言葉派と人生派なら後者だと私は君に思われている #kurukeredo
2024年9/18(水)4856
1997年に2冊同時発売したデビュー作は、帯を外すと個人情報が一切ないようにつくった。初期の銀色夏生のように匿名的な歌人でありたかったから。だから枡野浩一は「言葉派」だと自分では思っている。定義がちがうんではという異議はスルー。
これくらいしか雪の歌ない。きれいな月は今さっきやっと見た。
つらいことばかりですね人生。写真は好物のいぶりがっこを水で食べるところ。
「ら」が余計。
新人賞をとれなかった歌人ならではの短歌。私は、文献をだれよりも熱心に調べて評論を書くようなタイプの歌人があまり好きではない。調べないよりはマシだけど調べたことにそこまで自信を持たないでほしい。それは枡野浩一が長い長いあいだ、歌壇の雑誌に名前すら出ない時代⋯⋯大ヒットした『ショートソング』のことすら短歌誌には一切書かれなかった黙殺の時代を体験しているから。文献には、文献に残したいという欲望の強い人たちが残した記録しか残らない。そしてそういうタイプの歌人の一人が、時評で東直子の小説を「ライトノベル」と書き、その明らかな「誤記」が直ることなく(つまり、まちがいであるとだれにも一度も指摘されることがなく)単行本になってしまうほど、文献の情報って間抜け具合がひどいと思っているからです。賢いのが好きな人たちの興味の範囲から外れていることは文献に残らない。だから昨今のネットミームを引用した短歌の解釈が頓珍漢なことになるのです。「寒水魚」という言葉が出てくる短歌連作が新人賞の現場で語られるとき、中島みゆきの名前を出す歌人が一人もいないような惨状をたくさん目撃してきた。ググることもできなかった時代だから仕方ないのでしょうか。ググることもできなかった時代のことを私のような立場から見ていた歌人が自分以外に幾人いたでしょうか。小高賢『転形期と批評 現代短歌の挑戦』(柊書房/2003)を読んでほしい。賢という名前を持つこの歌人の本、枡野浩一を語るときだけ急に賢さが変なことになる。
その先輩歌人の名は谷岡亜紀。それが一度きりの邂逅。
「短歌の集まりで枡野浩一のファンだと言ったら笑われた」という、傷ついた若い歌人からのメールが届く。年一回くらいのペースで今でも。
それはまだ今ほど穂村弘無双ではなかった時代のこと。
店のものを盗む人って普通にいるよね。タイムラインで皆が被害を話してる。
このあたりのことはツリーで長々書いてるから上をクリック↑
この発言を記録したのは佐伯明さん。
また賞に応募しようと思ってるんだ⋯⋯と話す枡野ことが書かれていた。「短歌人」だったかな。その頃は、過去作を官製はがきに一首プリントして毎週一年間郵送するキャンペーンもやっていた。岡井隆氏にも送っていたけれど、その時期の岡井氏はその住所にいなかったため一枚も読んでいなかったという。
にじくんが #丑みつどき歌人裁判 の告知をうまくしてくれるよう祈ってる。
しかしもう持ってるような人しか来てくれないからなあ。
関係者の皆様の見学を歓迎します。臆せずに枡野にメールください。
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