
ナガサキで見た景色
2017年。長崎を旅した。プライベートも仕事も何もかもが逆回転してダメになっていった時期だった。
有名な「平和祈念像」のある平和公園を訪れた。空が広く、人々の日常と切り離された異空間。

ただ、一つ、強烈な違和感を感じる。
世界の各国から、平和を祈念する彫刻が贈られて飾られている…のだが、全てソ連、中国、東ドイツ…など、「東側」の国から贈られたものばかり。
平和を祈願しながら、東西冷戦を象徴してしまっている。アメリカがやったことであるところの、原爆投下を非難しているからなのか。広島では見ることのなかった歪み。
爆心地の近くにはカトリック浦上天主堂があり、原爆により目玉が抜けて空虚な表情になった「被爆マリア像」がいまも展示されている。しかし、被爆した浦上天主堂は解体され、保存されることはなかった。カクレキリシタンの時代から、なにかと日本と西洋の間の歪みを引き受けてきた街。
現実に起こった政治的なやりとりはなかなか民間人に公開されることはなかなかない。しかし、歴史の「歪み」を確かにそこで見たような気がした。
だから、生きて、目撃していきたい。その歪みの中にある、顔と名前があるひとりひとりの人々の営みを。
今年、こういうニュースを観たことを思い出している。世界は偽りに満ちていたとしても、われわれ個々人はどうしていくのか。答えは誰も持っていない。