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サイタマシントシン ガ マンザイコンビ ノ ナマエミタイナノデ
先日久しぶりに熊谷へ行ってきました。年に何回かラグビー観戦で訪れるのですが、そのたびに頭の中に浮かんでくる事を今回は書いています。
途中で「さいたま新都心」駅を通るのですが、そのたびに「車内表示される
カタカナ「サイタマシントシン」が「さいた ましん・としん」という漫才コンビ、昭和のいる・こいるみたいな名前だなと思ってしまいます。
さいたまというひらがな、新都心という漢字の組み合わせがカタカナに通分された感じになって、急にそれぞれの表情とか緩急、凹凸がなくなる感じがします。でもそれによって新しいものが急に見えてくる感じが面白くて、次の駅がさいたま新都心になると車内案内表示装置をいつもじっと見てしまいます。
無機質なカタカナに意識を集中させていると、ふと25年以上前に携帯電話を使っていた頃のショートメールの画面を思い出しました。
私はずっとdocomoを使っているのですが、スマホはおろかiモードさえもなかった時代、今の大画面スマホ時代では信じられないくらいの小さな画面に表示されるカタカナ数行でも便利な時代になったと思っていました。
それからカタカナと言えば、私が小さい頃はまだ電報もカタカナのみでした。小学校高学年くらいにひらがなが使えるようになったと記憶していて、ちょうどその頃に「となりのトトロ」が公開され、話の中で電報が出てきます(お話は昭和30年代の設定ですが)
私の家に電報が届く機会はなかったのですが、電報と言えば病気や危篤などの連絡、あるいは受験の合否であるサクラサクやサクラチルなど、かなりシリアスな場面のイメージがあります。
サクラチルで思い出したのですが、若い人が「チル」「チルい」とか言っているのを聴くと、もし昔だったら「"散る"につながるからやめなさい」とか忌み言葉的にとられるのかなとか考えてしまいます。
サイタマシントシンを見ただけでいろいろな扉が開いて、開いた部屋の中にある引き出しがまた開いてしまい収拾がつかなくなってしまいます。カタカナは無機質で少し温度や湿度が低い印象なのですが、だからこそ自由に想像できる余地があって面白いなと思いました。