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シンジケートの体位     文=枡野浩一(「#短歌研究」2021年6月号)#穂村弘 #シンジケート     #枡野と短歌の話

 坂元裕二脚本の映画『花束みたいな恋をした』は、穂村弘のエッセイ集を愛読するカップルが主人公である。穂村弘と長嶋有を読む二人なら枡野浩一を読んでいてもおかしくない、とツイッターで三名くらいの人が書いていたけれど私はそうは思わない。穂村弘は文芸に興味のある者なら名前くらいは見たことがあるだろう人気エッセイストだし、長嶋有は芥川賞から大江賞・谷崎賞までを受賞してきた現代日本を背負う作家だ。いくら拙著『結婚失格』に二人が寄稿しているからといって、若い幸福な二人は離婚小説を読んだりしないだろう。

 映画『花束みたいな恋をした』で描かれたのは、穂村弘にも絶賛される今村夏子が「もう新作を発表しないのではと目されていた幻の作家」時代を経て芥川賞作家になるくらいまでの歳月だった。花束の二人はサブカルチャーの固有名詞を常に語っているのだけれど、押井守は語られても新海誠は語られない。新海誠はこの十年で今村夏子以上に「知る人ぞ知る」監督から「日本人なら知らない人のほうが少ないかもしれない」監督へと飛躍した。昨今、穂村弘を愛読するカップルは珍しくないと思う。坂元裕二は終始わざと彼らを「本人たちはちょっと特別な運命の恋人同士だと思っているが実際にはどこにでもいる取り替えのきく若者たち」として描いている。

 だから花束はヒットしたのだろうがそんなマーケティングを語りたいのではない。穂村弘『シンジケート』を愛読していた若者は当時まだ少数派で、それゆえ「特別な僕たち」と誤解しやすかったかもしれないという個人的な思い出を書く。

 沖積舎の『シンジケート』は何冊も持っていた。池袋西武という百貨店の大型書店の中に、堤清二(辻井喬)と思潮社が手を組んで経営しているとの噂の「ぽえむ・ぱろうる」という詩歌専門書店があり、そこで見かけて買ったのだった。短歌結社に関わっていない大学中退の男子が短歌の本と出会える場なんて、東京だとあとは神保町くらいだったんじゃないか。ぽえむ・ぱろうるの品揃えは十年一日のごとく時間のとまった印象だったけれども、『シンジケート』はわりといつまでも並べられていた。最初はハードカバー。途中からソフトカバーになった。透明ビニールのカバーがかかっていた時期もある気がする。それは「購入した者が個人的にかけた透明ビニールのカバーが残ったまま流通していた古書」の可能性もある。ジャケットカバーにPP加工がなかった版もあったはずだ。

 見つけるたびに購入していた数冊の『シンジケート』を私は現在一冊も持っていない。本稿を書くにあたって「短歌研究」編集部からお借りした2012年版にはPP加工がある。なぜ一冊もないかという話は書かないほうがいいかもと書く前は思っていたのだけれど事実を書く。飼っていた猫の「さくらももこ」がテンカンを患っていて発作のたびに自らの体に噛みつきながらおしっこを撒き散らしていたため、ぽえむ・ぱろうるで購入した詩歌関係の本は全滅してしまったのです。

 二十歳前後、好きだった人をぽえむ・ぱろうるに連れて行った記憶がある。平置きされていた『シンジケート』の一冊を手に取り、「ごーふる あとがきにかえて」という散文を読んでもらったとき、思ったよりウケなくて恋も発展しなかった。彼女は今、筆名で短歌をつくっているそうです。

 穂村弘の名前をよく話題に出していた相手は結局、「脳ミソのシワから金玉のシワまで」を標榜するインディーズマガジン「BD」の編集長こじままさきだった。「BD」常連寄稿者の私はまだ短歌集も出していなくて、いくつかの短歌新人賞の最終選考に残ったことのあるフリーライターだった。

 子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」 (穂村弘『シンジケート』以下すべて同書より)

 という一首を、こじま氏は「体位」を表現していると指摘した。私はそう読んでいなかったので驚いた。驚いたあとで、

 はしゃいでもかまわないけどまたがった木馬の顔をみてはいけない

 くわえろといえばくわえるくわえたらもう彗星のたてがみのなか

 などもセックスの歌である気がしてきて私はそれを伝えた。こじま氏はそうは読まなかったようで同意してくれなかった。

 このたび一冊を通して読み返し、私が最も『シンジケート』っぽいと感じる一首はどれだろうかと考えてみた。これだ。

 「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」

 短歌全体をカギカッコでくくる手法。若き穂村弘が「りとむ」誌でインタビューされたときも、カギカッコのルールが話題になっていた。歌壇で大昔から一般的だったわけではないのだろう。私にも同じ手法をつかってしまった歌があり、やめておけばよかったと後悔している。永井祐による「ひと枡あきよりも多めにスペースをあける」という手法が、より若い世代の阿波野巧也に踏襲されているのを見たとき違和感があり、だが私も同罪ではないかと初めて思い当たったのである。短歌全体をカギカッコでくくる手法はやがて皆に真似されるようになり、もうこういうのはいいでしょう、みたいな苦言を短歌新人賞の選考委員が言っているのを読んだ記憶があります。

 今はもうない雑誌でライターをしていたころ、「短歌に興味がある。おすすめ歌集を貸してほしい」と編集者に言われ、『シンジケート』を渡した。返却時に感想が一言もなかった。その編集者がのちに出版に携わった歌集が笹公人『念力家族』。

ビニールカバーのかかったバージョンは確かにあったと、当時のぱろうる店長(現在は阿佐ヶ谷よるのひるね店長)にゲラの段階で確認できていたのですが、自分の記憶を疑う姿勢が可笑しかったのでこの記述を残しました。

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