという東京の地下ライヴを10年以上主催しているしぶやさんという方にいろいろ話を聞いてもらった。

いろんな地下芸人がネタを磨き続けるライヴ


何千組も見てきたしぶやさんに『宮本はずっとやり続けてたらどっかで売れるタイプだけど、年齢的にどっかでショートカットしないと厳しいもんね』と言ってもらえて、かなり嬉しかった。



作家さん、いろんなお笑いを見てきた人、お笑いファン、あんまりお笑いを見てない人から

定期的に『宮本は続けてたらどっかで爆発しそう』という褒め言葉?的なことを言ってもらえる。

そんで、それに凄い支えられている。



(というか、はじめて東海テレビで使ってくれた人にもそう言われていたというのをふと思い出した。)


ときどき会う『宮本は売れそう』って言ってくれる人達



そういう人が定期的にいるということは、『こいつ行けそう!』って思ってくれるような業界人も必ずいるはず!!!!!!!!!!!!


そのためにはとりあえずやり続けるしかない


ということを再認識した昨日のライヴでした。



では、また!!!!!

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