
アニマルガードと三島由紀夫
歩いていると時々動物の形をしたガード(バリケード)を見かけます。

両手首(前足?)を縛られ、腹をパイプで貫かれている感じにも見えて、この状況何かで見た気がしたと思ったのですが

大まかな方向性で言えば聖セバスチャンの殉教の体勢みたいだなと気づいたわけです。

少し前に『三島由紀夫生誕100年祭』に行ったからそれを想起したのかもしれません。
原稿とか知り合いに送ったハガキなどが展示されていて、これからの作家さんは直筆の原稿用紙とかない方が多いから回顧展などを開催する場合どうなるのかなと勝手に気にしながら見ていました。
それにしても字が良い、好きな字です。サインもバランスがとれて美しい。彼の美意識みたいなものを感じたり、あるいは悩んだ様子という作品の内容とか文章の構成以外の情報も伝わってくるので、原稿と言うか人の文字を見るのは楽しいですね。字が綺麗とか汚いという話ではなく、人の多面で多層な心や考えを見る事ができる場所のような気がします。
三島が聖セバスチャンのポージングをして篠山紀信に撮影してもらった事は有名ですが、もし三島がSNSをやっていたらどうなるのかなと想像しました。Twitterで過激な事を言ったと思えば、Instagramでは自分の肉体をこれでもかと披露して、そこには当然聖セバスチャンの写真も入れてくるだろうか、noteだったらメンバーシップ購読者多そう(当たり前か)とか、現代への転生ものを考えてしまいました。そうなったら現代版豊饒の海を書くのでしょうか。
男性が好きなんだろうなとすでにわかっていた中学生の頃に「仮面の告白」を読みました。そのきっかけが古本屋で見つけて購入したゲイ雑誌でした。何かの小説かコラムで出てきて、気になって読んでみたのが初めての三島でした。多感な年頃だった自分と重なる部分が多く、特に汚穢屋に惹かれる描写は、近所にやってくるバキュームカーの作業員とその仕事の様子を凝視していた小学校低学年の自分と通じるものがありました。
こうしてnoteに自分の性的な事をペンネームで書いているのが、仮面の告白のようなものかもしれません。私なりのヰタ・セクスアリスを濃く表現してみたい気持ちが湧いてきたような気もします。
かわいい動物のバリケードから転生もののように話が飛んでしまいましたが、もう一度三島由紀夫あれこれ読みたくなりました。私がよく行く書店では生誕100年と言う事で三島作品を平積みしているのでチェックしてみようと思います。