一貫性のない言葉 「cakes炎上と、消滅した連載」のその後
数日前、「cakes炎上と、消滅した連載」というnoteを書きました。
1ヶ月以上迷って迷って、決断したことでした。noteにはたくさんの反応があり、約40万人の方が読んで下さいました。これをきっかけに、膠着状態だった問題が動き出し、前に進めるかもしれない。私はそう思いました。
けれど実際は、事態は一向に解決に向かいませんでした。cakesサイドの言葉に一貫性がなく、不信感がつのるばかりだったからです。
一体なぜこうなってしまうのか。答えは依然として見つからないままです。
外向けの説明
件のnoteを書いてから、私には複数のメディアから、取材の依頼が来ました。それに対して私は、自分のTwitterで、こう発信しました。
取材に答えれば、この件に第三者の筆が入り、それが広く伝わることで、今よりさらにこじれてしまう可能性がある。そう思ったからでした。このことは、note執行役員の方にもきちんと共有しました。
けれど残念ながら、「原稿に注力」など、全くできませんでした。私が依頼にお答えしなかった2社の取材を、note社広報は受け、かつ、このようにコメントしたからです。その内容に、驚きました。
「連載では、自殺当事者の方の心情をリアルに書いておられました。自殺者のご家族や悩みを抱える方々への影響があるとして、10月に、このままでは連載ができないことをお伝えしました。表現を修正することなどを提案しましたが、ご本人が納得できるやり取りができなかったようで、大変申し訳ないことをしたと思っています」
どうして、この段階になっても、作家や原稿に問題があるかのようなコメントを出すんだろう。これは詭弁じゃないか――あまりのやるせなさに、頭が真っ白になりました。
10月に言われていたこと
実際に、10月に私が担当編集からもらったメールには、こう書かれていました。
「ここ数ヶ月、テレビで著名な方の自死が取り上げられることが多いです。(中略)このような世相もあって、『逝ってしまった君へ』は、いま世の中に求められている作品だろうという確信が強まります」
「遺品整理時の「君」の家の様子も知りたいし、「君」が残したほかのメモには何が書いてあったのかも、すごく興味があります」
「これほど大切な方の自死に向き合って書かれた文章というのは、そうそうあるものではないと思うので……。この先の『逝ってしまって君へ』も読むのが楽しみです」
「ぜひこの内容で、書き進めていただきたいです。よろしくお願いいたします」
すべて、10月に入ってから炎上が起きるまでのあいだに、私に届いたものです。
note社広報は、別のメディアの取材に、「記事の後半に問題があって、掲載できないと判断した」という内容のコメントを出していましたが、上記のメールはまさに、その「記事の後半」を書いていた期間でした。
少なくとも炎上が起きるまで、編集部は非常に積極的に、この作品を世に出そうとしていました。私は6月からの執筆中に一度、さまざまな理由から「やはり書き続けられない」と伝えたことがありましたが、そのときも、「絶対に形にすべき」と熱弁したのは、担当編集でした。
なぜ、すべてのログが残っているにもかかわらず、note社広報は外向けに、詭弁ととれる発信をするのか。不信感はさらに積もっていきました。
名前がふせられた「お詫び」
「cakes炎上と、消滅した連載」を書いたあと、私のもとには、note執行役員の方から連絡がきました。そこには謝意とともに、「弊社の公式Twitterからもお詫びのコメントを発表させていただきます」と書かれていました。
けれどその内容は、またも、首をかしげたくなるようなものでした。
一体なぜ、私の名前がふせられているんだろう。いやそんなことよりも、「編集部からのコミュニケーション」とは……? 突然編集部の方針が変わり、書いていたものをフィクションてことにしましょうと打診されるのは、「コミュニケーション」の問題なんだろうか――。やはりここでも、不信感は増すばかりでした。
二つの言葉
一日も早く、この問題から解放されたい。
これが、今の私の偽りのない本心です。けれど、note執行役員の方から私に届くメールの言葉と、note社が外向けに発信する言葉には、看過できない大きな乖離があり、不信感が払拭されません。この状態で前に進むのは、私にとって、とても難しいことなのです。
執行役員が私に謝罪する理由は、記事1本7000円という原稿料を渡して、さっさと関係を絶ちたいからなのか。だから外向けのコメントとは内容が違うのか――ついそう勘ぐってしまいます。
それが真実だったとしても、私はもう、誰も幸せにならないこの一連のやり取りに、疲れてしまいました。そこで12月12日、和解のための提案をしました。私からのお願いはたったひとつ、「納得のいく言葉で謝罪文を掲載してほしい」ということでした。
もうそれ以外は望まない
「私から見て内容に納得のいく謝罪文を、note公式サイトトップページ、もしくはcakesに一定期間掲載してください」
私はそう提案し、以下の内容をすべて入れてほしいと伝えました。
・私の名前
・編集部の未熟さに起因する炎上があり、そのせいで連載がなくなったこと
・炎上が原因であったにもかかわらず、当初は「炎上のせいではない」と説明したこと
・出版業界のルールにおいて、担当編集がOKを出した文章に書き直しを要求するのは、大変非常識であること
・私と遺族に多大なる精神的負担をかけたこと
・今後再発防止に努めること
これらはすべて、note執行役員の方が、メールの中で私に謝罪した内容です。わずかでも謝意があるのなら、外向けのコメントでも同じ内容を認めてほしい。そう思いました。
「コミュニケーション」などという言葉でごまかさず、詭弁を用いて印象操作をせず、誠実に真摯に、自分たちの非を認めてほしい。そして謝罪文は、これ以上こじれないよう、掲載前に私に確認させてほしい。そう伝えると執行役員の方は「週明けに取りまとめてお送りします」と返信を下さいました。
この約束が守られるかどうかは、わかりません。残念ながら、約束が守られたという前例が、cakes、noteにはまだないからです。
編集部からの謝罪文を、私が編集する。大変皮肉な事態ですが、これしか思いつきませんでした。相手にこれ以上のことを望めるとも、もはや思えませんでした。
私は今、この一連の問題から解放されたいと願いつつ、週明けのお返事を、お待ちしているところです。
その後についてはこちらの記事を。