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私的アート思考episode.2 はじめての油絵

憧れの油絵具

A先生の油彩作品を見てとても感動した私は、油絵具という画材にとても興味を持ちました。
当時中学校の授業で使う絵具は水彩のポスターカラーだったので、本格的な絵画の画材のイメージのある油絵具を使って絵を描いてみたいという憧れのような気持ちが沸々と湧き始めたのです。
そんな風に感じていた中学三年生のとき、美術、音楽、技術家庭の実技系科目の中から好きなもの一つを選択して受けられる選択授業というものがありました。
私は美術を選択したところ、なんとA先生はその授業の中で油彩画を描かせてくれたのです!
私は憧れの画材である油絵具を初めて使うことがとても嬉しくて、授業の日をとても楽しみにしていました。

何を描く?

初めての油彩は、F4号の既成のキャンバスに好きなものを描くというものでした。
選択美術の授業を受けている生徒は、みんな美術に(少なくとも他の二教科よりは)興味がある子たちばかりだったので、先生がモチーフを選ぶのではなく、生徒の自主性に任せ、その選択も含めて油彩を描くことの面白さを感じて欲しかったのかな?と今では思います。
自分の好きなものを油彩で描く。
そんなシンプルなお題を出された私がモチーフとして選んだのは
「いちごジャム」でした。
なぜか分からないのですが、そのとき直感的にブルーの背景に赤いいちごジャムが描かれている絵が頭の中にパッと浮かんできたのです。

「いちごジャム」を描きたい理由

なぜいちごジャムを描きたいと思ったのか?
25年前の記憶を朧げに辿ってみると、当時の私は「油絵具で描く絵=静物画」というイメージを強く持っていました。
日本では油絵というと印象派がとても人気があり、多くのメディアでそのビジュアルが使用されています。
ゴッホ、モネ、セザンヌ、ルノワール…
美術の教科書にもヨーロッパの巨匠の作品がたくさん掲載されていました。
その影響からか、油絵といえば印象派みたいなもやもやしたタッチで静物画を描くべきものだと思いこんでいたのです。
なので、自分が描く初めての油絵も静物を描こう!そしてどうせ描くなら今の自分の生活の中にある日常的なものを描こう!と思いました。
当時の私は両親が共働きのため祖母の家の近くの中学校に通っており、朝は必ず自宅から祖母の家へ行き、祖母宅で朝食を食べてから学校へ登校していました。
その祖母宅で食べるトーストに毎朝塗っていたいちごジャムがとてもしっくりくるモチーフに感じられ、なんとなく、このいちごジャムを油絵で描いたら、教科書に載っているようなヨーロッパの巨匠とは違う「私らしい絵」が出来上がるような気がしたのです。

画材としての油絵具

祖母にお願いしていつも食卓に出るいちごジャムの空き瓶をとっておいてもらい、学校へ持っていき、それを見ながら描くことにしました。
油絵は一番初めに上に最終的にのせたい色の正反対の色を塗るという知識を何かで見て知っていたので、青色の反対の赤茶色を塗ってみようと思いやってみることにしました。
A先生が用意してくれた油絵具とキャンバス。
ずっと憧れていたこの画材をいよいよ使うときがやってきたのです。
チューブから絵の具を出すと、油絵具の何とも言えない独特の匂いが美術室中に広がっていき、私はとてもドキドキしながら絵を描き始めました。
実際に使ってみると油絵具という画材は想像以上に使うのが難しいものでした。
まず第一にベタベタしていてすぐに乾かない。
そして乾かないと画面の上で色が混ざってしまい、思うような画面にならない。
それまで自分が使用したことがあった水彩系の絵具はもっとサラッとしていたし、乾くのも早く、すぐに次の工程に進むことができ、もう少し自分の思うようなものが描きやすかったです。
いちごジャムのラベルの模様を細かく描いていきたかったのですが、下に塗った絵具がベタベタしていてなかなか上手く描くことができませんでした。
油絵は、描きたい気持ちのタイミングと描くべき画面上のタイミングに「タイムラグ」が発生するということ(当時の私がここまで言語化はできなかったと思いますが、今思うとそういうことに難しさを感じていたと思います)を経験した瞬間でもありました。
油絵って難しい。
それが私が初めて油絵を描いて感じたことでした。

処女作が教えてくれること

ところどころ絵具の剥離はありますが、比較的綺麗な状態で保管してありました。取り壊しの決まった家の物置から見つけ出してくれたK君に感謝!

透明なガラス瓶の中にぎっしり詰まったいちごジャムの深い赤い色。
パッケージのラベルに印刷された可愛らしいいちごのイラスト。
そんな瓶をしっかりとホールドする金属製の白い蓋。
真っ赤ないちごジャムを際立たせるような柔らかいブルーの背景。

直感的に描きたいと思ったという動機が一番早く、強かった記憶があるので、15歳の私がどこまでその動機を言語化できていたのかは分からないのですが(そもそも言語化する必要性を感じていなかったと思われますが)、今の私がこの絵を見ると、祖母の用意してくれた朝の食卓の空気感や、いちごジャムを塗った甘いトーストの味、そんな今は亡き祖母と過ごした穏やかな時間という、今ではもう記憶の中にしか存在していないそれらをありありと感じることができます。
そんな日常の中にあるひそやかな幸福感や美しさを、このいちごジャムを描くことで私は表現したかったのかな?と思います。
そして、そのとき私の中で「油絵=芸術作品」という感覚があり、ただ単純に絵を描くのではなく、自分の中で感じていることを絵にする・表現するということに無意識にチャレンジしていたのではないかと推測できます。

決して思い通りに描くことができたわけではありませんでしたが、この絵は私にとっての処女作であり、今の私の作品に通ずるような感性(モチーフの選び方や視点、色彩感覚など)が随所に感じられるところが自分では非常に興味深く、制作を続ける上で自分が大切にするべきものを示唆してくれているようにも思えます。

油絵具の憧れが、美術大学への憧れに

「私もA先生のように油絵具を自在に使って、もっと上手に油絵を描いてみたい!」
選択授業が終わるころ私はそんな風に考えるようになりました。
そしてA先生から絵を専門的に学ぶことができる美術大学という学校があることや、先生が通っていた東京にある美術大学の話を個人的に聞くようになり、油絵具の憧れは自然に美術大学への憧れに変わっていきました。
まだ美術館にも行ったことがない地方の中学生でしたが、美術大学へ進学することを目標に、ひとまず高校に進学して美術部に入部しよう!と決意したのがこの頃でした。
そして晴れて高校へ進学し、美術部に入部。
そこでまた新しい出会いや経験をしていくことになるのです。

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