誰がために花は咲く。
目の前の椅子に座った人の話をどう聴くのかという、その技を磨くために時間を費やす。
「全集中の呼吸」とはよく言ったもので、産毛を逆立てるくらいに肌感を上げ、高速で回転する頭が迷走しないように官制し、相手の言葉の一つ一つ、声の抑揚に至るまで、全てを聴き逃すまいと集中する。
今、話しているこの人の向こうに見えるものは何か。隠れているものは何か。一番言いたいことは何か。一番わかってもらいたいことは何か。
だけど、受け取り損ねたくない。間違えたくない。この人の役に立たねばならない。そう思った瞬間、己の価値観が頭を擡(もた)げる。その先に紡ぐ言葉は、自分の都合の良いように纏めようとする、エゴ。これが相手を傷つける。
自分を聴いてもらう側に置いた時、聴いてくれる相手に「そうじゃないんだ」「そこじゃないんだ」と言いたい自分を呑み込んだことがある。求めるものを引き出してほしくて、それが叶わなくて、悶々としたことがある。何度も。何度も。
相手の話を聴くということの深淵を覗いて一瞬怯むけれど、律するのは自分自身のエゴ。
今、誰のために聴いている?
今、何のために聴いている?
「自分の守備範囲以上のことはしないことです。」「知らないということが武器になることだってありますよ。」教師の指導は優しいが深い。自分の脆弱さを突きつけられるばかりで凹む。
その守備範囲をどうやって広げようか、どうやったら広げられるのか考え中。
広さに果てはないのだけれど。
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東山baseの玄関先。コンクリを割って咲く花の強さ、可憐さをリスペクト。この花だけ除草できなかった(笑)
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